40 怪我
リナリアはオーキッドを見送った後、もう用はないのに、暫くその場に留まっていた。
道の端によって、壁に背をあずけると、空をぼんやりと見上げる。
リナリアは心のなかで、まだかな……と呟いた。
ふと、無意識にカーネリアンを待っていたことに気付いて、愕然とした。
約束など何もしていないのに、当たり前のように、カーネリアンが出迎えてくれるような気でいた。
それだけ、一緒にいる時間が多かったのだ。
リナリアは、気持ちを切り替えるように頭を振る。
決心したばかりだ。
カーネリアンに甘えてはいけない。
(帰る前に、神仕え様に挨拶していこう……)
リナリアは一人で歩き出す。
隣にカーネリアンがいないと、道のりはひどく遠く感じた。
七日ぶりに街を歩くリナリアは、やはり本人の自覚なく、人々の視線を集める。
流れる髪も、憂いげな横顔も、はっとするほど美しい。
どことなく気分が優れないようだと、気にかける者も中にはいたが、声をかける事はなかった。
商店街を一人で通るのは気不味い。
リナリアは以前、店の人に冷たい対応をされたことがあるので、買い物に行くことにもあまり積極的にはなれない。
カーネリアンについていくのは良いが、声を出せなくなってから、リナリアが個人で買い物を楽しんだ記憶はなかった。
(カーネリアンがいないと、何も出来ないの?)
自分が情けなくなる。
憂鬱な気持ちのまま、随分時間をかけて教会についた頃には、リナリアはすっかり疲弊していた。
「リナリア!」
神仕えがリナリアを見た途端、駆け寄ってきた。
温厚で冷静な彼らしくもない。
何かあったようだと、緊張して次の言葉を待った。
「カーネリアンが――」
神仕えの説明を聞くやいなや、リナリアは走り出した。
向かう先は、病院だ。
――カーネリアンが、リナリアを迎えに行こうとしていたのですが、向かう途中怪我をして、病院に運ばれたのです。
事故でした。
店の屋根の修理中に剥がれた板が、誤って落下したようです。
一緒にいたフリージアを庇ったため、打ち所が悪く……
神仕えの話だと、病院に運ばれたカーネリアンは、意識がなかったらしい。
何の前触れもなかった。
虫の知らせも、嫌な予感も、何も。
神様は何も教えてくれない。
走りながら、リナリアは考えてしまう。
それでも……その瞬間カーネリアンは、フリージアといたのだ、ということを。
息が切れる。
いちいち文字を書かなければならないため、カーネリアンの病室を聞くのももどかしかった。
しかし、受付の人は、リナリアの顔を見て、「カーネリアン君のところ?」と聞いてくれた。
リナリアは、勢いよく首を縦に振る。
受付は、カーネリアンの部屋を教えて、リナリアに注意する。
「命に別状はないから。廊下は走らないで、ゆっくり行くんだよ」
街でリナリアを知らない人はいない。
そして、いつもリナリアと一緒にいるカーネリアンも知られている。
カーネリアンが運ばれて、リナリアが血相を変えて駆け込んできたとなれば、自ずと目的は知れることだ。
受付は、仲がいいね、と思ったが、わざわざ口には出さなかった。
リナリアは頭を下げて、感謝を伝える。
小走りにならないように気を付けながら、カーネリアンのいる病室へ向かった。
教えられた病室の側に行くと、既に扉が開いていた。
近づくと部屋の中が見える。
息を整えながら、様子を窺うと、聞きたかった声が聞こえた。
「一瞬気を失っていただけだから、心配いらないよ」
穏やかなカーネリアンの声。
意識が戻っていたようだ。
リナリアは安堵して気が緩んだため、泣きそうになる。
距離を置こうと思ったことなど忘れて、病室に入ろうとした。
早く顔が見たかった。
カーネリアンの会話の相手が分かった瞬間、すんでのところで踏みとどまったが。
「そんなに泣かないでよ、フリージア」
失念していた。
彼はフリージアを庇って怪我をしたのだ。
フリージアが付き添わないはずがない。
リナリアは気付かれないように、そっと病室のなかを見た。
カーネリアンの側では、フリージアがぐずぐずと鼻をならして泣いていた。
擦りすぎたのか、彼女の目元は真っ赤に腫れている。
「ご、ごめん……りあん……」
フリージアは、ずっ、と鼻をすすった。
「リナリアを、迎えに行こうと、してたのに、私の、せいで」
カーネリアンは咎めずに、優しく否定する。
「フリージアのせいじゃないって。事故なんだから。ほら、もう泣き止みなよ」
そう言うと、カーネリアンはフリージアの頭を、ぽん、と、軽く撫でた。
「ううううぅ、カーネリアンが優しい……」
リナリアはそこまで見るのが限界だった。
嫉妬して、思い知るのは、何度目だろう。
いい加減、学習しない自分に呆れる。
リナリアはぐっと堪えた。
一刻も早く、病室から離れたい。
速足で歩き出したリナリアは、前をよく見ていなかった。
勢いよく、何かに体当たりしてしまう。
「きゃあっ!」
勢いよくぶつかったものは女性のようだと、声で分かった。
悲鳴をあげたのは相手の方だが、倒れたのはリナリアだった。
リナリアは転んで、体を床に強く打ち付けた。
「やだ! 大丈夫!?」
まだ病室の前なので、あまり大声を出さないでほしいと思う。
今ので気付かれたかもしれない。
相手はリナリアに手を貸そうと、体を屈めた。
リナリアは咄嗟に顔を反らしたが、遅かった。
もう、ぼろぼろの泣き顔を見られてしまっただろう。
「……り、リナリア?」
相手の戸惑う声が聞こえる。泣き顔もそうだが、リナリアだということに今気づいたようだ。
「ちょ、え、あの……痛かったの? そんなに? ほら……」
目元に布をあてられ、優しい手付きで、顔を正面に向けられる。
気恥ずかしかったが、リナリアはおそるおそる、相手の顔を見た。
リナリアは交遊関係が狭すぎて、あまり人の顔と名前を覚えていない。
だが、今目の前にいる人は、朧気ながら、記憶にあった。
ミモザだった。




