古木麦奈
『で、結局あんた生かされたわけか』そんなことを、受話器の先にいる少年は言う。
「そうだね。やっぱり、私は対処するにも値しなかったんじゃないかな。あの子にとって」
『あくまで重要なのはあんたが作ったソフトであって、あんた一人じゃ何もできやしねえからな。その辺、あのガキも分かってたってこったろ。つーか、あの野郎でもそうすると思うが』
「あの野郎?」古木が言うと、少年はなんでもねえよ、と口早に誤魔化した。「というか、あんまり喋らせないで欲しいんだけど、まだ頬、湿布貼っててもじんじんすんだから」
古木麦奈が眼を覚ましたのは、殴り倒されたその日の夕方だった。目の前には看護婦がおり、自分の洋服が変わっていて、歯や頬のあたりが強烈に痛覚を主張していた。話をきいてみると、どうやら自分は誰かと喧嘩になり、相手が逆上して自分を殴った、ということらしい。
自分の部屋のあらゆる機材は粉々に、それはもう見るに耐えないほど酷い有様にあるらしく、部屋で寝るのは危険だからとしばらくの入院を勧められた。そのことで自分の両親や、大学に連絡や手続きを行う必要が出てきて、あっという間に、古木麦奈はただの大学生に戻った。一国家を破壊しようとしたテロリストの援助を行っていたことが夢であるかのように。
数日後、病院にかかって来た電話は、何度か喋ったことのある、米崎一派と呼ばれる集団のサブリーダーを務めていた少年からだった。どうやって古木のいる病院を突き止めたのかは分からないが、それは、古木も訊くことはしなかった。彼から伝えられたのは、米崎一派は事実上崩壊したということと、少年――赤岸赤子自身はなんとか警察から逃れている、という一応の近況報告のようなものだった。
「赤岸くんは、これからどうするの?」
『今まで通りだよ。今まで通りに犯罪者だ。米崎が死のうが死ぬまいが、それは変わらない』
「そ。ふーん」古木は、そう呟く。「私は――まだ決めてないや」
『あんたはもう、俺達みたいなのと関わるべきじゃねえよ』
「――へえ」病院に置いてある、時代錯誤な緑の公衆電話の前で、古木麦奈は思わず笑い声を上げる。「言ってくれるじゃん、男の子。私が米崎くんのところにいるのに、違和感が?」
『あったぜ。そりゃあな。あんな人間のところに、あんたみたいなのがいるのが、俺には不思議で仕方がなかったんだ。だから今回みたいなことになった。もう痛い目に遭いたくなかったら、もう二度と俺達みたいなのには関わらないことだ』
もっともらしく言う赤岸に対して、古木は受話器の前にいながら笑いが止まらなかった。
「人のことなんて言えないくせに」
『…………』
通話は一方的に切られた。ぶつりと、なんの挨拶もなしに、なんの遺恨も残さないまま、感傷も激励もなく、それがまさしく、彼らしくもあった。
緑色の受話器をしばらく見つめたあと、古木麦奈は静かにそれを電話に戻し、病院の廊下を歩いて行く。彼女は結局、米崎の死に対しても、何の感情も抱くことはできなかった。
――もし、あの『声』が私に作用したら、私は、私自身を手に入れられたかもしれないのに。
そんなことを考えながら、国際テロリスト、米崎稲峰のエンジニアである古木麦奈は、自分の病室に足を運んだ。帰って来た場所は、普遍な、ただの人間が住む場所だった。




