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歌声は恋を隠せない  作者: 三島 至
番外編
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高嶺の花・ビオラ十五歳③


 とある夜会で、オーキッドが女性に微笑みかけるのを見た。抱きつかれれば、気軽に抱きしめ返す所も。顔を寄せられれば、ビオラには決して見せない色気のある表情をする。オーキッドよりも年上に見える女性の腰を引き寄せ、寄り添う姿。考えてみれば、それらはどれも、当たり前のように行われてきている事なのだ。ただ、オーキッドが、ビオラの前ではやらなかっただけで。


 オーキッドは徹底して、ビオラの恋情を、消そうとしているのだろう。しかし、ビオラは傷つくばかりで、思いが消えて無くなることは無かった。いっそ彼の望みどおりに、消えてくれれば良かったのに。


 見かけるのはどれも、違う女性だった。だがその夜、網膜に焼き付いて離れない顔を、オーキッドの視線の先に見つけてしまう。あの日、学校帰りに、オーキッドと抱き合っていた女性だった。

 オーキッドは、少し離れると言って、ビオラを置いて行った。その女性を追っているのは明らかだ。いけないと思いつつ、彼の後をつけずにはいられない。


 人目を避けるように、彼が広い庭に出る。暗い辺りに、夜会の光がもれ出ている。気付かれないように、少し距離を取ってついて行った。やがて彼は、待ち人である女性の前で足を止めた。


 ビオラは隠れる場所を探す。ビオラが立っている側にあるベンチの後ろに、小さな木があった。その後ろに身を隠し、葉の隙間から、様子を窺った。


 一体自分は、何をしているのだろう。こんなことに、何の意味もない。ビオラは唇を噛んだ。どうして、どうして。あの日の言葉が、頭の中を巡る。

 どうして、自分ばかりが好きなのだろう。こんなに辛い思いをしなくてはならないのだろう。

 オーキッドの気持ちを、ビオラが決める事は出来ない。だが、理不尽に思う。この恋は、どうすれば報われるのだと。


「貴方も、馬鹿なことをしているのね」


 不意に、女性の声が聞こえてきた。慌てて二人に意識を集中する。女性は妖艶な仕草で、オーキッドの頬から顎にかけて、指を這わせる。赤い唇が、オーキッドの顔に近づく。

 オーキッドは目を細めた。微笑むように、何も言わずに、女性を待っている。それは肯定の仕草にも取れた。

 やめて。叫びそうな心を抑えようと、ビオラは葉の先を強く握ってしまう。その拍子に、かさりと音が鳴った。汗が滲む。

 目を閉じたオーキッドと、女性の唇が重なる。止まって欲しくない時に、時は止まるのだ。ビオラにとっては、彼らが口付けている間は、永遠にも感じられた。

 唇が離される時、オーキッドは細く開けた目で、横を見た。視線だけを、少し離れたベンチの方へ向けている。ビオラは、葉を避け過ぎていた。ビオラの片目は、向こうからも見えているだろう。

 視線が交わった。


 たっぷりと見詰め合ったのに、オーキッドはその顔に表情を乗せずに、女性を一度、きつく抱きしめた。


「魅力的な女性を前にしたら、馬鹿にもなるさ」


 オーキッドの声からは、どんな感情が宿っているのか、読み取れはしない。

 ぽつりと、手に水滴が落ちた。ビオラは、また自分が泣いているのかと思ったが、すぐに連続で、ぽつぽつと肩や頬をぬらす水は、涙では無い。

 雨が降っていた。



 二人が去った後、ビオラはベンチに腰掛けた。雨は強くなっている。もう濡れても構わなかった。会場に戻りたくなかったのだ。

 好きな人が自分を見てくれないのは、死ぬほど辛い。

 もう、駄目かもしれない。

 ビオラは、自分では、ほんの数分座っていたつもりだったが、目の前にオーキッドが立った事で、時間の経過を知らされた。

 雨は止んでおり、オーキッドの服は濡れていない。


「ビオラ、何をやっているんだ!」


 めったに声を荒げないオーキッドが、きつい眼差しで、ビオラを叱る。ビオラの体は、ぐっしょりと濡れて、髪からも雨が滴っていた。オーキッドに手を貸され、立ち上がる。温かい手に触れて、ビオラは自分の体が芯まで冷え切っている事を知った。


「……目が、合ったわ」


 脈絡のない返事を返す。だが、オーキッドはそれが何の事か分かったようだ。口を噤み、ビオラの言葉の続きを待っている。流石にこの時は、遮る事はせず、聞いてくれるようだった。


「分かっていたのね? 私が居る事、いいえ、追う事を」


 会場を出た時から、オーキッドはわざとやっていたのだ。ビオラが後をついてくると分かっていて、また、同じ事を繰り返そうとした。諦めの悪いビオラに、何度でも諭すように。


「あの人の何がいいの……」


 なんて酷い。

 オーキッドは、ビオラがどれほど彼のことが好きなのかは、恐らく理解していないのだ。きっと、少しこういった場面を見せられれば、そっと諦められる程度だと思っている。

 ビオラが、どれだけ傷つくかなんて、理解していないのだ。

 何も考えたくなかった。ただ、もうずっと、ビオラは彼に抱きしめて欲しい。抱きしめて、お願い、そう言いたかった。


「私が、キッド兄様に抱きつくことはあっても、抱きしめ返しては、くれなかったわ」


 だが口から漏れたのは、責めるような言葉だった。


「キッド兄様はいつも、私の事は、抱きしめてくださらないわ……!!」


 私がこうなっているのは、貴方のせいよ。

 ビオラは止め処なく涙を流す瞳に、そんな気持ちを込めて、オーキッドを睨んだ。

 よく分からない、それからのことは。ビオラはひたすら、今まで言えなかった、言わせてもらえなかった思いのたけを、全てぶつけた。




「いい加減に、してくれないか……」


 とうとう、オーキッドに止められた時、その言い方から、ビオラは怒られると思って、身構えた。

 しかし彼の声は、怒るというよりは、悲痛な、許しを請う声に聞こえた。


「ビオラが好きなのは、兄としての俺であって、異性としてじゃない。俺が男として迫りでもしたら、きっと怯えて、二度と俺を好きだとは言えなくなるよ。俺はビオラのことを、妹としか思っていない。

 君は男に酷くされたことがないんだろう。俺はね、兄さんやビオラみたいに、生粋の貴族とは違うんだ。どんなに染め直したって無駄なのさ。レユシットの家名は、俺には重過ぎる。

 分かってくれ、頼むから…もう……」


 オーキッドは、辛そうに、顔を歪ませた。今にも泣き出してしまいそうだった。


「なあ、頼むから、馬鹿なことはしないでくれ。もう、止めるから。ビオラがちゃんと諦めるまで、他の女性とは付き合わないから……君が他の人を好きになるまで、ちゃんと待つから……」


 ビオラは、傷ついている。オーキッドも、傷ついているようだった。彼女が雨の中を動けなったことにも、今までビオラが、オーキッドの行動によって傷ついていたことにも。

 全て逆効果だったと、オーキッドは言った。ビオラが自然と、彼以外を好きになるまで待つしかないのだと。


 だから、オーキッドは、家を出る事にしたのだ。

 結局一緒にいては、ビオラがオーキッドを忘れられるはずがないから。





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