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6. 放課後の勉強会

窓から夕陽が差し込む頃。

目の前に居るのはいつも通り不愛想な黒髪少年だが、その場所は珍しく図書室ではなかった。


「やはり、こうなりましたか……」


そう言って、シリル君は短い溜息を吐いた。


現在私達が向き合って座るのは、魔術力学の実習室。

壁沿いの棚には、不思議な色や形の錘から、どう使うのかも分からない小さな器具がずらっと並んでいた。


二人で挟んだ机の中央には、初級Iから現在履修している中級IIまでの魔術力学の教本と資料集が積み上げられている。

その内の一冊を流し読みしているシリル君に、私は小さく頭を下げた。


「ご迷惑をおかけします」

「いえ、少し前から予想はしていました」


どこか平坦な声から機嫌を損ねているのは分かるけれども、私にはどうしようもない。


今日の放課後は成績優秀者のシリル君に、補習をしてもらうことになっていた。


本人は凄く不本意そうだけれど、先生に頼まれた際には断らなかったのだろう。

普段突き放すような態度ばかり取るが、実は面倒見が良いのはなんとなく分かっている。


ぱたん、と最後まであっという間に目を通してしまったらしいその本を閉じて、シリル君は顔を上げた。


「それで、前回のテストの正答率がかなり低かったとは先生から聞いていますが、具体的にどこが分からないんですか」

「どこが分からないのか、分からないという状況なのです……」

「……見せて頂いても?」

「はい」


私は今日の午後返却されたばかりのテスト結果を鞄から取り出して、シリル君に手渡した。


シリル君は右上の点数を見て一瞬眉を寄せて、けれどそれは触れずに、そのまま内容に視線を移す。

心無しか先を追うごとに、目が眇められてゆくような気がした。


「ある程度、傾向は掴めました」


私は目の前に差し出された、テスト用紙を受け取る。


「今期の習熟度というよりは、それ以前の問題ですね。初級III以降が全く身についていないようです」

「そうなのかも、しれません……」


心当たりは、ある。


以前の学校で休みがちだった時期にやっていたのが、確か丁度その辺りだった。

中級IとIIの序盤に至っては、この学校の授業に追いつくために自己学習をした程度で、しっかりと教わった事はない。


「少し、待っていてください」


それだけ言うと、シリル君は初級IIIと中級Iの教本をぱらぱらと流し見て、例題を抜き出してゆく。


手持ち無沙汰な私は、テストで間違えた回答の解説が教本にないか、問題文と例題を見比べながら探してみる。けれど数分かけて見つかったのは、最初の数問だけだった。


教本の一節分を終えた時点で、顔を上げて目前の彼の様子を伺う。

長めの前髪から覗く瞳が素早く左右に文字を追うのをついじっと見つめていれば、ふとシリル君が顔を上げないまま口を開いた。


「以前にも聞きましたが、前の学校では一体なにを学んでいたのですか」

「ええと、国内の標準課程で魔術専攻でした。けれど少しブランクがあるのと、全ての授業を受けられていた訳ではないので……」


魔術力学や術式構成が学年に応じた必修であることを考えると、本当は1つか2つ下のクラスが妥当だと心から思う。

編入前の事前調査では、その辺りの事情も正直に書いたのだが、あまり加味されなかったようだ。


「……本当に、よくこの学校に編入できましたね」

「すみません」


なんだか申し訳ない気分になって、私は肩を縮めた。

先程から私ばかりが質問を受けているけれど、改めて考えると、私は彼のことをあまり知らない。


「シリル君は、なぜこの学校を選んだのですか?」

「答える必要性を感じません」


何気ない疑問を口にすれば、ばっさりと切り捨てられた。

いつものことなので、私は気にせず言葉を続ける。


「特色に惹かれてですか? 授業の進度は速いですが、穏やかで自由な校風ですよね」

「…………」

「王都で一番大きな学校ですから、設備も充実していますし」

「…………」

「それとも、信頼できる先生方がいらっしゃるからでしょうか」


あれこれ考えを巡らせながら、私はシリル君を見る。

彼は手を止めないままこちらを一瞥して、諦めたようにぽつりと呟いた。


「……選択肢がなかっただけです」

「選択肢、ですか?」

「ええ。知りたいことを調べるためには、この学校に来るしかありませんでした」


淡々とした言葉に、私は首を傾ぐ。


「なにか、探していらっしゃるんですか? 私にもお手伝いできるでしょうか」

「結構です」


間髪入れずに一蹴された。

さすがの私も言葉に詰まって、視線を机の上に落とす。


シリル君はそんな私の様子を見てか、少し沈黙した後に言葉を続けた。


「あなたに、そんな余裕は無いと思いますが」

「けれど、シリル君にはいつも助けて頂いていますから」

「……助けているつもりはありません。仕方がない状況だからです」


シリル君の眉が、僅かに寄せられた。

私は内心慌てて他の理由を探す。


「それにほら、私も一応図書委員なので調べ物は得意ですよ」

「あなたに見つけられる程度のものは、探していません」


その言葉に、私はあっさりと納得してしまった。

彼の探し物はおそらく、単純にラベリングされているものではないのだろう。


総当たりであれば人手の多い方が有利なはずだけれど、私より余程頭の回転が早いシリル君が思い至らないはずはない。


これは、私の想像だけれども。

もしかすると彼自身は答えに辿り着いていて、けれどそれをどこか自分で信じ切れていないのかもしれない。


「シリル君は頭が良くて、うらやましいです」

「それなりに勉強していますから」


