32 見送り
隠さなければ。
いつか気持ちを伝えたいと、リナリアは思っていたが、完全に心が折れてしまった。
もう伝えられない。もう誰にも嫌われたくない。
いや違う。カーネリアンにだけは、嫌われたくなかった。
リナリアは恋心を押しとどめる準備を始めた。彼と距離を置くのだ。
完全に疎遠になるわけではない。リナリアには、都合よく王都に行ける用事があった。理由があれば離れる覚悟が出来る。
少しの間彼から離れて、落ち着いて、絶対に彼を諦めようと思った。
「ほ、本当にいいの? リナリアさん!」
リナリアが急に、オーキッドの兄と会うことに承諾の意を示したので、オーキッドは聞き返した。
今は珍しく、二人で会いたいというリナリアの要望で、カーネリアンが仕事をしている時間帯に合わせて待ち合わせていた。
≪いつ向かえばいいですか?≫
「近々、俺の家から使いを出すよ! 旅費は全て俺が持つから! ああ……良かった……」
オーキッドはリナリアの両手を握り、深く頭を下げる。
「ありがとう、リナリアさん」
リナリアは戸惑う。
≪ただ、会うだけですよ≫
「それでもいいんだ。ありがとう……」
そこまで感謝されるとは思わず、もっとはやく行ってあげれば良かったかなと、リナリアは少しだけ思った。
次は教会に向かい、神仕えを訪ねた。
「おや、リナリア。どうしましたか」
リナリアの姿を見つけ、穏やかに声をかけてくる。
あらかじめ、事情を手帳に書いておいたので、ページを開いて手渡した。
どれ、と神仕えはその長い文章を読み始める。
手帳には、オーキッドに会ってからのことと、王都に行きたいので数日間留守にすることを書いてある。
「王都は初めてでしょう。リナリアが心配です。それに、このオーキッドさんという人は、信用できる人ですか?」
神仕えは、リナリアのことを良く考えてくれている様子で、幾つか尋ねてきた。その度にリナリアは頷いたり、たまに手帳に書き込んだりする。
大丈夫そうだと思ったのか、神仕えは一度質問を止めたが、釘を刺すように忠告してきた。
「リナリアは、自分の容姿に無頓着なようですが、貴女は非常に魅力的な女性なのですよ。いいですか、王都では、決して一人で行動しないでください」
父親かもしれない人に会うとあってか、神仕えは何度も念を押した。リナリアはふと、もしかして世の父親は、こんな風に娘の心配をしてくれるのだろうかと思った。
思ったことをそのまま手帳に書いて見せれば、神仕えは一瞬言葉をつまらせ、「あまり嬉しいことを言わないでください」と、よく分からないことを言う。よく見ると、神仕えは涙目だった。
神仕えが一度オーキッドと話がしたいというので、後日そのことを本人に伝えると、彼は快く受け入れた。
オーキッドに対面した神仕えは、「最近、よく教会にいらしているかたですよね」と目を見張る。
実際に話してみて、オーキッドの人柄にも問題がないと分かったらしく、終わりには神仕えからも、オーキッドへ頼んでいた。
「どうか、リナリアのことをお願いします」
オーキッドは、「もちろんです。しばらくリナリアさんをお借りします」と言って、教会を後にした。
「この街では、神仕えさんが、リナリアさんのお父さんみたいだね」
すごくいい人だ、と、オーキッドは朗らかに独りごちる。
オーキッドと一緒に教会を出たリナリアは、彼の言葉に嬉しくなった。
リナリアも、そうなんです、と心の中で呟く。
父親を意識していなかったけれど、寂しくなかったのは、母だけではなく、神仕えの存在も大きかったのだろう。
こうしてリナリアの王都行きが決まった。
出発は数日後の朝になった。
ちなみにオーキッドは、リナリアがカーネリアンの了承も得ているものだと思っていた。
あとから聞かされたらしいカーネリアンは、いつの間に決めたんだ、と始終不満そうである。
見送りの日、二人が、と言うより、何だかリナリアがカーネリアンに対して余所余所しくしているように見えたので、オーキッドはリナリアに耳打ちする。
「何かあった?」
肩が揺れたので、何かあったんだな、とオーキッドは思ったが、リナリアは首を振って緩く否定した。
書くのも億劫そうに、リナリアは唇だけを、オーキッドに見えるようにゆっくり動かした。
なんでもないです、と。
へらり、というような、リナリアには似つかわしくない下手な愛想笑いを浮かべていた。
本当に何があったのかと気になったが、話したくないことには違いないだろうと、想像するに留めておいた。
(まさかカーネリアン君に告白でもされたのかな? だったらもっと嬉しそうにしているか。彼の態度も普通過ぎるし……)
王都までは、レユシット家の馬車で行く。
と言っても、あまり豪華なものではなく、一般的な質素な馬車だ。
「家紋とかついていたら目立って嫌だから、こっちにしたんだ。作りはしっかりしているから、大丈夫だよ」
ほら、と言って馬車の扉を開くと、外側と反して豪華な内装。見るからに座り心地の良さそうな椅子は、数人がゆったり座ってもまだ余裕がありそうだ。
「じゃあ、行こうか」
オーキッドに手を差し出され、リナリアは馬車に乗り込む。中に入ると、先に預けていた荷物が奥に積んであるのが見えた。
思ったとおり、椅子は長時間座っても疲れなさそうな座り心地だ。
オーキッドも続いて乗り込み、扉を閉める。
向かい合う形で腰掛けた。
リナリアは馬車の窓から、住み慣れた街を眺めようとすると、カーネリアンと目が合った。
いつもは慌てて逸らすのに、今日はじっと見つめたまま、柔らかく微笑みかけてくるリナリア。
瞬間、カーネリアンは心臓を鷲づかみにされた。
リナリアの唇が、ゆっくりと動きだす。
“いってきます”
彼女は唇を閉じると、小さく手を振った。
馬車が見えなくなるまで、カーネリアンは微動だにしなかった。
そこにフリージアが声をかける。
「さっきのリナリア、すごく色っぽかったね……」
「……フリージア、一体どこから見てたんだ」
「だって、呼ばれてないのに行けないもの。こっそり様子を窺っていたのよ」
「そういうのはやめたんじゃ……」
「まだリナリアとの距離を縮められていないから、線引きが難しいのよね。ああ……しばらくリナリアに会えないのね、寂しいなあ……」
フリージアは心底残念そうに、ため息をついた。
口数の少ないカーネリアンの顔を、「おーい、どうしたの?」とフリージアが覗き込んでくる。途端、彼女は堪え切れなかったように吹き出した。
「カーネリアン、珍しく真っ赤よ! そんなにドキドキしちゃったの?」
まさしく図星であったから、「まあ、あの可愛さじゃ無理も無いわね」と言うフリージアに、反論など出来るはずも無かった。




