少女達の戦争 2
伍波の身体が、ほんの少しだけ、古木の方へ前進する。米崎の声を出力できるからと言って、そのソフトは万全ではない。やはりオリジナルには劣る箇所があるようだ。しかし、そんなものは『声』が作用した時点で問題にするところではない。
古木はそんな伍波を視野に入れながら、キーボードに文字を打ち付ける。
『拳銃を自分の頭に突きつけろ』
スピーカーから、その『声』が出力された時点で、伍波はホルスターから拳銃を引き抜き、自分のこめかみに当てた。足は、まだ動く。
『指を動かせ、引き金を引け。回数は弾がなくなるまでだ。引き金を引き続けろ』
ぞっと、伍波が冷や汗を感じた瞬間、自分の指が動き出した。
「…………っ」逆らえない。至近距離から銃弾が発射される。高速で発射される弾丸が、伍波の頭を撃ち抜いた。こめかみの一点から、衝撃は頭蓋へ、また最終的に脳へと伝わって行く。こめかみの皮膚が切れ、頭から血液があふれ出し、頬を伝って顎から地面へと落ちていく。
不思議と、自分で引き金を引くことに対しての恐怖はなかった。だからこそ、伍波は明確な恐怖を実感した。米崎稲峰の能力の本質は、米崎の『声』によって発されたフレーズを、他人の欲求に変えることにある。故にそれは三大欲求と同様。人間は、その行為を目指して行動するのみとなる。そこに恐怖感や、戸惑いを一切持たない。そこが、伍波には例えようもなくどうしようもないほど、恐ろしかった。
こんな存在に、こんな人間に、黒句轆轤は勝利したのか。
とてもではないが、それは、伍波百花には不可能なことだ。
立花紫蘭にも、おそらくは彼以外の誰にも、そんなことはできない。
頭蓋が破壊される。五発目の弾丸が伍波の頭に発射された時点で、彼女は床に倒れ込んだ。こめかみから血を流しながら、床の一帯を血に染めながら、伍波百花は沈黙する。
その様子を、古木は無感情なまま、じっと見ていた。
目の前に死体がある。それより古木にとって大きな衝撃だったのは、銃弾を頭に五発まで受けて立っていられた、という事実の方だ。やはり、この者達は人間ではない。人間という生物のカタチをした、『なにか』なのだ。
「――はぁ」息を吐く。自分で殺人をしたことは初めてだが、彼女は、何も感じなかった。罪悪感も気持ち悪さも、怒りも悲しみも、後悔も懺悔も、本当に、何もなかった。「それが、私なんだ。仕方ないよね。仕方がないんだ。……弱いんだからさ」
古木はそう呟いて、残った最後のパソコンを持ち上げて、部屋から出て行こうとする。二つの鞄と、手にPCを持ちながら、少女の死体を跨いで、その先の出口を目指す。
その足首を、
死体だと思っていた少女の指が、細い腕に見合わない握力でつかみ上げた。
足の片方を止められ、古木はそのまま床に叩き付けられるようにして転倒する。持っていた機械類がそこここに散らばる。古木は勢いよく額と鼻を床に打ち付けることになり、衝撃を受けた鼻からつんとした痛みが古木の顔面を覆った。
「あ……え?」掴まれた足の方に目を向ける。
そこには、赤と黒で彩られた少女の、無表情な顔があった。顔を流血で濡らしながら、伍波百花は確かに二つの眼で古木麦奈を凝視している。
「なん、で」死んでいない。頭に弾丸を五発も打ち込んでおいて、どうしてまだそんな余力がある。まさか、本当に頭を打ち抜いても絶命しない生物だったとでもいうつもりだろうか。
そこで、古木は伍波の眉間に、そもそも穴など開いていないことを確認する。彼女のこめかみはたしかに裂けてはいるものの、見た目ほどの損傷ではない。銃弾を五発も撃った後の損傷としては、それはあまりにも軽い傷痕だった。
「捕まえたぜ」言って、伍波は古木の足を掴んだまま、拳を古木の顔面に振り下ろす。
「あっ」古木は、手元にあったバッグを盾にして、その拳を防いだ。バッグからは、何かが割れたような音がし、殴った本人である伍波は、それがPCであることを認識する。
ほぼ反射的に、古木は伍波を掴まれていないもう片方の足で蹴り飛ばす。衝撃は少なかったが、伍波の手は古木から離れ、古木は伍波から距離を取る。手元には、米崎の『声』を発信するソフトが入ったPCを持ちながら。
「どうして、死んでないんだよ」古木が訊く。質問を向けられた伍波は、顎から滴り落ちる血液を気に留めずに、ただ、古木の発言に『はぁ?』と呆れたような表情を見せた。
「その床に落っこってる物はなんだよ」床、と言われて古木はPCに手を置きながら視線を下げる。そこには、伍波の銃から発射されたと思わしき、鉛ではない銃弾が落ちていた。
ゴム弾。それも、ほとんど強度を持っていない。通常のゴム弾ならば、実弾ではないとはいえ、至近距離から、それも頭を撃ったとすれば、その衝撃で十分に脳を破壊できる。しかし、そのゴム弾は市販されているものではなく、数週間前に黒句が伍波に持たせる目的で自作したものだ。そしてそれを発射した銃器も、黒句轆轤が威力を落とすように調整したもの。
絶対に人を死傷させることがないように作られた、非殺傷兵器。もっとも殺人技術に優れていた男が、一切の殺人を想定せずに作成したそれは、結果的に伍波の頭部を破壊するには至らなかったのだ。
「そういうことかよ」古木は、おかしさから笑みがこぼれた。この子は、もしかしたら自分を殺す気なんてなかったのではないかと、そう考えたからだ。勝手に殺されると思い込み、反撃をした自分は、やはり程度の低いテロリストなのだと、古木は考えた。「くだらねえ」
対して、伍波は古木を生かそうなどとは考えていなかった。危険性があるのなら、その技術と一緒に殺害する。それが、メンバーとして行うべきことなのだと思っていた。あくまで、黒句轆轤の正体を知るまでは。
黒句轆轤、彼は殺さない方法を模索する殺人者だった。その理由は、伍波には分からない。たぶん、彼なりに理由があったのだろうが、それも、もう聞くことはできない。
伍波百花は、あくまで目の前にいる女を殺害しなければならないと思っている。
対して、伍波が成っている黒句轆轤は、古木麦奈を殺害する必要はないと考えている。
一体、どちらが最善なのだろう?




