わしはきびだんごを知らない
「おばあさん、どうぞきびだんごを作って持たせてください」
明日、鬼退治に向かう桃太郎はおにぎりを作るわしにそう言った。その言葉にわしは心の中で首を傾げた。わしはおにぎりを作るのを止めて振り返る。
「きびだんご……」
忌まわしき邪悪なる鬼を退治するため立ち上がった勇ましく可愛い桃太郎の頼み事、出来ることなら叶えてやりたい。しかし、今すぐそれが出来ないのには理由がある。それは、わしが――――きびだんごを知らないからだ。
「はい。きびだんごはとても美味しい物らしいのです。それを持って鬼退治へ行けば、頑張れるような気がするのです」
期待に満ちた目で、桃太郎はわしを見つめる。やめておくれ、そんな目でわしを見ないでおくれ。桃太郎は知っておっても、わしは知らんのじゃ。桃太郎の何倍も生きているこのわしが知らず、若者の桃太郎が知っている。それだけで相当恥ずかしい。それをここで告白するのも辛い。
「おにぎりじゃ駄目かの? もう沢山作ってしもうたんじゃ……」
わしは竹皮に入ったおにぎりを見せつける。作り立てホヤホヤの白米の匂いを、桃太郎に必死に嗅がせる。ほ~れ美味しそうじゃろ、頼むからきびだんごのことは忘れておくれ。しかしそんなわしの企みも知らず、桃太郎は言う。
「おにぎりも持って行きます。ですが、きびだんごも持って行きたいのです。おばあさん、どうかきびだんごを私に下さいな」
「虻蜂取らずじゃ桃太郎。人生二つ同時に選ぶことなど出来ん、さぁどちらか一方、美味しそうな方を選ぶのじゃ」
わしがそう言うと、桃太郎は口をへの字に曲げて悲しそうな表情でわしを見つめた。
「私は……そんな選べなんて……しばらくのお別れではないですか。出来るだけ多くおばあさんの作った物を……」
「桃太郎……」
わしは自分の愚かな思考を責めた。恥ずかしくなった。これから凶暴な鬼を退治し、命の危険を顧みず鬼ヶ島へと向かう桃太郎。しばらくは離れ離れとなる。わしやおじいさんのことが恋しくなることもあるだろう。そんな桃太郎の願いを、わしは捻じ曲げなかったことにしようとした。なんと恥ずべき行為であることか。
「分かった。きびだんご、明日沢山持たせてあげるけぇの」
「おばあさん……! ありがとうございます! 私は明日に備えて精神統一をして参ります。きびだんご、楽しみです!」
桃太郎は目を輝かせ、元気良く外へと走り去っていった。こういう所は成長しても変わらないものだと思った。それを見て嬉しくも切なくも思ったが……。
「はぁ……どうしたものか」
が、今わしに思い出に浸っている余裕はない。きびだんごとは何か、まずそこから考えなくてはならないのだ。囲炉裏で温まっているおじいさんに問いかけてみる。
「おじいさんや、きびだんごは好きかね?」
「……」
おじいさんから返事はない。先ほどから何やら静かだなとは思っていたが、まさか――。わしが顔を覗き込むと、おじいさんは気持ち良さそうに眠っていた。座ったまま、微動だにせず眠っている。背を向かい合わせる前は、桃太郎のことを真剣に考えていたはずなのに。考え過ぎて眠ったようだ。
「はぁ……もうこんな時間じゃしのぉ。近所の人に聞くに行くのも忍びない」
外は真っ暗だ。その闇の中、桃太郎は精神統一をしている。
「桃太郎、必ずやきびだんごを作り上げてみせるぞ」
わしは今まで生きていた知恵を使い、きびだんごを作り上げることを誓った。
「きびだんご、きびだんご……」
とりあえず、きびだんごの正体を見極めなくてはならない。だんごとつくくらいなのだから、きびだんごは餅を使うことは明らかだ。問題は”きび”の部分、きびとは何だ。何かの食材の略称か、頭文字でも取ったのか。きびだんごを連呼してみるが、”きび”の正体はそう簡単に見抜けそうもない。それが見抜けない限り、作る工程には進めない。
いや、もう見抜けたとしてもその食材がない可能性がある。この時間帯町に行くのは危険過ぎるし、老体にこたえる。それに店など開いていないだろう。
