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3. 昼休みの図書室

昼休みが始まると、シリル君はいつも鞄を片手にどこかへと向かう。

そういえば昼時に彼の姿を食堂で見かけたことはない。


教室を出る彼とすれ違うように、友人のメリッサが小走りにこちらへ駆け寄ってくる。

直前の選択授業で彼女が履修している占星術は、時計塔最上階で講義があったはずなので、急いで教室に戻ったにしては少しばかり早い気はするけれども。


「ティナ、お昼に行かない?」

「ごめんなさい。今日は用事があるのです」


口を突いたのは、自分でも思いがけない言葉だった。

もしかすると私は自分で思っている以上に、彼のことが気になっているのかもしれない。


「そっか。いつもの席にいるから、来れそうならおいでねー」

「はい!」

「それじゃあ。おーい、リリちゃん」

「その呼び方は止めろと、いつも言っているだろう!」


メリッサの呼び声に、もう一人の友人は不機嫌そうに返した。

むくれるメリッサをいなしながら、リリィは行っておいでとこちらに優しく手を振った。


私はそんな彼女に小さく頭を下げて、教室を出る。


確か、シリル君が向かったのは――。

教室を出て右に進めば、階段前の曲り道で彼の後ろ姿を見つけた。


なんとなく覚えのある道順を横目に、こっそりと後を追えば目の前には図書室。


「なにをしているんですか、あなたは」


ドアの前で一度立ち止まったシリル君は、そう言って私を振り返った。

足音は抑えていたつもりだけれど、無駄な努力だったらしい。


「ええと、気づいていたのですね」

「むしろ、何故それだけ堂々と後ろを歩いて、気づかれていないと――いえ、答えは結構です」


どこか呆れたような空気は気にせず、私は小さく首を傾いだ。


「お昼休みに、どこへ行かれるのかと思いまして」

「あなたには関係ありません」

「いつも食堂ではお見掛けしないので、気になったのです」


シリル君は、溜息を吐いて図書室の中に入る。

放課後は賑やかなドア付近にある新書の棚も、昼休み開始直後の今は誰もいない。


彼は迷わず歴史書の棚の奥にある、いつもの席に座ると隣の椅子に鞄を置いた。

そのまま鞄の中から数冊の教本とレポート用紙を取り出す。


私は鞄とは反対隣の席に回り込んで、教本のページに当たりをつけているシリル君に問いかけた。


「……なにをしているのですか?」

「見て分かるでしょう」

「図書館でお勉強、ですか?」

「ええ。放課後は時間が惜しいので、課題は昼の間に片付けるようにしています」


シリル君は視線を教本の課題ページに落として答える。

問題を数秒眺めては、調べることもせずに、すらすらとレポート用紙に文字を書き並べてゆく。

私は隣の席に座って、そんな彼をぼんやりと眺めた。


あっという間に最初の課題が終わったのか、教本を入れ替える姿を見て、ふと思う。


「おなか、空きませんか」

「とくには」


流れるように動くペン先は止めずに、シリル君は言った。

なんとなく予想はしていたけれど、どうやら昼食をとる気はなさそうだ。


「ご飯はしっかり、食べた方がよいですよ?」

「朝食は食べています」

「最近は暑くなってきたので、倒れてしまうのでは……」

「問題ありません」

「あの、私クッキーでよければ持っているので、一緒に食べませんか?」

「結構です」


全て即答だった。

しかも、徐々に返答が短くなっている気がする。


そっと手元を覗き込めば、紙の上には以前書いてもらったメモのような綺麗な字が並んでいた。

私の視線に気づいてか、シリル君は一度ペンを止めると顔を上げた。


「じっとこちらを見られても、迷惑なんですが」

「ご、ごめんなさい」

「なにかしたら、どうですか。そうしていても、時間の無駄だと思いますよ」

「ええと……」


これはこれで、私は楽しい。

実際に口にすれば、呆れられる気しかしないけれど。


私は束の間考え込んで、たぶん良案を思いついたのだと思う。


「レポート用紙、分けて頂いてもよいですか?」

「どうぞ。教本も好きに見てくださって構いません」


シリル君は他の教本と予備のペンを鞄から取り出すと、レポート用紙の束と合わせて机の中央に置いた。

私は昼休みの残り時間をちらりと確認して、先程の講義の記憶を辿る。


手に取ったのは1枚のレポート用紙と中級術構成の教本。

今日出された課題は確か、第二節の最後にある例題を全て解いておくこと、だった気がする。


無言で課題をこなすシリル君の横顔をもう一度見て、私も早速取り掛かった。


