46 過去・グラジオラス②
妹のビオラは物心付いた頃、グラジオラスに対して何処か怯えた態度を取っていた。
彼女は極力近寄って来ないようにしていたし、広い屋敷では家族と言えど、会わずにいることはそう難しいことでは無かった。
ビオラと親しくなったのは、オーキッドのほうが先である。
レユシット家に来た頃はまだ赤子だったビオラは、五歳頃には、物陰からオーキッドを見つめていることが多くなった。
オーキッドがそれに気付いていたかどうかは分からないが、グラジオラスはビオラの動向を気にして、ああ、また見ているな、と思っていた。
グラジオラスとオーキッドが完全に打ち解けた頃、グラジオラスがいない隙に、ビオラはオーキッドの所に寄って行ったらしい。
それから、オーキッドが一人の時を狙って話しかけているのを、グラジオラスは知っていた。
懐いてくれる血の繋がらない妹を、オーキッドは可愛がり、ビオラはますますオーキッドを慕っていった。
オーキッドは初め、レユシット家になかなか馴染めないようだった。
だがビオラが懐いたことと、グラジオラスがオーキッドと親しく接していたことで、彼もレユシット家で違和感なく過ごせるようになっていった。
オーキッドのおかげで、ビオラのグラジオラスへの苦手意識も薄まり、いつの間にか、ビオラはグラジオラスにも気兼ねなく声をかけてくるようになった。
妹に避けられるのは地味に傷ついていたため、兄弟仲が良くなるのは純粋に嬉しかった。
オーキッドの内心はあまり読めなかったが、比べて歳の離れた妹は、幾分分かりやすい。
グラジオラスは、妹を見ていて気付いたことがある。
ビオラにとって、オーキッドは特別だ。
ビオラは、オーキッドのことが好きなのだ。
彼女が彼に向けていたのは、家族愛ではなく、恋情だった。
ビオラの気持ちに気付いたとき、彼女を応援したい気持ちになった。
オーキッドになら、ビオラを任せられる。
だが、グラジオラスにとっても、オーキッドは特別だ。
彼もビオラのことを恋愛的な意味で好きであれば、これ以上のことはないのだが、もしそうでないならば、無理強いはしたくなかった。
弟にも、妹にも、幸せになってほしい。
オーキッドがビオラのことを、妹として大切に思っているのは伝わってくる。
しかし、女性としてはどうなのだろう。
オーキッドは、人当たりが良いが、誰に対してもそうなので、内心どう思っているか分からない。
グラジオラスはオーキッドを信頼しているが、彼の本心は窺い知れなかった。本当はビオラの気持ちに気付きながら、はぐらかしているのかも知れない。
面と向かって聞くことも出来なかった。それに、ビオラはまだ十歳で、オーキッドは十五歳だ。恋愛対象として見ているとは考えにくかった。
今はまだ、焦る必要はない。グラジオラスは、気長に様子を見ようと思った。
グラジオラスが二十歳になった頃。
当主というのも適切と言えるかは分からないが、バントアンバー家の男が亡くなっていることを知った。
バントアンバーは貴族社会でほとんど話題に上らないため、情報が流れてくる事は殆ど無い。
だがグラジオラスは、例の夜会にバントアンバー家を招待した、変わり者の貴族と会う機会があった。
彼から思い出したように言われたのだ。
父親が亡くなったので、バントアンバーの名前は消えますね、と。
最後の血筋だったはずなので、その男がアザレアの父親で間違いない。
どういうことだ、まだ娘がいるはずだ、と詳しく聞くと、娘は父親が亡くなる前から行方知れずだという。
グラジオラスはそれを聞くまで、焦っていなかった。
別段急がなくても、いつかまた会える気でいたのだ。
何かにつけて情報通のその貴族は、娘の生死は不明で、父親が生きているうちに売られたようだ、と言う。
バントアンバー家には借金があったらしい。
あの日聞いた、娘を怒鳴りつける声が脳裏に蘇った。
(あの男……!)
