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1. 最初の会話

新しい生活というのは、大抵なんの前触れもなく始まる。


――ここが今日から通う学校、ですね。


今立っているのは、王都にある魔術学校の、広い校舎の二階突き当りに位置する教室のドアの前。

先日まで通っていた田舎の学校とは、空気が全然違っているような気がして、私は大きく息を吸うと、ぎゅっと両手を握りしめた。


ここまで先導してくれた、私が編入するクラスの担任だという背の高い女性が『だいじょうぶ?』と小さな声で問い掛けてくる。

はい、と頷いたつもりだったが、その声は緊張で音にならなかった。


「まぁ問題児は何人かいるけど、言葉は通じるから意外となんとかなるわよ」

「ええ、と」

「冗談だから、そんなに緊張しないで」


そう言って、彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべる。


「心配しなくても、貴女なら大丈夫よ」

「……はい」

「よし、それじゃあ行こうか」


彼女は私に片目を瞑って見せて、目前のドアを大きく開いた。


「はい、それじゃ全員席についてー」


片手でノートを弄びながら真っ直ぐ教壇に向かう彼女の背を、数歩遅れて追いかける。

沢山の視線が私に向いているのを肌で感じて、鼓動が更に早くなった気がした。


本来、この学校の入学や編入は春と秋の月初めからだ。

けれど私はどうしても準備が間に合わなかったために、今日は春風月の三日。

このクラスでも既にグループが出来上がっていることは、ほぼ確実だと思っていい。


更に言うのであれば、私がこうして学校に通うのは実に一年ぶりだ。

不安になるのも、仕方ないといえるだろう。


「気になるのは分かるけど、一度静かにしてくれるかな」


手を叩いて生徒の会話を遮ると、担任の彼女は私を振り返って小さく手招きする。

数歩近付いた私に笑いかけて、彼女は教室をざっと見渡した。


「なんとなく察してるとは思うけど、彼女は編入生です。自己紹介、できる?」


最後の言葉は緊張し切っている私に向けて、少し小さな声だった。

それに頷いて、顔を上げて前を見る。


教室の八割くらいの視線を一斉に向けられたことに思わず怯みかけて、けれど私は精いっぱいの笑みを浮かべて一礼した。


「ティナ・シルフェードと言います。以前はルズベリーの魔術学校に通っていました。これから、よろしくお願いします」

「じゃあ、あなたの席は……。ああ、シリルの隣が空いてたわね」


そこ、と担任の彼女に示された指先を辿れば、窓際の最前列にひとりで座る、周囲より頭一つ分は小柄な黒髪の少年。

机に広げた分厚い本を読んでいた彼は、一瞬だけこちらに目を向けて、けれどすぐ手元に視線を戻した。


特に返事もないので、拒否ではないのだと思う。

彼の隣に自分の教本が入った鞄を置き、私は椅子を引いて座る。


「よろしくお願いしますね」


担任の彼女が出席確認を始めた声を遠くに聞きながら、私は隣の少年に声を掛ける。

彼は面倒そうに顔を上げるとこちらを一瞥して、けれど何も答えないまま再び本に視線を落とした。






私が編入した新学期三日目にあった委員会決めで、私は図書委員に立候補した。

本は以前から好きだったし、同じ本好きの人達との会話の切っ掛けになればいいなと思ったのもある。


他に手を挙げる人も居なかったため、クラスの図書委員はあっさりと私に決まった。


因みに隣の席のシリル君は、その話し合いに参加する気配もなかった。

絶対、彼は本が好きだと思ったのだけれども。私の勝手な思い違いだったのかもしれない。


編入五日目の放課後、私は現在図書室で本の整理と貸出し作業中だ。

当番は図書委員が全員で順番に持ち回りになるため、数週間に一度程度しかない。私はこの場所が気に入っているので、結局毎日来てはいるのだけれども。


先程までは、教室で私のひとつ後ろの席に座っているメリッサという少女がこの場に居たのだが、彼女は本というよりよく図書室にいる一つ上の先輩が目的だったらしい。

先輩の観察ついでに貸出カウンターで作業を手伝ってくれていたのだけれど、彼が本を持ってこちらに近づいてきた瞬間、顔を真っ赤にして帰ってしまった。


『また明日、教室でね』そう言って貰えたことが、私もこの日常に溶け込めているようで嬉しかった。


時計を見れば、閉館まで三十分を切っている。

道理で、図書室の中の人も少なくなってきたはずだ。


司書の先生が残していった作業も終えてしまったので、実は貸出希望者が来ない限り私にはやることがない。


新書コーナーにあった、好きな作家さんの本を借りてしまおうか。

