64 婚約
リナリアとカーネリアンの婚約が正式に発表された。
カーネリアンは、仕事の合間、リナリアに会いに、レユシット邸へ足繁く通う。
カーネリアンが訪ねて来ると、リナリアは満面の笑みで出迎えた。既にリナリアの中には、フリージアとの事に関するわだかまりは無い。
含みのないリナリアの笑顔を見て、カーネリアンも目を細めた。
結婚するにあたって、カーネリアンがレユシット家に婿入りする事になる。これはグラジオラスが、カーネリアンに出した条件だった。リナリアを側に置いておきたいという主張だったが、名門レユシット家入るからには、カーネリアンに求められる事も大きい。
ラドシェンナ家は、カーネリアンが王国騎士になるための手助けをできればいいと、その程度の考えだった。まさか名門レユシット家の令嬢と婚約する事になるとは思わず、カーネリアンは矢継ぎ早に質問される羽目になった。
騎士団でもそれは変わらず、婚約発表されてから、会った知り合いには全員に聞かれ、知らない人間からも声を掛けられる。妬まれることもあった。うまくやったなと、忌々しい様子で言われる事もある。
それらを煩わしいとは思ったが、大した問題では無かった。リナリアと想いが通じ合った今、多少の雑音はカーネリアンを素通りする。元々カーネリアンは、リナリア本人に言われる事を除けば、他人の悪態で傷つくほど、繊細な性格はしていないのだ。
ただし、ハルスは別だ。カーネリアンは彼の誤解だけは解いておこうと、話す機会を作るつもりだった。
お誂え向きに、リナリアが騎士団を見学したいと言い出したので、その時に紹介することにする。
リナリアは、騎士の制服を着たカーネリアンをひたすら褒めた。夜会で見た深紅の騎士姿は、筆舌に尽し難いほど、素晴らしかったと、力説する。照れくさいが、嬉しくないはずが無いカーネリアンは、気を良くして、リナリアの頼みに簡単に頷いてしまった。
騎士団の見学は、事前に申請すれば可能だが、カーネリアンは渦中のリナリアを連れて行くのは気が引けた。しかし、職場でのカーネリアンも素敵だろうと、期待を込めた目で見られては、とても断れない。
また他人にうるさく言われるなと、面倒事を考えると憂鬱だったが、それを差し引いても、リナリアの笑顔は魅力的だった。
見学の申請はすぐに通った。
「ハルス、話があるんだけど」
カーネリアンに呼び止められ、訓練場に面した廊下で、ハルスが立ち止まる。最近はハルスの方が任務に忙しく、時間を取れないでいた。ハルスも心得顔で頷き返すと、休憩用の椅子を指差す。ちょうど訓練の小休止の時間だ。
「好きな人に告白するって話だけど」
「ああ」
カーネリアンが切り出すと、ハルスは渋面を作った。察するに、ハルスが考えていることはこうだろう。本命とは上手くいかず、レユシット家との縁談も断れなかった、と。
「俺の好きな人って、幼馴染なんだ」
ハルスは、これから未練がましい失恋話が始まるものだと思って、静かに聴く態勢に入った。カーネリアンは誤解されていることが手に取るように分かり、苦笑する。
取り合えずそのままに、話を続けた。
「その幼馴染が、先に地元から出てさ、俺はそれを追いかけて王都に来たんだ。すごく綺麗な子だよ。二年ぶりに再会したら、さらに綺麗になっていた」
もはやと、ハルスは沈痛な面持ちだ。結果は分かっているというように、遣り切れない溜息を漏らす。
「今日、その子が見学に来るから、ハルスにも紹介するよ」
カーネリアンは、至って普通に笑いかけたつもりだったのだが、ハルスには別の表情に見えたようだ。「最後の逢瀬ってことか……」と、小さく呟く。カーネリアンの耳にも届いていたが、あえて何も言わなかった。
昼になれば、本人が来る。その時分かることだ。
午前の訓練をこなし、昼の休憩時間になると、騎士たちは各々散って行った。騎士団の受付のところには、本日の見学者が尋ねてくる。ここでは受付も、日替わりで騎士が担当していた。
長い亜麻色の髪を靡かせた美しい女性に声を掛けられ、この日受付の騎士は、危うく心臓が止まりかける。
思わず、予定表に書いてある見学者の名前と見比べて、目を剥いた。見学者は珍しくないが、今日は一人だけだ。
あまりの美貌に戸惑いながら、案内させる騎士を呼ぶ。
「こ、ここに署名をお願いします!」
