離婚を切り出されたモラハラ夫が、悲劇の主人公気取りで自分に酔っているので、夫の魂を私の中に入れて過去を再現し、自分のやったことを分からせてあげましょう。
結婚して、7年。
二人の子どもがいて、経済的にも不安がある状況で離婚を申し入れたのには、それなりの理由があります。私なりに苦しみ、考えた末の結論です。
けれども、不貞や直接的な暴力とは異なり、モラハラというものは説明が難しくて。
夫は、「自分は家族のために一生懸命やってきた」「悪かったところは反省してるのに、妻は許してくれない」「離婚されたら死ぬ……」と口にしています。
そして、たちの悪いことに、夫は、本心から、「自分は可哀想」と思っているのです。
外では人当たりが良いものだから、周りの人の多くは夫の言葉を信じ、離婚を求める私の方が「我慢が足りない」「子どものことを考えてない」等と悪く言われる始末。
だから私は、この度、魔術協会に依頼をしました。
公開の法廷において、夫と私の同居中の数時間を、再現してもらうことにしたのです。
夫の魂を、過去の私に憑依させ、追体験してもらうのを、裁判官及び参与員が視聴するという方法で。
対象となる数時間は、『私の気持ちの揺れが大きかった』数時間が、ランダムに選ばれることになっています。
「俺は子どもの面倒を見ていたし、家族サービスもしていたからな。皆がいかに楽しく過ごしていたかが、分かるはずだ。」
夫は自信がありそうですが、夫が子どもの面倒を見ていた時間なんて、全体に照らせばほんの僅かな時間。
本人の中では「自分がやってあげた」ことだけが強く記憶に残っているようですが、果たして、その僅かな時間が選ばれるでしょうか。
また、夫が、家族サービスという名の外出に、ときどき連れて行ってくれたことは事実ですけれど。
夫がそれを思い付いたときには、たとえ他に予定があっても、どれだけ疲れていても、私と子ども達が喜んで付いていかないと、夫は不機嫌になるのです。
そうして、私たちが夫の機嫌を伺いながら、無理にニコニコしていたことを、夫は何も分かっていません。
さあ、再現の時間です。
夫に、私の気持ちは分からない。分からないから離婚するのだし、もう、分かってもらう必要もないと言う方もいます。
けれども、願わくば、少しでも、夫が私の苦しみを理解してくれますように――。
※※※※
――疲れた。身体が重い。
気が付いたら、俺は、妻の身体に入っていた。理由は思い出せない。
こんなに身体が重いのは、普段、妻が運動もせずゴロゴロしているせいか――、いや、そういえば甲状腺機能が低下しているとか言っていたか。
「ママ、ねえママ! 宝探しだよ。7つ隠したから、ちゃんと探して。早くー!」
「ママ、トイレ。もれちゃう。」
「えぇ!? 先にトイレ行くわよ!」
妻と自分は今、一体化しているのだろうか。妻の言葉が、自分の言葉のように、勝手に口から出てくる。その上、体までもが自然に動き、長女を抱えてトイレへダッシュした。
「ねー、ママ〜。」
「分かった分かった、宝探しはちょっと待っててね。」
長男を待たせながら、長女のズボンを下ろした瞬間、長女は間に合わずに漏らしてしまった。
ああ〜、トイレマットまでビショビショだ。
「惜しかったね。」
長女のフォローをしながら、濡れた服をトイレマットにくるんで、洗面台に持って行く。代わりに雑巾を取ってくると、長男が「宝探し〜」と服を掴んできた。
その間にも、長女は濡れた足で、廊下の方へと動いてしまい、被害がどんどん拡大していく。
「待って、動かないで〜。」
何だか頭も痛くなってきた。妻の意識が、この痛みは『ホルモンバランスの関係で、毎月繰り返す偏頭痛』であると判断している。
子どもたちの相手をしながら、何とか夕食を作り終えた。夫(俺)が夕食を食べない日は、子ども用のご飯だけ用意して、あとは適当に済ませられるのだけど。今日は夕飯がいる日なので、俺用のおかずを3品手作りした。
子どもたちに食事をさせつつ、スマホを開くと、俺からラインが届いている。
明日は土曜日。夫の俺は、半日程度仕事に行くことになっている。妻は、俺が仕事に行ってる間に、子どもたちを予防接種や買い物に連れて行く予定だ。
病院の予約をするため、俺が何時ころに仕事に行くのかを、聞いていたのだけれど。
俺からは、『そのときの気分だし、分からない。』『平日働いてて、休みの日の過ごし方まで、管理されないといけないわけ?』と責めるような返信が返ってきた。
仕方がないので『じゃあ大丈夫、ありがとう』と送ると。
すぐに、『じゃあって、どういう意味? お前が俺の仕事とか立場とか分かって言ってるのか、気になるんだけど。』と返信が返ってきた。
