米崎稲峰と黒句轆轤 4
アスファルトに無数の血の痕を残しながら、黒句は一歩一歩米崎に歩いてくる。さすがに、痛覚の方も正常に稼働してきた。今すぐに意識が飛びそうな痛覚が、黒句の脳を揺らしている。
「――いいや、まだ――僥倖だぜ」
そこで、
米崎の背後にあった車体一台が爆発を起こす。
米崎一派が乗っていた六台の内一つ。黒句によってエンジン部を損傷し、身動きが取れなくなった車体。それが、燃えるエンジン部に対して流れ出るガソリンにその熱が伝わり、引火したものだ。米崎はその近くにいたこともあり、爆風から身の態勢を崩す。
それを、黒句轆轤は見逃さなかった。
元よりその現象に米崎を巻き込むことを計画していた黒句である。逃すはずがない。
腹に刃物が刺さった状態で、黒句は米崎に駆け出す。重傷を負っているとは思えない速度で米崎稲峰に突進する。
対して、米崎は自分の身に何が行ったのかをその時ようやく認識した。そして、目の前に見える少年の姿をした殺人者が、その現象からすぐに自分に接近してきたことにより、黒句轆轤がこの時を視野に入れつつ自分を誘導していたのだと悟る。
腹部に刃物を刺したまま、その傷口から大量の血液を流しながら、黒句轆轤は怪物のように米崎稲峰に突進する。その動作は米崎が今までに見た中で最も高速化し、かつ的確に米崎の両腕にそれぞれ一本ずつ刃物を突き立てた。
「…………チ」痛みを感じて、舌を打つ。米崎が両腕を損傷し、血液と共に握っていた刃物と拳銃を地面に落とした時には、黒句轆轤は既に米崎の後ろ側に回り込んでいる。そこで、黒衣は衣服の中から新たな刃物を取り出し、両腕に持ち替えた。血に塗れるアスファルト。だが両者は、それを気にすることもなく次の動作を実行する。
「各員、黒衣の男を襲撃しろ」
黒句は米崎の喉笛を。
米崎は黒句の耳に装着されているイヤフォンを。
黒句は刃物で。
米崎は周りに立ち上がりつつある一派の人間を利用して。
――もって、あと数分。
黒句は、自分の腹から流れ続けている血液の量から、自分の命の残量の計算をする。
死。その実感は、確かに今、黒句の中にある。身体に信号を送る痛覚が暴走している。活動限界など当に超過している。しかしそのくらいが、自分のような存在にとっては似合いだと、黒句は思った。
閃光によって網膜が焼付きながら、視界そのものが真っ白い異常に覆われながら、体全体を動かせないほどの不調を感じながら、それでも米崎の『声』に従って、米崎一派の数人が微かに黒句の方向に、千鳥足で走ってくる。当然、目は黒句の方向を見ていない。
おそらく、黒句の傷の深さを見越しての命令だろう。黒句が目の前に迫る一派に時間を取られ、出血量によって死亡させる。そこまでいかなくても、出血量を増加させる目的だ。
「考えが甘いよ」黒句は、手に持っていた二本の刃物を、迫りくる一派の人間を縫って、米崎に投げつけた。予想もそこで尽きたのか、米崎は負傷した腕で回転しながら飛来する刃物を掴み取ることはできず、一本を蹴り飛ばし、一本を身に受けることしかできなかった。
米崎稲峰の左足に刃物が突き刺さる。黒句はそれを確認することもせず、目の前に迫ってくる一派の人間を難なく躱して見せる。米崎から見て、一派を躱した黒句の手には新たに二本の刃物が握られていた。たった今一派の人間からかすめ取ったものだろう。
「俺の……米崎稲峰の失敗は確定化している」
そこで、走りくる黒句を前にして、米崎はそんなことを言った。当たり前だが、黒句はそんなもので足を止める気はない。
「人類すべての殺害。それを成すことができるのは自然くらいだ。人間に人間は殺し切れない。俺も、一派も、世界中のどこにでも存在する、悪しき人間の誰にも、そんなことは不可能だ」
「なにそれ、敗北宣言?」言いながら、黒句は米崎の位置に到達し、刃物を振り下ろす。しかし米崎は、四肢の三つを封じられながら、右足だけで体を動かし、それを躱して見せる。
「いいや」米崎は、そこで初めて、黒句に対して笑って見せた。「勝利宣言だ」
そこで、米崎稲峰の後ろから出て来たのは、無数の米崎一派だった。
どこに隠れていたのか、黒句が視野に入れたことがない人物達が、米崎稲峰の後ろ、つまり、米崎一派が乗って来た車の方向から現れた。彼らは武装を持たず、一斉に黒句に手を伸ばす。
「――よく、やる」黒句は、黒衣の中に仕込んでいた最後の非殺傷兵器を起動させる。瞬間的に気化拡散する睡眠薬。黒句に手を伸ばした人物達は、次第に白い霧の中に倒れていく。皆一応に装備を持っていない私服の人物達だった。
彼らは車内に残り続けていた者達だろう。あくまで、今の今まで米崎に停滞を命令され、米崎の『声』を対策した上で忍び続けていた人物達。米崎稲峰が自分の能力を大勢の人の前で使用したとしても、その中を自由に行動できるように。
しかしこれで、黒句はすべての手の内をさらしてしまったことになる。
「ふっ――は」既に声は出ず、息を吐きだす音のみが黒句の口から洩れている。耳にした米崎の対抗策はまだ作動している、複数の音響が同時に混ざった声色。それを阻害するための音波は、まだ黒句に作用している。大して、黒句の身体は既に死に体に近い。腹に刃物が刺さったままで、今まで動けていたことがもう奇跡なのだ。人間の身体ならとうに死亡している。それでも、黒句轆轤は米崎を見据えて、両の足で立っている。
睡眠効果を持つ霧の中で黒句か息を吸い込むことはできない。吐いた息は吐いたまま、肺の酸素がないままで、黒句は事実上、そこから動くことが出来なくなった。




