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第3志望:【 お嫁さん】

 思い起こせばいつの頃からか、氷河期、ゆとり、さとりと昨今の若者は夢がないと言われるようになった。 この五良南高等学校から見れば、そんな若者達も氷河期どころかマグマのように熱血で、ゆとりどころか満員電車のようにギチギチで、悟ったどころか御伽の国のアリスのようだ。


 車のハイライトがヤケに眩しいように、夢も理想も語れないこの高校においては「もうフリーターでいいや」などと口にしている若者であっても「東京に言ってビッグになるさ」と言っている若者のように映ってしまう。

 アンダーグラウンドからすれば地上もワンダーランドなのである。


 アリスインワンダーランドならぬ、ウェルカムトゥアンダーグラウンドな高校においても一層底辺にいるのは、目の前の背の低い少女である。


 アリスならぬアホスな彼女が手にしているのはワンダーランドのウサギ……ではなく進路希望調査票。 提出期限からとっくに32日もすぎている。 遅刻遅刻女王様に怒られてしまうどころか、もはやおまえ誰? と忘れられるレベルの遅れっぷりである。


 何故か柑橘系の香りがするそれは白紙のままで、ため息を吐きながら彼女の前に座る。


 俺はその紙を学級委員として担任に届けるという役割を果たすために、少女の前の席に座って身体を横向きにして顔だけを少女の方へと向けて話しかけた。


「進路希望調査票、そろそろ書けたか?」


 少女は気だるそうに顔を机から上げて、今にも眠ってしまいそうな半目で小さく頷いた。


「……うん、今回は……いける気がする」


 何度教師に突っ返されたかも分からない紙を少女は俺に向ける。

 どうでもいい説明や注意書きを無視して【第一志望】の項目に目を細めるようにして見る。


 【 】


 進路希望調査票には何も書かれていない。

 ため息を吐き出していると、安穂はドヤと気だるそうな顔の口角を上げる。


「……分からないの?」


 挑戦的な表情を見てすぐに悟る。


「あぶり出しか」

「……ざっつらいと」

「ライターとか学校にはないから普通にボールペンで書け」

「……ええ……情緒が分からない系男子?」

「進路希望調査票に情緒はいらない」


 彼女の小さな手にボールペンを握らせ、彼女がボールペンを離したので握らせて上から握り込む。


「せめて進学か就職かを決めてくれ」

「……待ってよ、ちゃんと書くよ……」


 僕も色々考えてるの、と言いながら安穂の手は動き、机に突っ伏しながらなのに、存外に綺麗な字を書く、この体勢に慣れすぎだろうこいつ。


 そして進路希望調査票に書かれた言葉は。


【 お嫁さん】


 なるほど……と頷く。


「お嫁さん」

「……うん、お嫁さん」

「誰の?」

「……誰だろ」


 決めておけよ……と、癖になってきたため息を吐いて、跳ねているアホ毛をデコピンしてみる。


「お嫁さんってだけだと、大学って言うのと変わらねえだろ。 具体的じゃないから進路希望とは言いにくくないか」

「……じゃあ、神林の」

「適当か」

「……適当じゃない、伝われ僕の気持ち……だる」

「だるさしか伝わってこねえよ」

「ちゃんと伝わってるじゃん」

「だるさオンリーは止めろ」


 彼女のアホ毛を引っ張ったり指に絡めたりしながら、外の景色を見る。


「最近は、花嫁修業もしてるし、完璧」

「料理とかか?」

「……いや、もっと人を癒せるような」

「ふむ……マッサージ?」

「……いや、笑顔」

「無表情で言うな。 つか、笑わなくてもいいから。 ……にしても、お前、本当に笑わなくなったな。 なんかあったのか?」


 俺が尋ねると、赤い夕日に彼女の髪が揺れるように照らされ、陽の光と共に消えてしまうんじゃないかと、錯覚してしまう。


「……あのさ、なんで……テニス辞めたの?」

「まだ続けてるわっ! お前が出さないから部活に行けてねえだけだからな!?」


 まぁ、もうそろそろ引退だ。 公式戦に出るつもりもないので、いつに辞めたって構わないのは確かだけど。


「……前はもっと、頑張ってた。 ボクに構って部活に行かないなんて、ない。 そもそも、委員長なんて……」

「まぁ、そうかもな」

「……なんで? あの転校生と、仲良くしてから」

「いや、あいつのせいでもねえよ。 元々、プロ目指せるってほどでもないしな」


 安穂は悔しそうに歯噛みし、珍しい表情をしてから机に突っ伏した。


「そんなこと、ない」

「熱意がなくなったわけじゃねえよ。 他にやりたいことが増えただけだ」

「……嘘だ」

「嘘は苦手だ。 本気で言ってる」


 安穂は俺を睨みながら、小さく口を開いた。


「……嘘つき」


 逃げるようにして鞄を持って教室の外に出ていくのを見ながら、その背中に言う。


「ほらバレた。 嘘は苦手だ」


 彼女は去っていき、後に残された進路希望調査票だけが机の上にある。 ……どうしようか。 いつものように安穂が眼鏡をかけて許されるという方法は取れなくなってしまった。


 不意に、彼女の眼鏡ケースごと机の中に残っていることに気がついた。


「……行けるか?」


 俺は眼鏡をかけて、進路希望調査票を握って職員室に向かう。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 怒られた。

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