何を答えても責められる気がして、でも返信しないとそれも責められる気がして、胸がギュッとなり、ドキドキと動悸がする。
――俺の予定なんて、放っといて、好きにすれば良いじゃないか。
そう思った瞬間、シンクロするように妻の気持ちが流れ込んできた。
夫の俺が家にいる時間に留守にすると、「たまの休みにすら、一人か……。」「俺なんて、いてもいなくても良いよな。」などとグチグチ言われ続けるので。妻は、俺の予定を中心に、全ての行動を計画せざるを得ないのだ。
浴槽に湯を張りながら、片付けと洗い物を終えると、3人分の着替えを用意して、次は入浴だ。
妻は、仕事を終えるやいなや、ダッシュで子どもたちのお迎えに行き、買い物をしてから帰宅。洗濯物を取り込み、その後は嵐のように家事育児に追われて、ここまで息つく暇もない。
今まで、早く帰れる妻が、楽そうに見えていたけれど。これは案外――、いや、かなりキツい。妻は毎日、これを一人でこなしていたのか。
夜9時、ようやく、寝かしつけの段階までこぎ着けた。自分が布団を敷いている間、少しだけ子どもたちにテレビを見せてあげることにした。
ちゃんと『1話だけ』と約束して、静かにテレビを見てくれている。
――そのとき。
ようやく俺が、帰ってきた。
「今日、食べてきたわー。」
サラッと、悪びれない言葉に、少しムカついた。
俺が食べてくるのなら、無理にご飯をつくる必要はなかったのに。子どもの分だけ用意して、自分のご飯は適当で良かった。
けれど、それを言うと不機嫌になるだろうから、自分は「分かったー」と答えつつ、俺用の食事を冷蔵庫に片付けていく。
「あー、またテレビ見てるな、パパに代われよ。テレビ見過ぎると爆発するぞ。ドッカーン!」
俺は言うやいなや、リモコンで、ブチッとテレビ画面を変えた。
その瞬間、長男は、「ああー!」と癇癪モードに突入する。見てたのに、見てたのに、と体を仰け反らせて、涙を流す長男。眠い時間は、特に癇癪が起こりやすいのだ。
「はあぁ、静かにせぇよ、うるさいな。――お前がテレビばかり見せるから、子どもがテレビ依存症になるんじゃないのか。楽したいからって、テレビに育児をさせるなよ。」
俺は、吐き捨てるように言いながら、こっちに怒りを向けてきた。
――理不尽な。
「今さっき、見始めたところで、この話が終了したら、テレビを切る約束だったの。途中でいきなり変えられたのが、嫌だったのよ。」
せっかく、平穏に、寝かしつける直前まできていたのに。俺の言動のせいで、台無しだ。怒りたいのはこっちである。
「ほら、泣き止まないと狼が出るぞー!!」
俺は、脈絡なく長男に抱き着こうとするが、癇癪状態の長男に、振り払われてしまう。振り払われたことに対して、俺の機嫌は、ますます悪くなる。
「おい。俺のことが嫌なら、もう、帰ってこないぞ! パパはいなくてもいいんだな?」
「う、うわぁぇ〜!」
俺の剣幕と、帰ってこないという言葉に反応した長女まで、泣き出してしまった。
「今は、そういうリズムじゃないだけなの。脅すようなことを言わないで。」
必死にフォローを入れるものの、俺は、「あー、泣くなよ、しょーもないぞ!」と長女にまで罵声を浴びせかける。
それを止めさせるため、慌てて、俺にビールを出す一方で。子どもたちにはヤクルトを出して気分を落ち着かせ、何とかその場を収めた。
ソファでテレビを見ながらビールを飲む俺が、「風呂は?」と聞いてきたので、自分は風呂を沸かし直すため浴室に向かう。
すると、落ち着きかけていたはずの子どもたちが、再度、ギャーと泣きながら、浴室に駆け込んできた。
「パパが、『さよなら』って……。」
「パパが……。」
どうやら、イライラしていた俺が、子どもたちに、『もう帰ってこない。さよなら』とやらかしたらしい。
「大丈夫。パパは冗談を言ったのよ。」
子ども達を安心させるように言って、「パパ、さよならなんて、言わないでね。」と俺に優しく言葉をかけた途端……。
「あぁ? お前は前後のやり取りを聞いてないだろ! それなのに俺を責めるなんて、親失格というか、人間失格だな。」
俺が、まくし立てるように、怒鳴りだした。
「自分だけが正しいみたいな、言い方をして。お前な、絶対、周りに嫌われてるぞ。
子どもに泣かれて、妻に責められて、そういう相手の気持ちを考えられないのか。頭ごなしに責めるんじゃなく、まずは相手の気持ちに寄り添って考えられないのか……。」
――ええぇ。
こっちはクタクタになるまで仕事と家事育児して、夕飯も無駄に作らされて、子どもを錯乱状態にされて、それでも文句も言わず、笑顔を作ってるんですけど? それなのに感謝するどころか、言うに事欠いて、『人間失格』?