以前借りた彼の教本や丁寧にまとめられているノートからも、それは見て取れる。

昼休みや放課後に図書室で勉強している姿だって、これまでに幾度も見た。


「でも、なんだか急いでいるように感じます」


食事の時間を削って勉強しているのは、価値観の問題だと言われれば理解できる。

いつも沢山の本を読んでいるのも、単純に好きだからかもしれない。


けれど彼に親しい友人がいないのは、作らない理由があるのかもしれないと、最近なんとなく思うようになった。


「それは先程おっしゃっていた、探し物と関係しているのでしょうか」


一瞬、シリル君のペン先が止まった。

彼は目前の教本のページを左手で流すと、再び続きを書き始めた。


「限られた時間の中で、しなくてはならないことがあるからです」

「しなくてはならないこと、ですか?」

「……あなたに教える必要性を感じません」


そう言って脇にペンを置くと、書き上がった紙を私に差し出した。


「できました。解いてみてください。分からなければ、解説します」

「ありがとうございます」


最終的にテストの問題用紙より厚くなった紙束を受け取って、黙々と解く。

大問をひとつ終えて顔を上げると、シリル君は前の席で本を読んでいた。


「どうしましたか」

「いえ、なんでもありません」


顔を上げないまま投げかけられた言葉に、首を横に振った。


私は再び問題に視線を落とす。ええと、これは反作用の威力と方向から算出するから……。

解き終わった瞬間、目の前でぽつりと、小さな声が聞こえた。


「気持ちだけ、頂いておきます」

「え?」


顔を上げれば、頬杖をついて窓の外を見るシリル君の横顔。

夕日の赤に目を細めて、彼は言葉を続けた。


「先程の話です。探し物を、手伝いたいと言ってくださったでしょう」

「でも、余裕がないのは事実ですし……」

「すみません。先程は、きつく言いすぎました」


シリル君はどこか戸惑ったように目を伏せて言うと、こちらを向いた。


「何事も最初から出来る人はいませんから。あなたのペースで進めればいいと思いますよ」

「……シリル君は、なんだか年下に思えません」

「ひとつかふたつの話でしょう。関係あるとは思えませんが」


途端、声に不機嫌そうな色が混じって視線が逸らされる。

――よかった、と思う。いつものシリル君だ。


「それよりも、次を解いて頂けませんか」

「はい」


再び本に視線を落とした横顔を見て、ふと思う。


ああ、私は彼が好きなんだなと。

きっと、彼にとっては迷惑でしかないだろうけれど。






先生から彼女の補習を頼まれた時、特に深く考えることもなく『分かりました』と答えていた。

その結果が、今の状況だ。


目の前で真剣に文字を追う彼女を、本から顔を上げずに覗き見る。

彼女の授業の理解度は、それは酷かった。けれど一応は想定範囲内だ。


今は彼女が間違えた問題から適当に選んで、関連する基礎の例題でも特に重要なものを初級IIIと中級Iから抜き出して渡してある。

特に質問がないから補足はしていないが、彼女ならば寮の夕食の時間までには要点を掴めるだろう。


因みにそんな彼女を横目に自分が今読んでいるのは旧時代の魔術力学関連の複製本だが、これは完全にハズレだった。

序文は悪くなかったのだが、途中からどうも理論がおかしくなり、八割読んだ時点でこれ以上は時間の無駄だと結論づける。


未だ現代語に翻訳されていない時点で、お察しではあったのだが。

過去の遺産に玉石混交なのは仕方がない。


――僕が今探しているのは、旧魔術文明時代の公式だ。


魔術文明は五百年程前に一度滅んでおり、大半が過去の遺産となっている。

現代魔術はそれを一部継承しつつも、それとは系統を分かったものだ。


探し始めた切っ掛けは、そう遠くない過去にある。


あれは、五年程前の……とても寒い、冬の雨の日のこと。

魔術院で研究員をしていた父とその助手の母が死んだ。事故死だった。


当時九歳だった僕は、旧魔術文明関連の研究者である祖父に引き取られることになる。


祖父は元々駆け落ち同然に結婚した両親をよく思っておらず、当初から風当たりは強かった。

更に、僕に魔術師として特出した素養が無いことも追い打ちをかけた。


あの人には出来損ないと言われた僕も、幸い記憶力だけは良かったらしい。大抵の内容は、一度読めばすぐに思い出せる。

それに彼は半端者の僕を屋敷の外に出そうとはしなかったから、本を読む時間はいくらでもあった。


その内、屋敷の蔵書の傾向に気付いた。魔術使用時にロスするエネルギーについて。消費された魔力の再精製。特定環境における魔力の偏向。そしてそれらが一つの公式に集約されること。

けれどその式には現代魔術では未知の要素と成り得る変数が多くあった。


だから、調べることにしたのだ。

祖父が探しているだろう、その本当の公式を。


運が良いことに、大体の属性はそれなりに扱える。

特出した能力はないが、すべての能力を全く同じように(・・・・・・・)使うことができたから。


もし、それでも認めて貰えないのであれば――。


そこまで考えて、かたんとペンが倒れる音に僕は顔を上げた。

目の前には、例題を数問残して夢の世界へ落ちてしまった彼女がいる。


窓の外は、既にだいぶ暗くなっている。

彼女に余計なことを言ったせいで、面倒なことまで思い出してしまったようだった。


僕は溜息を吐いて、本を閉じると席を立つ。


「こんな場所で寝て、風邪を引きたいんですか。あなたは」


机上に置かれたインク壺の蓋を締める。

僕は彼女を揺り起こすため、その華奢な肩に手を掛けた。


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