殺人者の第七
「あの、少し質問があるんですけど」
所々が破けた、緑色の長いソファーに腰掛けた伍波が、体面に座ってピザを齧っていた黒句に話しかける。今まで終始無言であった伍波が急に口を開いたことで、黒句は少し動揺した。
「質問ね。ここで何が一番おいしいか、ってことならお答えできませんよ」
「いえ、そういうことではなくて」
その夜、黒句と伍波はファミレスの席に着いていた。伍波百花の初仕事の達成として、黒句が自分の奢りでどこかに食べに行こうと言いだしたのだ。
実際に伍波が指をさしたのは、ただのファミレスだった。最近の子はみんなそうなんだろうか、と黒句としては甚だ疑問に感じるところだが。
「今日、どうしてあんなことをしたんですか?」すっかり口調が元に戻った伍波は、黒句にそう言う。あんなこと、というのがどのような事実のことを指すのかを黒句は読み取り、苦い顔になる。「……教えてくれないんですね。じゃあもう一つ。これは一体なんですか?」
自身が口に運んでいたパスタ類を横に押しのけ、伍波はそこに二つの物体を乗せた。
木製の薄いテーブルに乗せられたのは、二丁の拳銃だった。
「ばっ――!」まさか実物をそこに置かれるとは思っていなかった黒句は非常に慌てる。仕方なくテーブルに両手をつき、テーブルに置かれた物を覆い隠し、伍波のほうへ身を乗り出す。「しまってしまって。そんなもんここで出すんじゃないの」
小声で言うと、伍波はすぐにそれを黒い外套の中へ引っ込めた。安堵して、黒句は自分の席へ身を降ろす。
「この銃、私が持っていたものと違うんです。いや、形は同じなんだけど」それを上手く言語化できないらしい。今までそんな物とは無縁だった少女が、実物を急に手にすればそんな反応にもなるか。「これ、やったのは、黒句さんでしょう?」
話しても話さなくても気づかれてはいるので、黒句は話さないことに決めた。
黒句がしたことはこうである。今日『降りて』から伍波とビルに行くまでの間に、自分の用意していた銃を、伍波の所持していたものと入れ替えたのだ。前にメンバーの一人に彼女の得物を聞いたことで、同じものを購入し、従来のものとは格段に威力を落とすよう改造し、更に銃弾には鉛の弾ではなく、自作したゴム弾を装填したものだ。
例え至近距離で発砲しても、人間を殺傷不可能な拳銃を自分で作成し、伍波に使用させた。問題なのは、それが完全に黒句の独断だったというだけだ。
「使うまで気がつかなかったけど、一体どこで入れ替えたんですか?」
「教える気はないよ。それに関しては、君が気付かなかったのが悪い」
伍波はしばらく黙りこんだ後、口を開く。
「今回、黒句さんは一体何がしたかったんですか?」
「君に人殺しをしてほしくなかった。ただ、それだけだね」
現に、あの十数人の男たちに一人として死者は出なかった。今頃は病院に搬送されているころだろう。唯一心配があるとすれば、黒句が投げた灰皿が頭に直撃した人物だけだが。
「じゃあ、もう一つ」人差し指うを立てて、伍波は言う。「前に言った、どうしてあの人を逃がしたか、について。仕事が無事に終わったら教えてくれるっていいましたよね。約束を守って
ください」
「……あー、あれね」そういや言ったな、そんなこと。その場しのぎで適当に言った言葉だったのだが。ここは、まあ、下手な嘘を吐くよりは本当のことを言った方がいいか。「伍波ちゃん、あの人がどういうことをして、俺達の『対象』になったか、知ってる?」
体面に座った伍波は、表情もなく、首を横に振る。これは、大方黒句の予想通りだ。
「あの人はね、他国との兵器交渉をする人だったわけ。銃刀法、くらいは知ってるよね?」
「……はい」半分、黒句が自分を子供扱いしたことへの反抗心を声に表しつつ、伍波が答える。
「日本国では、銃器とかでっかい刃物とかは、資格を持ってないと所持を許されない。作る方もね。だから、この国にそういった物を持ち込むのは、他国からの方がずっとリスクが少ないわけ。で、あの人はそういった危ないもんの取引をやってた人なんだよね」
「それが?」
伍波が疑問を含んだ声を上げる。回りくどい、と言っているのかもしれない。
「他国の武器を、こっちで売ったり買ったりっていうのは、一概に武器そのものを扱う訳じゃない。ほとんどは契約と書類と人間関係によって成り立つ。運搬とかそんなのはあの人たちにとっては下請けだ。君だって、手紙を出す時には必ず郵便を通すでしょ? いわば、彼はその兵器の方を職業にしている人だったわけ。だとしたら、でしょ」
「なにが?」言い方がきっついなこの子、と黒句は思う。
「彼自身は、俺達が排除すべき『害』じゃないってことだよ。あくまで『世の中の害』になるのは彼の仕事であって、その先にある物資と、それが流れる方向。そうして流れた後に行われる行為なのであって、彼はその中間地点でしかない。なら、彼を『やる』必要はないでしょ」
「意味がよく分からないんですが。つまり黒句さんは、あの人に脅威がなかったから、本当に脅威となるものだけを切除した、ということですか?」
「うーん、まあ、そんなとこ」細かい説明をするのが億劫になって、黒句はそう肯定した。「まあ、俺の所為でお給料が少し減っちゃったから、前の相方の人には睨まれたけどねー」
黒句達の仕事は完全給料制である。一度仕事に赴いた金額と、それに、仕事時に『対象』となった人物を何人殺害したかで金額が決定される。プロの球技において、一人の選手がいくつ得点を取ったかで金額を計算するシステムに近い。
「実際にもうその行為をしないって約束してもらえれば、そして本人もそれをしてくれれば、その人物は『対象』から外れるわけ。脅威がなくなったら、俺達の仕事はそれで終わる」
「でもあの人、結局黒句さんの言うことを無視したわけですよね」
「そうだね。そこは、本当に残念だった」黒句らが仕事の『対象』を逃がすことが許されるのは一度だけである。一度逃がした『対象』が再度黒句らの忠告を無視して行動を始めた場合、その際にはなんの釈明を言おうと法的に勝利が確定していても、『対象』には殺害という未来しか待っていない。