「ええと」


シリル君とは違って、数ページ前を参照しては手順を確認しながら文字に書き落とすので、ペンは中々進まない。


最初の数問を解き終えた頃、不意に隣から手が伸びてきた。

驚いて顔を上げると、シリル君の細くて綺麗な指が私のレポート用紙の一部を二回叩いた。


「そこ、魔術式の前提が間違っています」

「……え? どこでしょうか」

「この条件式です。ひとつ前と、見比べてください」


それだけ言うと、シリル君は自分の課題に戻った。


指摘されたのは、序文の条件式。

魔術の誤発動を防ぐための、前提条件を書いた部分だった。


水属性の魔力が規定値で、風属性の魔力が水属性の魔力を一定より上回った場合だから――。


「……。あ」


大小を表す記号が、逆になっていた。

後者の条件を通過すると、おそらく式の中盤で魔力不全になり発動しない。


実行したところで、術が確定する前に魔力が霧散するだけなので被害が出ることはないけれど。

もちろん、課題の回答としてはダメだ。


「ありがとうございます」

「いえ」


短い言葉が、けれど毎回返してもらえるようになったのは最近になってからだ。

けれどなぜかそれが、自分でも驚くほど嬉しく思える。


「シリル君は、とても頭がよいのですね」

「あなたと一緒にしないでください。それより、手を動かしたらどうですか」


そうですねと返してから、自分でも確認のために教本をめくった。

課題に集中している時は気づかなかったけれど、改めてページを見て、ふと気づく。


本文脇の注釈欄には、お手本のような字で沢山の書き込みがあった。

その中には幾度か耳にした、講義後に彼が先生に質問していた内容と同じものもいくつかあって。


「シリル君は、努力家さんなのですね」

「違います。時間を無駄にする気がないだけです……有限なものですから」


最後の言葉に少しだけドキリとして、私は目を伏せた。


「そうですね。時間は、とても大切なものです」


軽く目を瞑って、時計の音に耳を澄ませる。

目を開いた後の世界は、一瞬だけ時がゆっくりと進んだ気がした。






放課後と違い、昼休みの図書室は酷く静かだ。

抑えた笑い声の混ざる雑談も聞こえなければ、人の足音もしない。


耳に届くのは、この空間を共有する数人が静かに本をめくる音と、自分の筆記音くらいだろう。


――昨日までは、確かにそれだけだった。


今、僕の目の前にいるのは、先月編入してきたティナ・シルフェードという人物だ。

最初に自己紹介をしていた気がしなくもないが、正直なところ詳しく覚えてはいない。


僕は一旦課題を解く手を休め、彼女を見た。

若草色の大きな瞳で一心に僕が渡した教本の文字を追っている彼女が、こちらの視線に気付くことはない。


耳に掛けられていた彼女の淡い栗色の髪が、一筋レポートの上に落ちる。

それを片手で掬って掛けなおし、なにか小さく呟いているのは恐らく今解いている課題についてだ。


答えを提示することは簡単だったが、僕はそれをせずに視線を自分のレポート用紙に落とした。


可愛らしい雰囲気の彼女は、けれど相当変わり者だと思う。


一般教養は人並みだが、魔力関連は苦手で特に魔術力学と薬草学は酷い。

反応は少し鈍くて、理解力は人並みだがひとつの一々時間が掛かる。


基本的にはいつも笑顔で、クラスの女子生徒二人といることが多いが、大抵聞き役に回っているようだ。

彼女が唯一積極的に話しかけてくるのが、僕に対してだった。


最初は彼女はよく喋る性格で、みんな僕と同じ状況なのだと思っていた。

隣の席だからと僕にまで気軽に声を掛けてくる、迷惑な存在だと認識していた。


違うと気づいたのは、つい数日前だ。


未だに彼女が僕のなにが気にかかるのかは分からない。

けれど、そんな彼女を気が付けば視線で追いかけるようになった。


彼女はよく笑う。案外世間知らずで、よく不思議そうな表情で首を傾いでいるのも見かける。

けれど時折、ひどく大人びた表情を浮かべるのだ。普段は、彼女がひとりきりでいる時。それと、つい先程。


不相応な微笑みに、なぜか咄嗟に声を掛けようとして、けれど僕がそんな事をする必要はないのだとその時は言葉を飲み込んだ。

彼女に関しては、自分でもどう思っているのかよく分からなくなり始めた。


ふと、目の前で悩みながら文字を綴っていた彼女のペン先が止まる。


「あの、シリル君……」


彼女はいつも不用意にこちらに踏み込んでくる。

けれどそんな現状を、思ったほど嫌だと感じていない自分がいた。

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