朧 前①
「ちょっ、止めて! 止めて悠介!」
逆上した悠介は唐突に私の首根っこを掴みかかった。目は血走り狂気じみて、そこにははっきりと殺意が読み取れた。
「お前、お前裏切ってんじゃねえよ!」
怖かった。だがその瞬間私の中で堪忍袋の緒が切れた。
自分の事を棚に上げて、よくも言えたものだ。
「裏切り者はあなたじゃない!」
*
「そっか……」
美奈に喫茶店に呼び出された。いつもの誘いかと思ったが、皆の横には成瀬君もいた。
成瀬君は初め変わらない爽やかさと笑顔で私を迎えたが、すぐにその表情を暗くした。
「あいつは、かなちゃんを裏切っている」
そして成瀬君は高校時代の話から、最近美奈が目撃した悠介の事について話した。
思っていた以上に、衝撃はなかった。
なぜなら分かっていた。彼が浮気をしていた事は。
どこに居る時でもスマホを手放さなかった。食事の時も、お風呂の時も、寝る時も。
だんだんと自分に対する言動に、昔と比べて繊細さも思いやりもなくなっていた事も。
そして、私も証拠を見ていた。彼の部屋にいるとき、彼がトイレに行ったタイミングで、いつもは持っていくはずのスマホをその場に置いていった事があった。
もちろんロックはかかっていたが、ある方法を使えばロックを解除する事が出来る事を知った。私は彼のスマホに電話をかけた。彼のスマホに私の名前が出た瞬間にその着信を取り、通話を切った。するとそのままホーム画面に入る事が出来た。
私はすぐさまメールやLINEを見た。そしてそこには明らかに浮気と呼べるやり取りがいくつも残っていた。
泣き叫びたかった。昔優しくてカッコ良くて、好きな音楽を語り合った悠介は、もうどこにもいない。あの頃の瑞々しい関係は消滅してしまった。居た堪れなさと悲しさで私は絶望した。
「たまにはご飯でもどう?」
そんな時に声を掛けてくれたのが、安住圭一だった。
同じ会社の入社三年目の営業で、有能な働きぶりとその人柄の良さで社内の評価も高かった。何度か話した事もあるが、評判通りの素敵な男性だ。
沈んでいた気持ちを誰かに救ってもらいたい。そんな気持ちがあった。私は彼の誘いに乗った。
「常坂は、彼氏とかいるのか?」
彼にそう聞かれたとき、私はいないと言った。あんな男を彼氏と思いたくなかった。そんな気持ちからついそう答えてしまった。
「そうか。じゃあ、俺にもチャンスあるかもしれないって事だね」
「え?」
「今度一緒にデートしてほしい。駄目ならはっきりそう言ってくれていい」
まさかだった。そんな風に思われているなんてまるで想像もしていなかった。
その時点で私はまだ悠介とちゃんと別れてはいなかった。でも――。
――あいつだって、私の事を裏切っている。
安住さんを関係のない私情に巻き込んでしまう事への申し訳なさと、どうしようもないのに、昔の想い出が美化されたまま残っているせいか、悠介への罪悪感が残っていた。
でも自分にだって権利はある。そんな風に思った。
「はい、是非」
そこから、安住さんとの関係は始まった。