奥の棚に読んだことのない旧作もあったから、新作は他の人に譲るべき気もして少し悩む。


ぐるぐると考えながら、ふと窓際の席に視線を向ける。

そこには、編入してから会わない日はないといっても過言ではない、黒髪の少年。


図書室の中でもあまり人気のない歴史書の棚の近くなので、その姿はとても目立っていた。


そう、隣の席のシリル君は、この図書室の常連さんだ。

ただ今日に至るまで、会話らしい会話は一度もできていないのだけれども。


始業前や休み時間に時々話しかけてはみるのだが、本に集中しているようで返事をもらえたことはない。


「本がお好きなのは、間違いないと思うのですけれど」


こっそり覗いた本の文字は、現在の王国公用語でなかったため私には読めない。

旧時代の複製本か他国の魔術書の類だとは思うのだけれど。残念ながら会話の切っ掛けにはできなかった。


というよりも、彼があまり会話をしないのは、私に限った話ではない。


「どうして、いつもおひとりなのでしょう」


成績優秀で先生方からの信頼も厚く、クラス内でも必要であれば会話もするし、しっかりと割り当てられた役は果たしてくれる。

けれど、どこか壁があるのだ。それは悲しいことに、ちょっぴり、私に対して特に顕著ような気がする。


彼が他人を遠ざける理由は思い浮かばないけれど、私も理由あって一人の時間が長かったので、切っ掛けさえあればなんとなく仲良くなれそうな気がした。根拠は、全くないけれど。


そんなことを考えている間に、時間は閉館十五分前になっていた。

図書室内には、既にシリル君と私しかいない。


私は少し悩んで、貸出カウンターを離れると彼の背中に声を掛けた。


「隣に座って、良いですか?」

「お断りします」


即座に言葉を切り捨てられて、思わず瞬きをする。

シリル君は固まった私に少し眉を寄せて、後ろを振り返った。


「……席なんて、他にいくらでも空いているでしょう」

「シリル君と、お話がしてみたいのです」

「迷惑です」


にべもなく一蹴されてしまった。

仕方がない。隣の席は断られてしまったので、私はひとつ間を置いて同じテーブルに座った。


シリル君は文句を言いたそうにこちらを一瞥して、けれど何も言わずに手元の本に視線を落とした。


「なんの本を読んでおられるのですか?」

「…………」

「今日のカトラ先生の課題、難しそうでした。期限が三日では、今日から急いで調べないと大変です」

「…………」

「この席、校門の木が良く見えるのですね。緑が多くなっているのを見ると、夏が近づいてくるのだと感じます」


シリル君は、ページを捲りかけた手を止めて私を見る。


「……何がしたいのですか、あなたは」

「シリル君と、お話がしてみたいのです」


最初と同じ言葉を、もう一度繰り返せば溜息が返された。

視線はすぐ紙の上に戻されて、けれど彼は顔を上げないまま淀みない答えが返ってくる。


「僕が読んでいる本を、あなたに教える必要性を感じません。課題は副読本298ページから310ページを見れば、ほぼ答えが載っています。外の木にも季節にも興味はありません」

「そうなのですね! 後ほど副読本にも目を通してみます」


副読本に記述がある内容だったとは、盲点だった。提出期間が短く設定されている訳だ。

そのカトラ先生の副読本を脳裏に浮かべて、私は思考が止まった。


私の記憶が正しければ、それは間違いなく1000ページ越えの代物だったはずだ。

シリル君は、その全てを覚えているとでも言うのだろうか。私とは頭の出来が全く違うのだと改めて実感する。


「シリル君は、凄いですね」


思わず呟いた言葉に、返事はもちろんない。


ふ、と視線を窓の外に移すと、強い夕日が目に刺さる。

あれ、と私は内心で首を傾いだ。最初に彼が言った通り、席はいくらでも空いているのに。


「景色がお好きでないのなら、どうしていつもこの席なのでしょうか。目が疲れてしまいませんか?」


私の疑問に答える気はないようで、シリル君は無言のまま本を読む。

それは、図書室では当たり前のことではあるけれども。


耳に届いたチャイムの音に、私は立ち上がった。


「もう閉館の時間ですね。貸出カウンターの片付けをしてきます」


視線を感じた気がしてシリル君の方を見るが、彼の視線は本に向けられたままだった。

気のせいだったかな、と思いながらカウンターを片付ける。


机上の備品を引き出しに仕舞って、鍵をかける。これを教員室に戻せば、今日の作業は終わりだ。

次に私が顔を上げた時には、先程の席にシリル君の姿はなかった。

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