イタリアンポテトの作り方
映像が流れていた。
写し出されているのは一人の男。何処かの民家の一室だ。
『今これを見てる諸君に私は訴えたい。日本は外敵の脅威に晒されている。その脅威は世界征服の野心を隠そうともしない中国共産党、その犬である南朝鮮であり、極左暴力集団の売国奴どもだ。これが隣国や他国の事なら、国が侵略されようが隣人が殺されようと直接的な被害を受けない限りは他人事だ。だが奴等の標的はこの国、日本だ! 被害を受けてからでは遅い。人には自らの生命と財産を守る権利がある。欧米では自衛と言う意味で銃器が普及しているが、日本では法規制で所持が制限されている。面倒な手続きはあるが、金さえあれば銃器の所持は難しくはない。刀剣類も美術品として購入が出来る。奴等が日本の主権を侵害し侵攻して来た時、それは家族や自分を守る力になるだろう。この国に奴等が侵攻する場合、直接的な軍事攻勢以外にも極左的暴力集団による騒乱が想定される。間接侵略による後方攪乱だ。在日や帰化したふりをする連中も忘れてはならない。奴等はダニだ、寄生虫だ! 虎視眈々とこの国を狙っている。奴等が一斉蜂起すれば日本は火の海になる。警察や自衛隊が鎮圧するまでどう生き延びるか。自宅や職場に立て籠る場合は水、食糧の確保は死活問題と言える。籠城するにバリケード築き、侵入を阻むのが単純だが退路の確保も大切だ。侵略が長期的に渡る場合は隠れているだけではなく、侵略者の尖兵に断固とした決意を見せつける必要がある。戦うんだ。犬猫鳥の死体を敵に送り付ける事は脅迫効果も高い。日本から出ていかないと、次はお前がこうなるぞと言う意味だ』
淀みなく言い切ると置いてあったダイエットコーラを一気飲みする。
『自衛官や警察官でもない一般市民が戦うには武器が必要だ。爆発物、劇毒物、銃器の調達は先程も言った通り不可能ではない。合法的に可能だが、例外と言える。では身近な物を代用するしかない。ああ、ミリオタ必携なBB弾の遊戯銃はガスブローバックや電動でも玩具に過ぎない。痛ささえ我慢したら良い。では実際に何が使えるかと言うと、火炎ビン、鉄パイプ、角材、竹竿、空きビン、爆竹、発煙筒、石塊は警察が極左暴力集団から凶器として押収した物で、一般的に入手が容易と言える。一般家庭では包丁、アイスピック、まさかり、バール、金槌、ロープ等があっても不思議ではない。愛国の烈士が邪悪な侵略者に立ち向かう場合は様々な知識が武器となる。例えばビルマで旧日本陸軍の行った密林に於ける戦術は現代でも応用が出来る。自転車のボールベアリングは自転車屋やホームセンターで売っているので用意は簡単だ。ボールの効果は、圧力釜の金属球やIEDの廃材と同じだ。起爆方式は点火式より時限式が望ましい。さて、では実際にイタリアンポテトを作ってみよう。発射筒には塩化ビニールパイプを使用する。発射装置は時限式発火装置で、酸化第二鉄とアルミニウム粉末混合によるテルミットが一般的だ。投擲する物は爆発物、可燃物、火炎ビン、金属物等何でも良い。爆発物のベースは花火から取り出したジャガイモが手軽に用意できる。ただし作業は注意を要し、静電気は気を着けないと自爆してしまう。ジャガイモを自作する手段はこの後で解説をする。容器は円筒形の物を用意する。消火器をイタリアンポテトに使う場合は中身にジャガイモを詰めて、リード線を通すために直径5mmの穴を開けて……ん? 誰か来たようだ。ちょっと失礼する』
来客とのやり取りがそのまま配信された。
2016年2月26日、O県N駐屯地に於いて自衛隊員Aによる武器の横流しが点検で発覚。盗難にあったのは89式小銃3丁で、ネットを通じて知り合った人物Bと意気投合。Bの所属する団体によるクーデター計画に協力、その武器調達が目的だった。
