殺人者の第五
「はあん、なるほどぉ」黒句は、焦るどころか得心がいく、といった風に家納に向き直る口調がふざけていたのに、特に意図はないのだが。「確かにこの状況なら安全かもしれませんね。あなたがここを動く必要がない」
家納は答えない。答える必要はないと思ったのかもしれないし、単に口を開けないだけかもしれなかった。
――しかし、違和感。
黒句は目の前の家納と言う人物に対して、一つの相違を感じていた。まず、黒句が最初に会った家納割率という人物はここまで胆の据わった人物ではなかった。どちらかと言えば気の小さい、今風の日本人と言う男性だった。それが、この数週間でここまでの変貌を遂げるというのも、おかしい話だ。
「抵抗をするなら、してみてくれ」家納が口を開く。「彼らは、そんなものは意に反さないが」
彼ら、か。まるで赤の他人を指すような言い方だ。この部屋で銃を構えて待っていた十数人の人間。その人物達をして「彼ら」という表現の方法は、少し違和感がある。
そこで、黒句は家納が何かの装置を持っていることに気が付く。
それは、いつかに流行った携帯用の音楽機器のようなもので、幾つかあるボタンの内の真ん中、再生ボタンに指を乗せていた。
その動作の意味するところは黒句には分からない。一応の注意を伍波に呼びかけようとしたとき、黒句の隣にいた彼女はもうそこにいなかった。
「シンドイな」思わず、黒句は呟く。「それと、よくやる。ここまでの準備とは思わなかった」
家納は答えない。答えない代わりに、静かに、その指を乗せた機械のボタンを押した。
黒句に向けて、数十という銃口が一斉に火を噴き出した。
◆
「彼女、仕事――っていうか実行するときにあることをする傾向があるみたい」
「仕事とか実行とか分かり難いっす。つまりそれは、武力行使の時ってことでいいですか?」
まあそうだね、と受話器の向こう側にいる人物は答える。
「彼女がこっちに入って来た理由、君聞いた?」
「いいえ。そもそも最初に会ってからあの子には会ってないですから」
黒句としては、正直なところもう会いたくはなかった。ああいうタイプは苦手だからだ。
「彼女、『憧れ』でここに入ったらしいんだよね」
ほら、これだ。
「憧れ、ねぇー」そんな冷めた感想を口にする黒句に、受話器の向こうにいる人物は笑いをかみ殺していた。「何が可笑しいんすか。別に笑えないでしょう」
「いや、まー君らしいなと思って」無駄な話をしていたくはなかったので、黒句は『で、特徴って?』と話を催促することにした。「特徴ね。彼女、その武力行使を始めると違う人になるらしいんだよね」
話の内容が分からない。というか、違う人になる、というのはどういう意味だ。
「簡単に言えば、『自己催眠』ってことだよ」受話器の向こうの人物は面白そうに言う。「自分は他の人物である、自分は違う人間である、と思うことによって、自分にあるプレッシャーとかストレスとか、要するに不安を取り除いてるってこと。そうやって、自分にかかる負荷を軽減してるってわけ」
理屈は分からないが、感覚として黒句にも分かる。自分は天才だ、と思うことによって自己を鼓舞する発想に似ているだろう。
「で、それが?」
「興味なさそうだなぁ。つまりさ、彼女の場合、その『憧れ』でここに入って来た。じゃあ、その『憧れ』たものって言うのは、たぶん、特定の人物なわけ」
ああ、とさすがに黒句もそこで話の全体を掴む。
「要するに、あの子が『憧れた』人が俺達の中にいて、で、彼女は武力行使の際にその『憧れた』人になり切って武力を振るう、と」
そういうことー、と受話器の向こうの人物は答える。拍手の音まで聞こえた。
「馬鹿にする態度もいい加減にしてくださいね」
「おっと、別に怒らせようとしたわけじゃない」わざとらしく受話器の向こうにいる人物は言って、その先を続ける。「ただ、彼女の場合、それが強力な自己暗示となって作用することも事実だよ。実際にその状態に成っている時と成っていない時じゃ、彼女の思考そのものも違うことも判明した」
「例えば、どんな事例です?」
「例えば、というよりは実例だけど、自己暗示をしている時では二分でできたことが、暗示をしていない状態では三十分でようやくできた、ってのが今のところ有力かな」
それは確かに、目に見えて確定した事実だろう。暗示をしているかしていないか。たったそれだけのことで一つの動作に十五倍以上の時間がかかるというのは。
「彼女の自己暗示はそこまでまだ完成されてはいなくってね。そもそも催眠っていうのはゆっくり段階を踏んで入って行くもんでしょ? だから徐々に、時間をかけて少しずつ自分に催眠をかけていく。それが彼女の特徴」
意識だけで自己にそこまで強力な催眠をかけることができる、というのは悪徳商法のような宣伝文句だが。まあ、その点は明日明後日の仕事時の時に見ておくとしてだ。
「じゃあ、あの子が自分に催眠をかけている状態、そのモデルになった人って誰なんすかね」
若干想像が出来たので、受話器の向こうに尋ねてみる。自分の予想とは違う答えを、内心全力で期待した黒句だったのだが。
「…………」受話器から聞こえてくる音は、向こうの人物の息遣いのみで、実質的にはほぼ無音に近い、ただの『沈黙』だった。それが意味するところは、黒句にとっては答えを提示されていることと同じである。
「……嘘でしょう?」黒句は言う。「本当に俺なんですか?」
「ご名答」受話器からは、黒句の一番聞きたくない返答が返って来た。そんな返答が帰ってくるくらいなら『自惚れんな』と非難されたほうがマシだと思っていた黒句だったが。「あの子にとって『憧れた』人は君らしいよ。で、君が彼女の中では理想的な殺人者だった。だから彼女は自分の人格に君を選んだんだからね。実際君――黒句轆轤になったあの子は実に優秀だ」
本人は賞賛しているのかもしれないが、黒句にとっては劣悪な方法で貶されているようにしか感じない。
「どうして、俺なんすか」知らないよ、と受話器の先の人物は即答する。「――愚問でした。実際に彼女に会った時に馬鹿な質問として訊いておきます」
「うん、そうして」受話器の人物は、そこで自分の伝えるべきことは終わったというように、息を吐きだした。「じゃ、伝えることは伝えたから」
「ああ、すんません、俺から一ついいすか」
黒句にとってはこれが本題だったわけだが、無駄な話をしているうちに会話の最後になってしまった。
「彼女の得物を教えてもらえます? できれば商品名」