10-5
再び、衝撃と共に壁が吹き飛んだ。古い煉瓦の壁は、黒馬にとっては小石を積み上げたもの程度のようだ。
多量の煉瓦が、部屋に飛びこんでくる。僕はジャヴさんの体を押さえて、伏せる。黒馬にとっては小石でも、人間がぶつかれば致命傷になりうる。
「伏せて! 早く!」
女性に向かって叫んだが、返事がない。ふらふらとした足取りの上を見ると、頭から多量の血を流している姿が目に入った。頭の右側の一部が、欠損している。
「く・・・」
女性を無理やり倒して、引き寄せる。首に触ると、すでに脈はほとんどない。
そうこうしているうちに、また煉瓦と跳ね上げ式の木の窓が木っ端みじんになった。すでに、衝撃によって上部の壁も崩れ始めている。このままでは、家全体が崩れるのも時間の問題だろう。僕は、生き埋めにならないために、先ほど避難してきた路地にジャヴさんを荒っぽく投げる。女性にもかけよったが・・・すでにこと切れていた。
唇をかみしめて、立ち上がる。壁の崩壊は続いている。何度も蹴りを繰り返すこの執拗さは、変異呪種特有のものに違いない。
路地に出て、再びジャヴさんを担いだ時に、ジャヴさんが首からかけている笛の存在に気が付いた。あまりの事態の連続に、自分の仕事は笛番だということを、すっかり忘れていた。そもそも、最初に笛を吹いたSSLは、どこへ行ったのだろうか・・・。
笛を口に含んで、しばし逡巡する。今ここで笛を吹いたら、確実に黒馬に見つかる。僕一人逃げるのも難しいのに、ジャヴさんを連れて逃げられるだろうか。
僕は意を決して、ジャヴさんを地面に寝かせて大通りに飛び出す。
「こっちだ!」
黒馬が僕の方を見て、こちらの方へゆっくりと歩き始める。僕はひとしきり黒馬の注意を引いた後で、全速力で走りながら笛を吹く。馬の聴力は、人間よりはるかに優れている。特にうるさく感じるだろう。
こうして黒馬を引きつけながら、ジャヴさんから遠ざかり、応援が来るまで隘路や高所に逃げて持ちこたえる・・・それが、僕の計画だった。
しかし、黒馬は足を止め、少し僕を見ると、先ほどの崩れかけの家の方へと引き返していった。
「笛の音を嫌った?」
という考えと共に、もう一つの考えがよぎる。
「まさか・・・ジャヴさんを狙っているのか?」
ナイフで怪我を負わせたのは僕だが、そもそも攻撃を始めたのはジャヴさんだ。僕とジャヴさん、どちらが狙われてもおかしくない。
まだ意識のはっきりしないはずのジャヴさんが襲われたら、ひとたまりもないだろう。
僕は慌てて、黒馬の後を追う。
「待て! こっちだ!」
壁を叩いて物音を出しながら、黒馬に大声を出す。
黒馬は立ち止まると、2,3歩だけ、後ずさりをしてこちらに近づいた。2,3歩といっても、歩幅が大きいので、移動距離は大きい。
この時、僕は父親から馬に関して教わった、最大のタブーを忘れていた。
「馬には、後ろから近づいてはいけない」
馬の、最も強い攻撃。背後への後ろ足での蹴り。馬は完全な後ろ方向だけではなく、斜め後ろ程度なら、腰を捻って角度をつけて蹴ることができる。そのため僕は、この黒馬と対峙する時も、必ず正面の位置を守っていた。噛みつきや踏みつぶしなど、他にも警戒すべき攻撃があるのだが、それでも後ろ足の蹴りだけは食らわないように、意識していた。
それが、今、自分の方から身をさらけ出していることに、気が付いた。
「まさか・・・これを計算して・・・一度、ジャヴさんの方へ向かったのか・・・?」
黒馬の後ろ足が、上がるのが見えた。




