掌中の珠・ビオラ二十八歳
強がりを言った。
ビオラは今では、意地でオーキッドを口説いているだけだ。彼の意思は頑なで、揺らいでいるようには見えなかった。ビオラは焦りを感じてもいる。一番美しい盛りは、過ぎてしまった。後は老いていくだけだ。ここまできては、オーキッドがビオラを選んでくれる可能性は、殆ど無いだろうと思っていた。
いつまで、平気な顔をして、オーキッドを見つめていられるだろう。無理をして、明るい声で言い寄るたびに、ビオラは考えた。
せめて、オーキッドが誰も選ばなければいい。ビオラが結婚出来なくても、彼が誰とも結婚しなければ、最後まで笑っていられる。しかし、もし彼が、大切な人を見つけてしまったら、今度こそ、ビオラになすすべはない。
ビオラは、高をくくっていたのだ。限界は思ったよりも近かった。ほんのささいな出来事で、崩壊してしまう程度の脆さだった。
ビオラは、リナリアのことは好きだ。仲がいいとも思っている。しかし、オーキッドが彼女に甘いというのは、羨ましかった。段々、妬ましいと思うようにもなっていた。オーキッドはリナリアに対して、距離を作っていないように見える。ビオラに対して感じる壁が、二人の間には無い。
リナリアは、グラジオラスに愛され、オーキッドに愛され、最愛の人と結ばれて……ビオラはふと、自分は誰の一番にもなれないのだと、泣きたくなった。
一番になりたかった人を、手に入れる事は出来ず、父親は、グラジオラス以外に興味はなく、グラジオラスとは、お互いに別の、一番大切な人がいる。
ビオラは泣きたかったが、一人で泣きたくなかった。慰めてほしかった。出来る事なら、オーキッドの胸に顔を寄せて、そのまま体に腕を回して欲しいのだ。
この恋は、もうすぐ終わるのだと、ゆっくりゆっくりと、実らず枯れていくのだということを、ビオラは受入れなければならない。
ビオラが部屋を出ようと、扉を開けた時、ノックしようとしていたグラジオラスと目が合った。
どうやら自分に用があるようだと、上げていた手を下ろすグラジオラスに、「何か? ジオ兄様」とたずねる。
グラジオラスは、「いや……」と少し言いよどんだ。根気強く見つめていると、決心したように、用件を口にする。
「少し、出かけてくる。……父に、挨拶してくるよ」
そう言われて、ビオラは、グラジオラスの最初から下ろされていた手を見た。花束が握られている。
「そう……もうそんな時期なのね」
「ああ。……ビオラも一緒に行くか?」
「いいえ。お父様もきっと、ジオ兄様だけの方が、喜んで下さるわ」
「そんなことはないと思うが……結局最後まで、頑固な人だったからな……ビオラが誤解するのも、無理はないが」
グラジオラスは苦笑する。歳を取っても、なお美しい兄だった。このグラジオラスを、父は愛してやまなかった。
ビオラは、何が誤解なの? と思ったが、口には出さなかった。あの父は正しく、グラジオラス以外はどうでも良かったのだと、ビオラは思っている。ビオラの結婚に関しても、ただ興味がなかっただけなのだ。レユシット家は、無理に他家と婚姻を結ぶ必要が無かった、だから、ビオラが無理やり婚約させられることも無かった。それだけだ。
「ジオ兄様が好きになった方は、どうしてジオ兄様と一緒にならなかったんでしょうか……」
全てに選ばれてきたグラジオラスが、手に入れられなかった恋。アザレアの存在に、ビオラは興味があった。
意外な事を聞いたというように、グラジオラスは瞠目した。
「今度、ゆっくり話そう。ビオラには、愛する人と離れることなく、幸せになって欲しいと、私は思う」
兄は微笑んだ。言われた内容から、想像する。
――アザレアさんは、愛する人と離れても、幸せだったという事? 私の愛する人は、ジオ兄様も知っているはずよ。私には、きっと、無理だわ……。
こんなに苦しいのに、幸せになんかなれない。そっと頭に手を乗せてくるグラジオラスに、その優しい仕草に、ビオラは泣き出すまいと堪えるのに必死だった。
その後の事だ。気持ちを落ち着かせてから、ビオラが屋敷内を歩いていると、美しい亜麻色の髪が視界を掠めた。
カーネリアンの妻になったリナリアだ。ビオラは、情けなく思いながら、彼女に話を聞いて欲しいと思った。廊下の角を曲がり、見えなくなった背中を追う。
「オーキッドさん! 帰って来てたんですか?」
リナリアの嬉しそうな声が耳に入る。上げられた名前に、ビオラは驚いた。彼が帰ってくると、連絡は受けていない。言い方からするに、リナリアも知らなかったようだ。
「いやあ、ちょっとね、時期だから、一応父の所へ花を持って行ったら、兄さんと会ってしまって。家に帰って来い! とうるさいものだから……予定には無かったんだけどね」
「嬉しいです、おかえりなさい、オーキッドさん」
「ただいま。リナリアさん」
オーキッドの姿を見たくて、ビオラも彼に声をかけようとした。最初にリナリアの背中を捉えて、次に、向かい合うオーキッドが目に入る。穏やかな眼差しで、姪を見下ろす彼は、リナリアがねだるように腕を伸ばすと、それに合わせて両腕を広げた。
リナリアが、跳ねるように、オーキッドの胸に飛び込む。ビオラからは見えないが、きっと満面の笑みだ。ぎゅっと抱きついた。オーキッドは、広げた腕の中に、リナリアがおさまると、羽をとじるように、優しく、彼女の背中に腕を重ねた。
ビオラの思考は白く霞んだ。
「オーキッドさん、何だか嬉しそうですね? 何かあったんですか……?」
「ああ、実はね……」
ビオラは歩いてきた方へ体を向けた。二人の声が遠ざかる。聞こえていた声も、もはや意味を理解出来なかった。髪が乱れるのも構わず、走り出す。どこへ向かっているのか、自分では分からなかった。ただ、思い出を辿るように、オーキッドを見つめ続けた場所に、足は向かっていた。




