山岳の戦い -8
崩れ落ちていく大黒猿を尻目に、僕はつり橋に目を向けた。幸運なことに、大黒猿の群れはまだこちらに届いていなかった。おそらく、僕の戦いを見物していたのだろう。中途半端なところで、進もうか退こうか迷っているようだった。
「・・・」
足の指で握ったナイフで縄を切るのは一苦労だったが、やつらが引き返す前に、なるべく多くを谷底に落としたかったので、急いでロープを切断すると、支えを失ったロープが、壁面に叩きつけられた。多くの大黒猿達も、ロープにつかまったまま激突していった。即死か、生きていても谷底へ落下して死ぬだろう。大黒猿の原種の習性を考えると、群れで行動するはずだ。生きている個体数は多くは残っていないだろう。
後は、下山をするだけだ。こんな腕・・・いや、体で、弟を連れて山を下りられるか、不安はあったが、ゆっくりもしていられない。
「さあ、街へいこ・・・」
口の中で、舌が、凍り付いた。弟を置いた辺りには、靴が片方だけ横たわっていた。
「あ・・・ああ・・・そんな・・・」
大声で喉が枯れるまで弟の名前を呼んだが、自分の声だけがこだまとなって帰ってくる。
「どうすれば・・・どうすれば・・・」
その瞬間、気が緩んだのか、僕が体に保っていたマナは、すべて霧散した。力の源を失った両足は、ガクガクと震え始めた。
父親の、別れ際の言葉が耳に戻ってくる。
「後を・・・弟を・・・頼んだぞ・・・」
長男として、残された弟の保護者として、父親に託された願いを・・・僕は、守れなかった。油断した。目を離してしまった。
喉をカラカラにしながら、恐る恐る崖の下を見たが、谷底には大黒猿の死体以外は何も見当たらなかった。
「さらわれた・・・? 森へ、逃げた・・・?」
山道を目指そうとして、すぐに思いとどまり森の方向へ向かおうとするが、また足が止まってしまう。
大黒猿との闘いでは微塵も迷わなかったのに、今では考えがまとまらない。
通り過ぎようと思っていた森と山道が、とてつもなく広く見える。
「一人じゃ、無理だ。助けを・・・呼ばなきゃ・・・街のみんなで、探してもらわないと・・・」
そう決めて、僕はズボンから靴を取り出して、山を下り始める。気力が尽きて霧散したマナは、上手く回復しないままだ。
両腕の激痛を抱えながら、3時間。一滴の水も呑まずに山道を走った。