「き、き……き? 餅に使える”き”のつくもの……はっ!」
わしの頭の中で雷鳴が響いた。閃きを得たのだ。わしの脳内に浮かんだのは、きな粉だ。きびだんごの”き”を司るものは間違いない! きな粉以外にあり得ない。
「きな粉じゃ!」
「ん、ん……」
わしの大声におじいさんが反応した。が、起きた訳ではないようだ。わしは芝刈りで疲れているおじいさんを起こしてしまわぬよう、慌てて息を潜めた。
”き”と”だんご”の正体は分かった。問題は”び”。頭文字で”び”がつく食材が浮かばない。わしの知らない高級食材の可能性も上がってくる。きびだんごは貴族達が食べていて、それがわしら民の下へと伝わって来たのかもしれない。ともなれば、わしにきびだんごを作り上げることは不可能なのでは……? そんな考えがわしの心を覆う。
「いかんいかん!」
桃太郎のため、そんな負の感情を抱いていてはいけない。大変な使命を果たすべく桃太郎は鬼退治に向かうのだ。わしに出来るのは精々その旅のお供の食料を用意してあげることくらい。それを投げ出す訳にはいかない。何が何でもきびだんごを完成させてみせる。
「……とりあえず、一度きな粉と餅を使って作ってみようかねぇ」
きびだんごではなく、きだんごを作ってみることにした。作ってみることで何かまた閃きを得ることが出来るかもしれない。いや、得させて欲しい。天からの閃きという名の恵みを心から望む夜であった。
***
かれこれ数時間経過した。桃太郎も精神統一を止めて、囲炉裏の近くで横になって眠っている。わしが作っているきだんごを見て、きびだんごだと勘違いしたのか感謝しながら眠った。
そこで気付いたのだが、どうやら桃太郎はきびだんごを見たことがないようだった。このきだんご状態でもきびだんごだと思ってしまったらしい。
何か閃きを得ることが出来るかもしれない、と作ってみたが天からの恵みを得ることは出来なかった。ただただきびだんごではない物が大量にあるだけ。
「はぁ……」
深夜、獣が活発になる頃だ。わしも眠気に襲われていた。おじいさんは変わらず座ったまま眠っているが、わしもこのままだと作りながら眠ってしまいそうだ。
「駄目じゃ……きびだんごを完成し、仕上げるまでは……」
視界がぼやけ、頭がクラクラする。手も思うように動かない。
「んぉ……おぉ……がくっ」
わしは負けてしまったのだ。自身の欲望に抗うことも出来ず、桃太郎のささやかな願いさえも叶えてやることすら出来ない。鬼退治でこれから苦難の道を歩むことになる桃太郎の手助けもすることが出来ない。自責の念に駆られながら、わしは深い意識の底へと引きずり込まれた――。
***
「ばあさんや、ばあさんや」
柔らかい優しい声が、わしの意識を覚醒させた。目の前にはおじいさんが心配そうな表情を浮かべて、わしの顔を覗き込んでいる。
「おじいさん……はっ!」
わしは自身のしてしまった過ちを即座に思い出した。目の前にあるはずのきだんごを探してみるが、それらは綺麗さっぱりなくなっていた。
「も、桃太郎は!? それにここにあった――」
「おばあさん!」
背後から凛々しくたくましい声がした。まだ出発していなかったのだと安心感を抱きながら振り返ると、そこには頭に鉢巻きをつけ、帯刀し、戦場に行く武士のような格好をしている。勇ましさと男らしさが溢れ出ていた。
「桃太郎……」
「おばあさん、私はこれから鬼退治に行って参ります。必ずや鬼から奪われた大切な物を持ち帰り、再びこの村に平和が戻るよう……おばあさんが作ってくれたこのきびだんご……とても美味しそうです。今すぐにでも食べたい気分ですが、それではおばあさんに申し訳ありません。二人のことが懐かしく恋しくなったら、味わいながらおにぎりと一緒に食べようと思います。夜中まで作ってくれていたんですよね、私のために……おばあさんのためにも私は頑張ります。帰って来たら、また三人で平和に暮らしましょう」
