少女達の戦争 3
『止まれ。伍波百花』
古木は、キーボードにそう打ち込む。伍波は、予想通りに停止した。古木は、部屋の机から何かを取り出し、それを手に持ったまま、伍波の方に歩いてくる。
そうして腕を上げ、古木が伍波の眉間に突きつけられた物は小型の拳銃だった。米崎稲峰か、それとも家納割率からか、それとも他の、誰かからなのか、一人の細い女性の手に収まっているその鉄の銃器は、伍波の眼にはひどく滑稽に見えた。
「撃ったことはないけれど、いくら私でもこの距離で外すはずがない」古木の声は、小さく震えていて、その眼は相変わらず光が宿っていないが、微かに怯えの色が見える。実際に自分の手で人を殺傷しようと思ったことなどなかったに違いない。そう想像することがないほどに、古木麦奈という少女の人生は人間に関心のないものだったのだ。「ごめんね。さよなら」
それだけで、古木麦奈は本当に引き金を引いた。迷いもなく、怯えを残しながら、一切の躊躇をせずに、伍波という少女を殺傷せしめようとする、その意思。
古木麦奈と米崎稲峰はまったくの正反対な人間である。米崎が誰よりも強い人間だとするならば、古木は誰よりも脆弱な人間だと言っていい。他者の痛みも、その人生を想像する、力すらなく、ただ自分の為だけに引き金を引く人間。それは、人間としては極限の状態を常に持続しているようなものだ。他者を顧みず、自身の弊害となるものであれば容赦なく排斥する。
米崎稲峰の強さが、すべてを承知した上での暴走なのだとすれば、古木の弱さは、何も分かっていないからこその暴走に過ぎない。故に、そこに意思はない。ただの、思考停止である。
古木は、これで、今度こそ伍波百花を仕留めたと確信した。
しかし、伍波は何のこともないように古木が向けている銃から身を躱す。
米崎の『声』によって、「止まれ」と命じられた直後のことである。
疑問を口にする時間もなく、古木の鼻頭に、今度こそ伍波の拳が衝突した。
「っ……あ」古木の身体が後ろへ倒れ込む。対して、ふらふらとしながらも、伍波百花は、頭から血を流しながら、立ち上がった。視界が歪む、過呼吸と脳震盪によって意識が朦朧とする。そんな状況になっても、伍波は目の前にいる女から目を離さなかった。
古木は自分の鼻から流れてくるものをぬぐい、それが血であることを確認する。冷たく、痛みを伴う赤い液体が口に入り、鉄の味を噛み締めた。顔面を殴打され鼻を切る、などという経験は、古木麦奈という少女には初めてのことだ。
「どう――、――して」痛みよりも先に、疑問が古木の頭を巡った。確かに米崎稲峰の『声』は散布した。それが通用しないのは、能力の持ち主である米崎と、それが受信しても意味もなさない古木麦奈だけだ。目の前の少女が逆らえる道理が、どこに……。
そこで、古木は伍波の耳に今まで装着されていなかったものが存在することに気が付いた。インカム――ではない。ワイヤレスのイヤフォン、だろうか。それが、伍波の両耳に装着されている。今まで気にしてもいなかったが、そうだ、あの時、古木が足首を掴まれ、床に転倒した時から、この少女の耳にはそれが装着されていた。
米崎稲峰の『対抗策』。最高の殺人者、黒句轆轤が米崎稲峰殺害の為に使用したその残骸が、伍波の耳に装着されている。それを黒句の外套と一緒に拾い上げたのは、全くの偶然だった。イヤフォンに音を送信する本体が黒句より少し離れた位置にあったが、それをポケットに入れて、伍波はここまで持ってきていた。古木が米崎の能力を手にしているとは思っておらず、あくまで単純な黒句の遺品として、ただの「お守り」にすぎなかったのだが。
米崎稲峰がその概要を古木麦奈に伝える前に死亡したため、古木にそのイヤフォンの予備知識はない。しかし古木は、おそらくはあの装置が、米崎の『声』を阻害したのだということは、容易に見当が付いた。
「どこまでも、小賢しいんだ」笑いながら、古木は自分の血で濡れた口を動かす。「きみさ、名前、なんて言うんだっけ?」
唐突に、古木はそんなことを言った。
意図があったわけでも、作戦があったわけでも、まして、会話から伍波の気を引こうとしたわけでもない。電子以外で、そんな高尚な技術は、古木麦奈という人物には備わっていない。
それが分かったからこそ、伍波も、行動を一端取り止めた。
伍波は、それに答える。
「黒句轆轤。……いいえ」
伍波は、そこで頭を振る。それは、違う。彼は、黒句轆轤は絶命した。
「私は――」自分は。「――立花、紫蘭です」
「――そ」古木は軽く口にした。「私も、米崎稲峰じゃない。米崎くんは死んだんだ」
「じゃあ、あなたはなんです?」伍波は、自然と口調が元に戻っている。古木は、短く笑う。
「私は、古木麦奈だった」
古木は、そこでキーボードから手を離し、代わりにパソコンそのものを持ち上げた。
「米崎稲峰に依存する、なんにもできない、ただの子供だったよ」
それは、伍波とて同じこと。
両者は、まったくの同一者にすぎなかった。
「でも、ここで殺される気はない」古木は、手に持ったノートパソコンを、強引に折りたたみ、その角を持つ。「抵抗はさせてもらうよ。私も」
伍波は、流れ出る地で赤く染まった視界に立っている、一人の矮小な女を見た。
彼女は――。
「分かりました」伍波はそう言って、まだ衣服の中にある武器、銃器であるグロックを手にすることをやめ、拳を作る。「もう、終わりにしましょう。古木麦奈さん」
両者が動く。古木は手に持ったノートパソコンを振り上げ、伍波は強く握った拳を垂直に伸ばす。本来の機能を完全に無視した使用と、自分の体格を熟知していない素人。
ただのプラスチックの外装に覆われた電子機器と、一人の少女による、小さな拳。
そんなものでも、互いに全力である。狙うは顔面。互いに血にまみれながら、相手を打倒することを目指して、その部分に武器を放る。
単純な結果としては。
「はっ……」
伍波百花の拳が、古木の振り下ろすパソコンよりも先に、古木の顔面を捉えた。
その小さな、細い指で作られた拳は、それでも明確な威力を持って、右の頬に衝突する。
そのまま、殴り飛ばされた古木は、自室の机に強く頭を打ちつけて、停止した。
立っていたのは、ただ一人。頭から血を流し、小さな拳を握りしめた、少女だった。




