可愛い孫
幼い子供が、広大なレユシット邸の廊下をちまちまとゆく。
その様子を、グラジオラスは後を付けて眺めていた。
本当は、一人でいる孫を見付けた瞬間、すぐさま構いに行こうと思った。
だが何やらサイネリアは、こそこそと人目を気にして、隠れている様子。
グラジオラスは、いきなり構いに行くのをやめて、孫の目的は一体何だろうと考えた。
別にグラジオラスまで隠れるつもりは無かったのだが、少し距離を取っただけだというのに、小さなサイネリアは後を追う者には全く気付かずに歩き続ける。
なんだか面白くなって、そのままこっそりと付いて行く事にしたのだ。
あまり進まない、小さな歩幅が愛らしい。
孫の一生懸命な歩き方に和みつつ、いつグラジオラスに気付くだろうかと、わくわくしながら小さな背中を見守る。
(昔、リナリアが迷子になった時みたいだ)
リナリアが歌ったアザレアの歌を、初めて聴いた日を思い出す。あの時のリナリアと違って、サイネリアの足取りに迷いは無い。
生まれた時から過ごしている家だ。もう道は分かっているのだろう。
だがその余裕からか、背後からの視線には中々気付ない。
そうこう歩いていく内に、グラジオラスは何となく目的地が分かってきた。
そして、まずいな、と思う。
(オーキッドは先ほど……何やら余裕の無い、えらく性急な様子で……ビオラを部屋に連れ込んでいった気がするが……)
……深くは考えない。
考えないが……しかし。
久しぶりの帰宅に、最愛の妻の出迎え、そして部屋に籠りきりとなれば……自ずと想像がつく。
身内の気恥ずかしさもあり、さも気付いていないような振りをしていた。
だが何も分からないサイネリアが、部屋に突進してしまうのは困る。
しかしまだサイネリアの目的がオーキッドだと決まった訳では……
下手をすると墓穴を掘ってしまう……
などと考えていると、既にそこは、疑いようもなくオーキッドの部屋の前だった。
とうとう最後まで、気配を悟られないまま辿り着いてしまった。
グラジオラスは内心慌てながら、サイネリアの白パンのような柔らかな手を、きゅっと握りしめて、突進を阻止したのだった。
※
グラジオラスとサイネリアは、大きな手と小さな手を、柔らかく繋ぐ。
祖父と孫の身長には差があり過ぎたので、グラジオラスは随分と腰を曲げて歩かなければならなかった。
サイネリアと接している片側だけ屈むという無理な体勢が、多少辛くなってくる。
グラジオラスは、オーキッドの部屋から大分歩いたところで、「……サイネ、ちょっといいか」と断って立ち止まると、再度その場にしゃがみこんだ。
「……?」
サイネリアはきょとんとして、言葉になっていない妙な音を、口から溢した。そのまま閉じ忘れた口を、ぽかんと半開きにして、祖父を見上げている。
「…………っ」グラジオラスはまた、にまにまと笑いそうになる口元を、何とか引き締めて、サイネリアの肩と膝の裏に手を回した。
「……っぅわ!」
祖父によって体を持ち上げられたサイネリアは、わたわたと慌てた声を上げる。
グラジオラスは危なげなく、小さな孫を抱き上げていた。椅子のようにした片腕に、サイネリアの腰を乗せる。
体を支えるために祖父の肩へと手を置いたサイネリアは、おそるおそる足下を見下ろす。それから、急に高くなった視界に固まった。
怯えてぷるると震えると、グラジオラスの首にしがみついて、それきり黙りこむ。
そのまま歩き出したグラジオラスは、首に触れる小さな温もりに、とうとう「ふふ……」と抑えきれない喜びを漏らす。
ーー父親であるカーネリアンに抱き上げてもらうと、サイネリアは、それはそれは嬉しそうに笑うのだーー