受付の騎士に言われ、透き通るように白い腕が書類に伸びる。受付はごくりと、唾を飲み込んだ。
リナリア・レユシット。
美しい字体で、そう記す。
呼ばれてやってきた騎士が促すと、彼女は受付に礼を言って、騎士団の建物に入って行った。
受付はその後姿から目を離せず、しばらく仕事にならなかった。
「そろそろ来るかな」
昼休憩も半ば、暇を持て余した騎士たちが訓練場に集まって雑談している。カーネリアンとハルスも訓練場の隅で座り込んでいた。
カーネリアンの呟きに、ハルスが身構える。ちょうどその時、廊下の奥に亜麻色が見えた。騎士に連れられ、訓練場へ近づいてくる。
リナリアは、カーネリアンの姿を視界に捉えると、顔を輝かせた。案内役の騎士を置いて、カーネリアンの方へかけてくる。
ハルスも気が付いて、カーネリアンとリナリアの顔を交互に見た。状況が理解出来ていないようだ。
「カーネリアン!」
カーネリアンが立ち上がるのと、彼を呼ぶ可憐な声に、訓練場の騎士たちが振りかえるのは同時だった。
「リナリア」
カーネリアンが笑顔で迎えると、リナリアは立ち止まり、上気した顔で彼を見上げた。
嬉しそうだ。
訓練場が一時静まり返る。
騎士たちは、二人の会話に耳を澄ませていた。
「リナリア、同僚を紹介しておくよ。彼はハルス。いいやつだよ」
ハルスの名前を出すと、本人は慌てて立ち上がり、「ど、どうも」と言って頭を下げた。
「はじめまして、リナリアです」
リナリアは朗らかに微笑んで、挨拶を返す。見るものを魅了する笑顔だ。
ハルスは顔を赤くして黙り込む。
カーネリアンはリナリアについて、説明を補足した。
「俺の幼馴染で、最近、婚約した」
「幼馴染……え! この人が!?」
首を勢いよく回して、カーネリアンに向き直ると、ハルスは叫んだ。「な、何をどうしたらこの人と幼馴染になれるんだ……!?」と訳の分からないことを言っている。
「リナリアが実家に帰ってしまったから、告白するのも大変だったよ」
しみじみと言うカーネリアンの言葉は、ハルスの頭に入ってこない。彼はまだ混乱していた。
無音だった訓練場に、騒がしさが戻ってくる。ざわざわと、リナリアを見て囁き合う声が、カーネリアンの耳に入った。
「これから午後の訓練だから」
呆然としているハルスの肩を叩き、訓練場へと押す。一言告げて、リナリアに軽く手を上げた。
「うん、見ているね」
小首を傾げて、目じりを下げる。亜麻色の髪が、風に揺れた。
愛しい婚約者に言われれば、頑張るしかない。
この日、カーネリアンの訓練は絶好調だった。
カーネリアンとの婚約が決まった直後、リナリアは、サーシスに言われた。
「ね、すぐ婚約したでしょう?」
彼が全て分かっていたのだと知り、自分が早とちりして、カーネリアンに祝いの言葉をかけたことに気付く。
恥ずかしい思いがして、暫し悶々としていた。
リナリアは呪いが解けたことを伝えるために、ミモザとフリージアにも手紙を書いた。書きながら、カーネリアンと結婚するという事実を再認識して、度々手を止める。リナリアは顔を赤らめて、溜息を吐いた。
貴族向けに、王都の教会で結婚式を行うことになったが、リナリアは、出来ることなら、生まれ育った街の教会が良かった。
リナリアも、花嫁に憧れてはいたが、実際に結婚できると思ったのは最近だ。リナリアの結婚式の印象は、王都の教会ではなく、神様の恩恵を受ける街の、小さな教会である。
そのことを、グラジオラスに控えめに言って見ると、二回あげればいいと、事も無げに言われた。
親しい人がいる所で、もう一度祝ってもらえばいいと、グラジオラスがさっさと手配してしまう。
親しい人、と言われて、そう多くは思い浮かばない。王都の教会に、神仕えと、ミモザと、フリージアと、一応ランスとだけ呼んでしまえば、事は済むと考えたが、グラジオラスが張り切っていたので、リナリアは黙った。
リナリアがレユシット邸に留まるということで、グラジオラスは比較的元気だ。
呪いが解けた翌朝に、グラジオラスは何も言わずに、リナリアの頭を撫でた。その時のグラジオラスは、どこか落ち込んだ様子だったが、憂いを帯びた海の瞳は、娘への慈しみに溢れている。
彼が何かを吹っ切ろうとしているのだと、リナリアには感じられた。




