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歌声は恋を隠せない  作者: 三島 至
番外編・神様の国へはまだ行けない
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知らない歌声

 

 どこからか、途切れる事無く続くその音を、カトレアはよく知っていた。

 間違いようも無い。耳に馴染んだ旋律。

 母リナリアが、カトレアに聞かせてくれた歌と、同じ音だった。

 しかし……


(声が、ちがうわ)


 カトレアは窓枠に両肘を乗せた。自分の腕を寝せて頭を預ける。そうして暫く歌に身を任せていたが、どう聞いても、声の主はリナリアではない。


 リナリアが歌う、神様の国まで届きそうな、伸びやかで美しい声では無い。でも、今聞こえてくる歌は、ひかえめで、穏やかで、耳を通るとすっかり安心してしまうような、優しい声をしていた。


(誰が歌っているのかしら……)


 初めて聴く声だと思った。

 話す時と歌う時の声は少し違うから、正確には分からないが、少なくともカトレアには、普段屋敷で顔を合わせる使用人達の誰とも、当てはまらないような気がした。


 何だかずっと聴いていたいような声だ。落ち込んでいるカトレアを励まして、深い所で溺れていた心を、掬いあげてくれるような。

 まるでカトレアのために、歌ってくれているみたいだ。

 そんな訳は無いと思いながらも、都合の良いように考えて、カトレアは自分を慰めた。


『これは、おじいさまの歌よ』


 母によると、これは祖父の歌なのだという。

 リナリアの母親である、カトレアの祖母――アザレアが、グラジオラスのために作った歌。今は、リナリアがグラジオラスのために歌う歌。


 カトレアは、祖母に会った事が無い。祖母はサイネリアやカトレアと出会う前に、先に神様の国へ行ってしまったから。

 どんな人かは、実際には分からない。だけど、リナリアがこの歌を歌う時、祖父は、とても幸せそうに微笑むのだ。



 フレーズが後半に差し掛かると、カトレアは少し焦った。

 このまま聴いていても良いが、いずれ歌は終わってしまう。そうすると、声の主が分からなくなってしまう。

 歌はどこから聞こえてくるのか、誰が歌っているのか。

 何故だがカトレアは、今この歌を追いかけなくてはならないと思った。



 ※



 グラジオラスがサイネリアを抱えて歩いていると、バタバタと落ち着きなく歩き回る使用人達を見かけた。


「何かあったか」


 グラジオラスの声に、使用人の一人が立ち止まり、「あっ、グラジオラス様」と駆け寄ってくる。彼は厨房担当の使用人だった。

 彼らが今立っているのは使用人棟ではなく、屋敷の主人らの居住部屋近くで、厨房とはかけ離れている。他にも庭の整備担当や、明らかに多い掃除担当などが、廊下を行き交っていた。


 グラジオラスが説明を求めると、使用人は、抱っこされているサイネリアを微笑ましげに見た後、「それが……」と口を開いた。


 貴族らしくという理由ではなく、子供から長時間目を離すと危険という理由で、カトレアには常に誰かが側に控えている。一定の距離をとって、彼女の遊びの邪魔にならないように、そっと見守っているのだ。

 だが、広いレユシット邸の中で見失ったとしても、子供達はいくらもしないうちに、自分で父母の元へと戻ってくるので、大事になることはあまり無い。


 しかし今日のカトレアは、一瞬一人になった隙に姿を消してから、もう随分と見付からないままなのだという。


「普段ならもう戻ってくる頃なのに、まだ帰ってこないので、そのうち何かあったのかと、カトレアお嬢様の部屋担当の者が血相変えて探し始めまして……」


「それで屋敷の者総出で捜索中という訳か」


 グラジオラスが目線を腕の中に向けると、サイネリアはしがみつく力を強め、不安そうに眉を下げていた。


「私もサイネと一緒に探しているところだ。見つけたら皆に知らせる」


 立ち去ろうとするグラジオラスの背中に、サイネリアをじっと見ていた使用人が「あっ……」とやや名残惜し気な声を漏らしたが、すぐに真面目な顔つきになり、カトレア捜索へと戻っていった。

 屋敷の皆は、サイネリアの事が大好きなのだ。いつまでも眺めていたいくらいに。

 そしてもちろん、カトレアの事も。



 次は庭を見てみるかと、祖父と孫息子は外へ向かった。

 グラジオラスは長い歩幅でぐんぐん進む。サイネリアはそれが面白いのか、時々、「はやい、はやい」とぽそりと呟いた。最初は高さに怯えていたサイネリアだが、少し慣れて余裕が出てきたらしい。はしゃぐような小さな呟きに、グラジオラスは得意になってサクサク歩くのだった。


「おじいさま、おじいさま」


 くいくい、と袖を引っ張られて、歩調を緩める。


「何かきこえます」


 サイネリアは遠くの音を拾うように目を閉じた。「誰かが歌っているみたいです……」グラジオラスも耳をそばだててみるが、歌は聞こえない。


「リナリアか? カーネリアン君と出掛けたと思っていたが……」


 当代のレユシット夫妻は外出中である。

「違います。お母さんじゃないです」ふるふる、と首を振るサイネリア。グラジオラスは怪訝そうに、眉間に皺を寄せた。この屋敷で歌うのは、リナリアくらいのものだ。

 まだ聞こえていると言うサイネリアに対し、グラジオラスには、草木を撫でる風の音しか届いてこない。

 サイネリアには分かるのに、グラジオラスには分からない……


「……サイネ、私にはよく聞こえないんだ。誰が歌っているか、わかるか?」


 グラジオラスは未だ若々しく、体力の衰えもさほど感じてはいない。だが、もう孫を二人も持つ歳である。

 実は老化は、耳にきていたのだろうか……と、やや衝撃を受けながら、サイネリアに歌の主を尋ねた。


「えっと……誰の声かは、分からないです。でも、あっちの方からきこえてきます」


 相変わらずグラジオラスには聞こえなかったが、彼は孫が指差す庭の奥へと、言われるがまま足を進めた。





続きます。

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