リナリアとカーネリアンが可愛い喧嘩をした時に、ビオラから聞いた話だ。
手帳を隠し持っていた事が、知られてしまった事が原因だったか。
怒っていたのはリナリアだけで、カーネリアンは彼女の機嫌をとるのに苦労していた。
とはいえ、グラジオラスがその話を微笑ましく聞いていられたのは、リナリアの怒りに触れた喧嘩の原因の、当事者になる前までだったのだが。
何はともあれ。自分には見せない、少し甘えたなサイネリアの様子を聞いたグラジオラスは、その可愛い現場に居合わせなかったため、柄にもなく枕に顔を埋めて子供のように唸ったものだ。
唸ったのは、孫の可愛らしさ半分、悔しさ半分。
――羨ましい。自分ももっと、サイネリアに懐かれたい。
オーキッドやビオラに対する、可愛い孫息子の懐きぶりを考えると……グラジオラスは少し、いやだいぶ、孫との触れ合いが足りないのではないか。
グラジオラスにとってはオーキッドも、それは可愛い弟ではあるが、それとこれとは話が別だ。
好きな者同士の仲睦まじい様子は、大変微笑ましいものだが、羨ましいものは、羨ましいのだ。
祖父を前にすると、可愛い孫は何故だか引っ込み思案になってしまう。
何となく避けられている気がするのは、恐らく気のせいではない。
だから孫と二人の今は、念願叶った気持ちでもあるのだ。
ふふ……とグラジオラスが呑気に笑っている一方、サイネリアにしてみれば、それどころではなかった。
大好きな父親相手とは違い、少しだけ怖いと思っている祖父が、うっかり腕の力を抜いてしまうのではないかと、気が気では無いのである。
記憶にある限りでは、祖父を怒らせた事は無かったが、だからこそ、不興をかった時にどうなるのかが分からないという怖さがある。
「今日は、カトレアは一緒ではないのか」
心なしか上機嫌な祖父が、カトレアの事を尋ねてくる。
サイネリアはほとんど常にと言って良いくらい、カトレアと一緒に居る。祖父もその事を知っているのだろう。
混乱によって一瞬忘れていた目的を、「はっ」と吐き出した息と共に思い出したサイネリアは、そうだった、と焦りだした。
もごもごと、「どうしよう」と落ち着きなく身動ぎする。そんなサイネリアに、グラジオラスは優しい声音で声をかけた。
「カトレアと、喧嘩でもしてしまったのか?」
どこか心配を含んだ言い方に、サイネリアは警戒を緩めて、祖父の服を弱く掴んだ。
「……喧嘩、じゃないと思う……んです」
聞かれるまま、ついぽつりと溢す。
「けど……」歯切れ悪く、何と言ったものかと迷う。
原因がはっきりとは分からないので、オーキッドに知恵を借りようと思っていたところなのだ。
「カトレアの、元気が無いんです」
言いながら、落ち込んでいってしまう。
「どうしてなのかは、分からないんです……」
最近のカトレアは、ツンとして、あまり相手にしてくれない。直接、「どうして元気が無いの」と聞いても、きっと教えてくれないだろう。
「だから、だから……オーキッドさんに……」
言いかけのまま、サイネリアは思いの外意気消沈してしまった。
身動ぎも止めて、リナリアとそっくりの顔でしゅん、とする。
グラジオラスは、真面目な顔を装って考えた。
些細なすれ違いでも、小さなサイネリアにとっては大事件なのだ。
カトレアも、幼くとも女の子。繊細な乙女心の機微や変化など、サイネリアにはまだ難しいかもしれない。いや、大人にとっても、簡単な事では無い。
しかし、それはそれとして。
(サイネに垂れ耳うさぎの帽子でも被せたら、似合うのではないか?)
頭がお花畑になっているグラジオラスは、項垂れたサイネリアの丸いつむじを見つめながら、「可愛い孫だな……」と思ったままを口にしていた。
続きます。




