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アーツ・ホルダー  作者: 字理 四宵 
第十章 黒馬事件
90/200

10-5

再び、衝撃と共に壁が吹き飛んだ。古い煉瓦の壁は、黒馬にとっては小石を積み上げたもの程度のようだ。

多量の煉瓦が、部屋に飛びこんでくる。僕はジャヴさんの体を押さえて、伏せる。黒馬にとっては小石でも、人間がぶつかれば致命傷になりうる。


「伏せて! 早く!」


女性に向かって叫んだが、返事がない。ふらふらとした足取りの上を見ると、頭から多量の血を流している姿が目に入った。頭の右側の一部が、欠損している。


「く・・・」


女性を無理やり倒して、引き寄せる。首に触ると、すでに脈はほとんどない。

そうこうしているうちに、また煉瓦と跳ね上げ式の木の窓が木っ端みじんになった。すでに、衝撃によって上部の壁も崩れ始めている。このままでは、家全体が崩れるのも時間の問題だろう。僕は、生き埋めにならないために、先ほど避難してきた路地にジャヴさんを荒っぽく投げる。女性にもかけよったが・・・すでにこと切れていた。

唇をかみしめて、立ち上がる。壁の崩壊は続いている。何度も蹴りを繰り返すこの執拗さは、変異呪種特有のものに違いない。

路地に出て、再びジャヴさんを担いだ時に、ジャヴさんが首からかけている笛の存在に気が付いた。あまりの事態の連続に、自分の仕事は笛番だということを、すっかり忘れていた。そもそも、最初に笛を吹いたSSLは、どこへ行ったのだろうか・・・。

笛を口に含んで、しばし逡巡する。今ここで笛を吹いたら、確実に黒馬に見つかる。僕一人逃げるのも難しいのに、ジャヴさんを連れて逃げられるだろうか。

僕は意を決して、ジャヴさんを地面に寝かせて大通りに飛び出す。


「こっちだ!」


黒馬が僕の方を見て、こちらの方へゆっくりと歩き始める。僕はひとしきり黒馬の注意を引いた後で、全速力で走りながら笛を吹く。馬の聴力は、人間よりはるかに優れている。特にうるさく感じるだろう。

こうして黒馬を引きつけながら、ジャヴさんから遠ざかり、応援が来るまで隘路や高所に逃げて持ちこたえる・・・それが、僕の計画だった。

しかし、黒馬は足を止め、少し僕を見ると、先ほどの崩れかけの家の方へと引き返していった。


「笛の音を嫌った?」


という考えと共に、もう一つの考えがよぎる。


「まさか・・・ジャヴさんを狙っているのか?」


ナイフで怪我を負わせたのは僕だが、そもそも攻撃を始めたのはジャヴさんだ。僕とジャヴさん、どちらが狙われてもおかしくない。

まだ意識のはっきりしないはずのジャヴさんが襲われたら、ひとたまりもないだろう。

僕は慌てて、黒馬の後を追う。


「待て! こっちだ!」


壁を叩いて物音を出しながら、黒馬に大声を出す。

黒馬は立ち止まると、2,3歩だけ、後ずさりをしてこちらに近づいた。2,3歩といっても、歩幅が大きいので、移動距離は大きい。

この時、僕は父親から馬に関して教わった、最大のタブーを忘れていた。


「馬には、後ろから近づいてはいけない」


馬の、最も強い攻撃。背後への後ろ足での蹴り。馬は完全な後ろ方向だけではなく、斜め後ろ程度なら、腰を捻って角度をつけて蹴ることができる。そのため僕は、この黒馬と対峙する時も、必ず正面の位置を守っていた。噛みつきや踏みつぶしなど、他にも警戒すべき攻撃があるのだが、それでも後ろ足の蹴りだけは食らわないように、意識していた。

それが、今、自分の方から身をさらけ出していることに、気が付いた。


「まさか・・・これを計算して・・・一度、ジャヴさんの方へ向かったのか・・・?」


黒馬の後ろ足が、上がるのが見えた。

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