傷が癒えるまで -7
退院の日の前日、ギプスが外された。
「握力はどうだね」
と、医者が言ったのだが、動きの滑らかさ、力の入り具合など、僕には以前との違いがわからなかった。
「大丈夫なようです。ありがとうございました。」
と礼を言うと、医者がほっとしたような顔を見せた。
「君の怪我はなかなかひどいものだったからな。あれだけの骨折をすると、マナの流れが狂ってしまうこともあるのだが・・・何もないようで、よかった」
「せっかく治ったんだから、あんまり無茶するんじゃないよ」
「はい」
リンダさんにも頭を下げ、診療室を後にする。
病室に戻ると、試しにナイフを握ってみる。不便は感じられない。両手ともに、よく動く。湿布の匂いを落とすために、シャワーを浴びた。リンダさんの介助なしに入るシャワーは・・・落ち着いていられる。
門限さえ守れば今日は街中を自由に出歩いてもいいというので、僕はコボル警備長のもとへ出かけた。以前にララベルさんが街中を案内してくれたおかげで、SSLの場所は分かっていたが、都会の入り組んだ道と人込みに手間取って、到着まで少し迷ってしまった。
古い石造りの立派な建物は、一人で入るのに少し躊躇する。ちょうど、一人の男の人が通りかかったので、声をかけてコボル警備長のところへ案内してもらった。
コボル警備長は、部署内の自室で色々な書類に埋もれていた。明らかに多忙な様子だったが、僕が声をかけると、鵞ペンを置いて椅子に深く腰掛けなおした。
「この間の話の続きかな」
僕は、首肯する。
「君はどうやら、物事を慎重に考えるようだから、心配はしていないが・・・聞かせてくれ」
「はい。皆様の迷惑でなければ、こちらで働かせていただこうと、思っています。ただ・・・」
「ただ?」
「もう一度だけ、山を見に行きたいんです。・・・本当に、誰もそこにいないという景色を、目にしないと、心のどこかが納得しないままになってしまいそうで」
「なるほど」
「アーツ審査の前に、一度里帰りをさせてもらえませんか」
「わかった。馬を手配しよう」
「えっ!?」
「? どうした?」
「いえ、まさか本当に承認されるとは・・・」
「なぜだ? 遺品の整理もあるだろう」
「そうですが・・・僕が逃亡する可能性は、考えないんですか?」
「ああ、そんなことか。君なら大丈夫だと、信じているよ」
僕たちは、言葉のないまま数秒見つめあった。コボル警備長は、それが当然という顔をしている。
「試練は一週間後だ。出かけて戻ってくる時間は、十分あるな?」
「はい」
「遺品などは、なるべく現地で処分するのがいいだろう。持ち運べないような品は、役人に言えば輸送してくれるが、品数は絞るように」
「はい」
「あまり多量の金品がある場合は、相続の手続きが必要だが・・・」
「それは、心配ないと思います」
「よし、それでは馬番には話をしておく。道中、気を付けて行きなさい。大黒猿は排除されたと聞いているが、取りこぼしがないとも限らない」
「わかりました。何から何まで、ありがとうございます」
「支度はできているか?」
「いえ、これからです」
「一通り準備をさせる。厩舎には、金子だけ持ってきなさい。首都に戻ったら、寮へ案内するから私のところへ来るように」
僕が頭を下げると、コボル警備長は頷いて再び書類に目を通し始めた。僕は踵を返して、ドアへ向かおうとする。
「そうだ、それから」
僕が振り返ると、コボル警備長は引き出しから赤い腕章を出して、僕に渡してくれた。
「SSLの証だ。馬番と役人にそれを見せれば、話がつくはずだ」
「はい。・・・僕には、支給されないのかと思っていました」
「馬鹿をいうな。ただ、まだ街中ではつけるなよ。市民に頼まれごとをされて、雑用だらけになってしまうかもしれないからな」
僕は手渡されたリストバンドをさする。布や草木ではない素材でできているようで、伸び縮みする。ツルツルとした不思議な感触だ。
「わずかだが、マナを蓄える性質があるらしい。怪我をしたときは、応急処置でそれを巻くといい」
僕は後ろのポケットに入れようとして、それをやめた。これはとても大切なものだ。コボル警備長に別れを告げると、そのまま、腕章を手に握って病室まで帰った。
翌朝。厩舎には一通りの装備と共に、馬が用意されていた。毛並みが美しい、栗毛の落ち着いた馬だ。長距離を走破するには、気性が落ち着いた馬の方が助かる。
コボル警備長の気遣いに感謝しつつ、門外へ馬を連れ出すと、道のど真ん中にジャヴさんが立っていた。夜勤明け・・・ではなく、夜勤中の時間のはずだ。
「よう」
「ジャヴさん・・・」
「その・・・なんだ。お前が戻ってこないほうに賭けている奴がいてな」
「・・・」
「そいつが気にくわなかったから、戻ってくるほうに賭けたんだ。・・・だから、その・・・戻って来いよ。色々、ややこしいことになったのは、謝るからよ」
僕は、思わず吹き出してしまった。随分と、謝るのが苦手な人だ。
「大丈夫です」
そういうと、馬にまたがってジャヴさんの言葉を待たずに走らせる。
「行ってきます!」
「おう!」
馬の吐く息が白い。マントの隙間から入ってくる冷たい風が胸に刺さると、僕は故郷がどうなっているかという不安を抱えきれずに、一度だけ振り返った。
ジャヴさんが、まだこちらを見ていた。僕は、拳を掲げて、それに応えた。