しかも前後のやりとり聞いてないとか言うけど、つい数分前まで聞いてましたから。どんなやり取りがあっても、子どもに『さよなら』と言ってトラウマ植え付けるのはNGでしょ。
「ちょっとそれは、ないんじゃ……。」
「はあああ〜〜。」
俺は、盛大にため息をついた。
「何にでもすぐに、反論する。それホント、お前の悪いとこだよ。無意識かもしれないけどさ。お前は俺の上官か何かなの? 違うだろ、妻だろ? たまには黙って、共感できないわけ? ホント、追い詰められるわ。」
俺はガン、と扉を開けながら部屋を出ていき、その先から、ガン、ガン、ガシャーン、と派手な音が響いた。「ああああ!」とイライラしたような叫び声も聞こえてくる。
その音や声の度に、ビク、ビク、と怯える子ども達を抱きしめながら、「大丈夫、大丈夫」と落ち着かせる自分の胸も、バクバクと動悸がしている。
音や声は、隣家にも聞こえているだろう。何て思われているだろうか。
――どうしたら、いい……?
妻の苦しみが、俺の中に流れ込んできて、俺まで息苦しくなってくる。
しばらくして静かになった後、子どもたちにそっと、歯磨きをして、寝室に連れて行くと。
――!!
目を疑った。
ついさっき、クタクタの体で頑張って、きれいに敷いたはずの布団の上には、タンスが倒れ、物が無残に散乱している。
その横の壁には、小さな穴まであいていた。
その瞬間。
ああ、もう、無理だ――という、妻の思いの渦が溢れて。強く、妻の中の俺の意識を飲み込むほどに強く、流れ込んできた――。
※※※※
夫は、愕然としています。
今の今まで、自分は本当に悪くないと、思っていたのでしょう。夫にとって、『正しい自分』を否定されることは、何より辛いことのはずです。
浮気でもない、怪我をさせられたこともない。妻の我慢が足りないと言う人もいるかもしれない。
でも私はもう、限界なんです。
それを夫に分かって欲しい――と、願ってしまうのは。
夫からよく言われていたような、『何にでも言い返す性格』のせい?
あるいは、弁護士から言われるような、『何にでも夫の許しがいると洗脳されてきた、モラハラ被害者特有の思考』のせいでしょうか。
それとも――。
私は、もう1つの可能性を考えました。
夫の理解を得たいと思うのは、まだ、私の中に、一欠片でも、夫への愛情が残っているのかもしれません。完全に無関心でいられるのなら、こんな風には思わないはずだから。
そう考えた次の瞬間、夫がポツリと呟く声が、聞こえました。
「たしかに、俺に悪いところがあった。反省して、改めるので、許してもらいたい。
でも……、俺だけが悪いのか?」
その言葉に、ハッとするとともに。
私は、胸を撫で下ろしました。
良かった――。
今日、この再現を行う前に、私は1つの、賭けをしていたのです。
夫が私の思いを分かった上で、心から反省してくれたなら、もう一度、夫の話を聞いてみる。
でも、反省したと言いながら、結局、最後に『自己弁護』を口にするなら、夫は変わらない、直ちに離婚する――と。
――もう、思い残すことはないわ。
私は、吹っ切れた思いで、自分の弁護士を振り返りました。弁護士さんは、何も言わずに、頷きを返してくれました。
評議の後。
裁判官が、淡々と、離婚を認める旨の主文を読み上げる前で。
夫だけが、涙を流していました。
何を思っているのか、もう、興味もありません。
※最後まで読んで頂き、ありがとうございました。ご意見が分かれる話とは思いますが、もし宜しければ、作品の評価をお願い致します。m(_ _)m
※『能面顔の悪役令嬢〜』(セレブ学園を舞台とする乙女ゲームの悪役令嬢へ転生した主人公の話)も本編完結しました。お読み頂けましたら、大変嬉しいです。