桃太郎は決意を露に、腰につけられた袋を触った。そこにあれが入っていると言うのかい? 桃太郎、そこに入っているのはきびだんごではなくて、きだんごじゃよ。しかし、そんなことを言える空気ではなく、わしはただ微笑むしか出来なかった。
「寂しくなるのぉ……ばあさんや」
おじいさんは優しく肩を叩いた。
「そ、そうですねぇ。ちゃんと生きて帰って来るんだよ」
わしは立ち上がり、桃太郎の下の傍へと歩んだ。いつの間にか抜かされてしまった身長は、圧倒的な差となってしまった。最初は桃から現れた小さな赤子だったと言うのに。
「はい、行って参ります」
桃太郎は頭を深く下げた。わしは深い深い罪悪感に駆られていた。何故ならここまで感謝してくれている桃太郎に持たせているのはきびだんごではなくて、きだんごなのだから。
真実を知らぬまま桃太郎は鬼退治へと向かうため、わしらに背を向けて家を出る。わしらもそれを追いかける。
「桃太郎も立派になったもんじゃ、嬉しいことじゃの」
おじいさんは桃太郎の背中を見ながら言った。
「わしも同じことを思っていましたよ」
もう長くは一緒にいられることはないけれど、その姿を見れることだけがわしらの喜びであった。鬼退治に行ってしまう間は、その姿を見ることは出来ないが、桃太郎が帰って来るまでは生きなくてはならない。
「そういえば思っとったんじゃが……きびだんごとはなんじゃ?」
「……美味しいだんごですよ」
結局、おじいさんも知らなかったようだ。桃太郎にきびだんごが美味しいものだと吹き込んだのは、近所の人なのかもしれない。
「桃太郎ー! 頑張って来いよ!」
「鬼なんてやっつけちゃって!」
家の周りには既に多くの村人が集まっていた。桃太郎に対する期待の大きさが容易に想像出来る。その村人達に桃太郎は何度も何度も頭を下げると、家の門の前で立ち止まり、こちらに振り返った。しかし、何を言う訳でもなく口を固く結ぶと、また前へと進みだした。それっきり、桃太郎がわしらの方を見ることはなかった。たった一人で村を出て、鬼退治へと向かう桃太郎の背中はたくましくも寂しそうに見えた。
あぁ、せめてきびだんごを作ってやれたのなら……。そう考えている間にも、桃太郎の背中は遠くに消えていく。このままでは、と背徳感に駆られたわしは桃太郎を追いかけようとした。しかし――。
「ばあさんや、わしらは帰りを待つだけじゃ」
おじいさんに腕を掴まれた。わしは別に寂しさに駆られ、桃太郎を引き止めようとした訳ではない。ただ真実を告げたいと思っただけだった。こうしている間に、桃太郎の姿は完全に見えなくなった。
「あぁ……」
わしは天国ではなく地獄行き決定じゃ。愛する子を欺き、鬼ヶ島へと送り出した。きびだんごではなく、きだんご。この罪は重い。本当のきびだんごを食わせてやりたかった。桃太郎が帰って来るまで、わしはこの罪の意識にさいなまれながら……。
「ばあさんや、なしてそんな苦しそうな表情を浮かべておるんじゃ? はっ! まさか、病気!?」
「違いますよ! わしはこの歳まで風邪一つ引いたことないんじゃから……」
「ほっ……」
おじいさんは胸を撫で下ろした。
「びっくりするくらい健康体なんじゃよ……」
地獄までの道のりは遠い。
「ほっほっほっ、さてわしは山に行くとするかのぉ。桃太郎が頑張っとるのに何もせん訳にはいかんけぇの。ばあさんは川に洗濯に行くんかい?」
「えぇ、そうしますよ」
思えば、桃を拾ったのもこんな呑気な会話をした日だった。天気も良くて、穏やかな空気。あれからそう日が経った訳でもないが、同じような日に桃太郎の大きな成長を見ることが出来るなんて。
「途中まで一緒に行くとするかの」
「そうですねぇ」
桃太郎が帰って来たその日には、真実をちゃんと伝えようと思う。桃太郎がきびだんごだと思って持って行ったそれは、わしが作ったただのきだんご改めきな粉だんごだと言うことを。平和になったこの村で、それを笑い話に出来る日が来るのを願って――。