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歌声は恋を隠せない  作者: 三島 至
おまけ
79/91

日記騒動

本編最終話の裏話です。

 


 カーネリアンは、現状を前にある事を思い出していた。





 それは、リナリアがまだ強気で、我が儘に振る舞っていた頃の様子だ。


 当時は傲慢な彼女の態度に苛立つ事もあったが、全てを知り、想いが重なった今では、過去の悪態さえ愛しく思う。

 幼い頃、リナリアがつきまとってきた理由は、カーネリアンが思うような「一人だけ自分に靡かなくて、面白く無い。それに珍しい」という興味本位ではなかった。

 ただ彼女が、カーネリアンに恋をしていただけだった。

 後から語られたそれらも、彼女の日記を盗み見た事で先に知った真実も、相当な破壊力を持ってカーネリアンを悶えさせた。


 リナリアは容姿も、歌声も、神様の遣いのように美しく、いっそ神々しいが、書く文字すらも綺麗だ。

 手元に残った日記の、丁寧に綴られた文字を繰り返し追う事は、なかばカーネリアンの習慣となっていた。


 悪い事をしている自覚はあった。これは本人から譲られた物ではない。リナリアの落とし物が、巡ってカーネリアンの所にあるだけだ。

 夫婦になったのだから、すぐそばにリナリアはいる。いつでも会える。幾らでも機会はあった。本来ならば、返さなくてはならないのだと思う。

 しかしカーネリアンは、誰にも見せるつもりのなかったであろう、彼女の本当の気持ちだけが詰まった、この日記が欲しかった。

 その内容の殆どが、カーネリアンに向けられた恋心なのだ。

 フリージアへの嫉妬、苦しい片想い、歌声に滲む隠しきれない恋情。

 最初の頁からずっと、いかにカーネリアンを想っているかが、包み隠さず語られている。

 自分の物にして、大事にしまっておきたかった。


 だが、結婚してからも頻繁に読み返していたため、とうとうリナリアに現場を見られてしまった。

 書斎にこっそり日記を持ち込み、立ったまま頁を捲っていた所、可憐な妻が扉を開けたのだ。


「いた、カーネリアン、あのね……」


 夫を探していたらしい彼女は、可愛いらしい砕けた口調で、何か言いかける。しかし、目敏くカーネリアンの手にある物を見付けると、海の瞳を目一杯見開いて、戦慄いた。


「そ、それ……もしかして……それ!」


 驚き、青ざめ、そして羞恥から顔を真っ赤に染めて、リナリアはカーネリアンに詰め寄った。


「無くしたと思ってた、私の手帳に……似てるんだけど……?」


 確信はしているようだが、嘘であって欲しいと言うように、確認してくる彼女の瞳は、絶望の色で潤んでいる。

 カーネリアンは一瞬、誤魔化そうかとも思ったが、あまりの愛らしさに思わず「うん」と正直に溢してしまった。

 次の瞬間。


「どうしてカーネリアンが持ってるの!?」


 リナリアは子猫のように喚きながら、日記に手を伸ばす。カーネリアンは、苛めるつもりは毛頭無いのだが、つい、ひょい、と手を上げて日記を遠ざけた。


「いじわるしないで!!」


 カーネリアンの方が背が高い。いつもより小さく見えるリナリアが、背伸びをして、日記に向かって必死に跳ねる。

 悪いのはカーネリアンだ。許しを乞うべきも。しかし……


(駄目だ、可愛い……)