仮にも貴族が、借金の形に娘を売るなど。
既に死んだ男に対して、グラジオラスの中には怒りが湧き上がった。
どうせろくな死に方はしていないだろうが、生きていれば、殺していたかもしれない。
アザレアを探さなければ。
今まで呑気に構えていた自分を不甲斐なく思う。
オーキッドをレユシット家へ迎え入れて、ビオラと仲良くなって、グラジオラスが幸せに過ごしていた時、彼女はどんな辛い状況だったのだろう。
アザレアに会いたい、強くそう思った。
情報通の貴族は、興味深そうに、グラジオラスの様子を見ていた。
協力を求められた彼は、グラジオラスの望む情報を教える代わりに、何故バントアンバーの娘の居所を知りたいのか、理由を知りたがった。
子供の頃、夜会の隅でたった一度会っただけの少女。
グラジオラスは掻い摘んで、アザレアと昔知り合ったことを話す。
それを聞くと、さらに面白そうに、こう返してきた。
「それはまた……初恋ってやつですねえ。いいでしょう、面白いことには協力しますよ。バントアンバーの娘について、分かった事があればご連絡します」
アザレアの居所は、すぐとは言わないが、そんなに時間をかけずに見つけることが出来た。
予想はしていたが、アザレアは所謂、売春宿に売られていた。
貴族が利用するような高級娼婦ではなく、平民の中でも下層の客が多い場所で働かされているようだ。
売られてからまだ日は浅い。グラジオラスは急いだ。
家族に行き先は言えず、ほとんど黙って家を出てきた。
詳しくは告げずに、オーキッドに一言、長期の旅行に行くと伝えただけだ。
辛うじて王都の、端の端。
平民の住む区画の、雑多な道なり。
煌びやかな場所、整えられた場所ばかり見てきたグラジオラスにとっては、初めて見る光景だった。
グラジオラスのような貴族は、まず立ち寄らない場所だ。王都とはいえ、端まで行けばこういう場所もあるのだと知る。
目的の店に辿り着いたが、中に入るのに二の足を踏んだ。
本当にこんなところに、アザレアがいるのだろうか?
客として来たつもりはない。彼女に会うために必要ならば金は出すが、目的は、彼女をここから連れ出すことだ。
正面から入るのは躊躇われて、裏口に回った。
ここにアザレアという女性がいないか、まずは聞こう。
彼女の知り合いだと言って、金で済むならまだ穏便だ。
受動的な彼女なら、グラジオラスがここから連れて行くと言っても、黙って着いてきそうな気もする。
そうでなくては困る。
軽くノックしてみたが、返事は無かった。取手を回すと、鍵は掛かっていない。グラジオラスは勝手に扉を開けた。
扉を叩く音には気付かなかったのか、部屋の中には中年の女性が、扉に背を向けてしゃがんでいた。
彼女は人の気配を感じてか、振り向きながら、「なんだい! 今取り込み中だよ!」と怒声を浴びせてくる。
だがグラジオラスの顔を認識するや否や、呆けた顔になり、急に態度を改めて客に媚びるような声を出した。
「お客様、ご利用は表からお願いします」
中年女性は、誰かの髪を掴んで、床に押さえつけていた。
穏やかとは言えない。
彼女は慌てたようにその人物を背に隠すと、口の端と目尻を歪ませた。
貼り付けた笑みと声音で接客しようとしてくるが、その目は嘗め回すようにグラジオラスを見ている。
床に転がされているのは、よく見えないが、若い女性のようだ。
私は客ではない、アザレアという女性を探している――そう言おうと思った。
だが用意した言葉を告げる前に、乱暴な扱いを受けている女性が心配になり、じっと見すぎてしまった。
基本的に紳士は、女性に対して粗雑な扱いをしない。
視線に気付いた中年女性は、ばつが悪そうな顔をした。
「ああ、お見苦しいところを……この子は今日から店に出そうとしていたのですけどね、今まで裏方は文句言わずにやっていたのに、客と寝るのは嫌だって駄々こねるので、指導していたんですよ。もう若くも無いっていうのに、全く……」
どうやら、今日から客をとらされるところだったようだ。
聞いてもいないのに、グラジオラスが黙って見つめただけで、ぺらぺらと教えてくれる。
折檻を受けている女性に同情はしたが、早くアザレアを探したい。グラジオラスが口を開こうとしたとき、倒れていた女性が徐に顔を上げた。
ぼんやりと、グラジオラスに目を向けた彼女は、こちらを見ているのに、表情を変えなかった。
約十年、会っていなかったというのに、すぐに彼女だと分かった。
相変わらず、何も映さない瞳だった。
グラジオラスの中で、何かが切れた。
「……この女性を買いたい。いくら出せばいい」
気付くと、己の声とは思えない、低く凄むような声が口から出ていた。