当直陸士であったA士長は週末点検後に当直だったC3曹が入浴中に武器庫の鍵を盗み出し犯行に及んだと供述している。月曜日、武器陸曹のD1曹から小銃紛失の報告受けた中隊長E3佐は駐屯地司令のF1佐に報告。旅団、方面総監部を巻き込み、警務隊がA士長の私有車のトランクから銃を発見、回収した。Aは他にも中隊の油脂、石油類を窃盗しており、教育訓練資料の教範、本来はシュレッダーにかけるべき秘文書も持ち出していた。
Bは動画投稿サイトで武器製造の実況中継をやっていた。料理番組に偽装されていたが捜査員によって武器等製造法違反、爆発物取締罰則違反等の現行犯で逮捕された。ネット右翼から脱皮し右翼過激派となった瞬間である。
クーデター計画は未遂だったが、自衛隊は管理・監督責任を問われ多くの人員が処罰を受ける事になった。
その半年後、中国軍が対日宣戦布告。戦略ミサイルの波状攻撃で焦土と化した日本本土へ侵攻作戦を開始した。
2016年11月11日、鳥取県と岡山県の県境にある猫鳴峠。イリューシン28爆撃機のライセンス生産である響5が編隊を組んで爆撃を行っている。
第13戦車中隊の渡利浩二3曹は偽装網の下で呻き声をたまらず漏らした。
開戦から3ヶ月、極左暴力集団が蜂起し中国軍侵攻を手助けする中、自衛隊は制空権を失い旧式機ですら撃ち落とす力を失っていた。
「くそが……」
そんな状況に甘んじてる自分自身への不甲斐なさと憤りも入っている。
国道を進んでくる戦車の姿が見えた。T-54戦車をライセンス生産した59式戦車の改良型だ。
初期の69式戦車は100mm滑腔砲を搭載していたが、後に100mmライフル砲に換装され、105mm滑腔砲装備の物を79式中戦車と呼称される。
(とどのつまり、T-54の派生系と考えるべきか)
対する此方は急遽、ロシアから調達されたT-72戦車だった。数こそ少ないが、自衛隊にとっては貴重な戦力と言える。戦前に比べて個人携行の火器もバラエティに富んでいる。SIG P229、H&K USPが緊急導入で貸与されていた。9mmパラベラム弾で既存の9mm拳銃と弾薬の共通化はされているが、種類の増加は整備の面から好ましくはない。
戦争の突入は否応なしに国民を巻き込み自主的な自警団の発足に繋がった。
平時から国民の中には実力闘争、武力闘争を叫び中国軍の侵略に抵抗する愛国の烈士が居た。
山本哲男。武器の窃盗により懲戒免職。逮捕、起訴されたが中国との戦争が始まりうやむやの内に義勇兵として戦場に居た。殺した敵は、警察官から奪ったS&W M3913を戦利品として持っていた。それを日本人の元に取り戻し装備していた。
義勇兵の小隊長として自衛隊の責任者に会見を申し入れた。
そこにはかつての同期や同僚が居た。
「山本……」
非好意的な視線に怯まず山本は話しかけた。
「渡利か、久しぶりだな」
「こそ泥が何をしに来た。お前みたいな恥さらしは、どこかで死ねば良い」
渡利に言わせれば中隊だけでも中隊長、武器陸曹、当直陸曹は免職された。上を見れば連隊長、旅団長、方面総監の首がすげ替えられた。多くの人の人生が変わった。
「俺達はあの時、この国を変えようとしたんだ。現に中国人が攻めてきただろう」
山本は正義を実証したと誇らしかった。自分達には先見の明があったと信じている。
しかしかつての同僚は彼を許しはしない。中隊の看板に泥を塗った。自衛隊と言う組織に混乱を招き寄せた男と言う評価だった。
中国軍によって本州が蹂躙される中、避難民と自衛隊は四国に逃げ込んだ。瀬戸大橋から撤退する部隊の後衛は、橋梁を爆破しながら後退した。四国に逃れたリストの中に山本の名前は無かった。
愛国者気取りも極端に走れば極左暴力集団と変わらないって事です。