 カーネリアンは悪人もかくやと、顔をにたりと歪ませていた。

 正直、ちょっと楽しかった。


 素直になってからのリナリアは、優しく控えめで、基本、おっとりしている。

 だからこんな、毛を逆立てるようなリナリアを見るのは、相当珍しかった。


 カーネリアンが一人にやにやしていると、力尽きたのか、リナリアはだらんと腕を下げて項垂れた。

 そろそろ謝ろうかと、彼女の肩に手を置いた、直後、信じられない事が起こった。


 カーネリアンの手を、叩き落としたのだ。

 あの、夫にぞっこんの、リナリアが。


 これには、カーネリアンもしまった、と思った。

 普段見られないリナリアの様子が可愛くて、楽しくて、やり過ぎてしまった。

 彼女を本気で怒らせたようだ。


 自分で思うよりも動揺して、次の手を打てないでいるカーネリアンを、顔を上げたリナリアがきつく睨み付ける。


「私の言うことが聞けないの!?」


 横っ面を殴られたような衝撃だった。

 複雑だ。反省とは違う感情が一気に脳天から突き抜ける。

 これは、このリナリアは――――


「それは私の日記よ! 返しなさい!」


「嫌だ」


 上手い言い訳が思い浮かばず、駄々をこねるしかなかった。


「わ、私が返してって言ってるのよ、生意気だわ!」


 ――――ああ、決定的だ。

 リナリアの新しい側面を発見した事が衝撃過ぎて、彼女の怒りを沈めるどころではない。


 カーネリアンは、現状を前にある事を思い出していた。

 昔の、呪いにかかる前の、リナリアみたいだと思った。


 どうやら、彼女は極限まで怒ると、昔の癖が出てしまうらしい。

 人に言うことを聞かせたい、自分を強く見せたいという思いからくる虚勢なのだろう。

 敵わないと思ったから、強気で自分を武装して、反抗しているのだ。


 恋を自覚する前のカーネリアンは、それが嫌いだった。リナリアの本質を知る前は、彼女の思い通りになどなってやるか、と抵抗していた。

 でも今は、こんなに……


「リナリア、可愛い」


「なっ」


「ごめん。謝るよ。許して」


「なっなっカーネリアン、なんか変!」


 逆にカーネリアンが素直になると、今度はリナリアが違和感を覚えるようだった。


「まあ、日記は返さないけど」


「日記って……知って……やっぱり読んだのね!?」


「だって、俺にあてたラブレターだろう?」


 にっこり笑って見せると、リナリアは顔を火照らせたまま暫し固まったが、すぐに「か、返して……」と同じ言葉を繰り返した。勢いは弱まったが、中々手強い。


「家宝にしようと思っているんだけど」


「やめなさい!!」


「じゃあこうしよう。俺もリナリアにラブレターを書くよ。だからこれは頂戴?」


「えっ……」


 想いを確かめ合って、子供も生まれて数年経つというのに、夫からの恋文欲しさに揺れるリナリア。

 これで折れてくれるかと期待したが、やはり日記は譲れないようで、逡巡した後、リナリアは激しく首を振った。


「それでも駄目!」


「駄目かー」


「か、かわいく言っても駄目!!」


 別に可愛く言ったつもりはないのだが、彼女の目と耳も、恋で曇っているらしく、現実とは違って感じるようだった。

 嬉しい事だ。ずっとそれでいい。


 言い負かせないと悟ったのか、やがてリナリアは「おっ、お父さんに言い付けてくる!」と子供のような事を言い、廊下に飛び出した。

 グラジオラスを味方につけるつもりらしい。


「ああ、お義父さんも、この日記読んでるよ」


 カーネリアンはさらりと義父を売り渡す。

 父に泣きつくリナリアなんて、可愛いに決まっている。自分が見られないなら断固阻止だ。


 父共犯説に、リナリアはぴたりと立ち止まると、怒りの矛先を分散させた。「お父さんまで……!」と唸っているが、全然怖くない。愛らしいだけだ。


「二人とも、私は怒っているのよ!」


 リナリアは不遜な態度のまま、「ちょっと文句を言ってくる!」とグラジオラスの元へ向かって行った。

 日記はいまだカーネリアンの手の内だが、いいのだろうか?


 あの態度も懐かしい。

 昔を思い出す。今思えば、勿体無い事をしたと思う。全身で、好きだと言われているみたいなのに。

 気付かなかった自分の目は、ランスの言う通り、本当に節穴だったのだろう。


 カーネリアンは日記を棚の奥に隠すと、一息吐いた。


「さて……」


 リナリアの嵐が、屋敷を一通り過ぎたら、機嫌を取りに行かなくては。

 喧嘩が長引くと厄介だ。先に息子を味方につけておこう。


 リナリアの叔母にあたるビオラと、その夫オーキッドに、息子はやけに懐いている。彼は何故だか、ビオラやオーキッドの前では、やや拙い、すました敬語を使って、少し大人ぶるのだ。そして恐らく今も、ビオラの部屋に入り浸っているだろう。


 母に似た美しい顔立ちと、亜麻色の髪。

 リナリアが好きだと言ってくれた、カーネリアンと同じ、赤い瞳を持つ息子。


 彼を迎えに行くために、カーネリアンは書斎を後にした。

 可愛い息子を思い浮かべて、微笑みながら。













 〈終わり〉


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