米崎稲峰と黒句轆轤 3
黒句轆轤と米崎稲峰はそれぞれで相手を打倒する方法を思考する。
――耳にしているイヤフォンを破壊。先ほどの命令を入力する。
――一息の内に喉を裂く。その為の道筋と各動作を脳内で検索する。
息遣いはほぼ同時。両者の足が硬いアスファルトを蹴ったのも、ほぼ同時だった。
黒句は刃物を米崎に投げ、米崎は、射程に入った黒句の眉間に引き金を引く。
両者は、その攻防を容易に躱し、次の行動に移っている。黒句は衣服の中から次なる刃物を、米崎は黒句が投げた刃物を空いた片方の手でつかみ取り、銃口を調節し、再度引き金を引く。黒句は、地面を飛ぶような加速でそれに対応して見せる。直線的ではなく左右に身体を逸らしながらの曲線的な動き。不規則に跳ねるように、パルクールを用い、破損した車から車へ拘束で飛び跳ねまがら、黒句は米崎に接近する。
「ふん」米崎はその様子を見て、拳銃を持っている手を降ろした。そうして、いましがた黒句から『受け取った』刃物を黒句に構える。「已むを、得ないか」
黒句が米崎に振るう刃物と、米崎が防御の為に晒した刃物が激突する。それは鈍い金属音を響かせて、互いの刃を削りあった。黒句が米崎の背後に回り込み、再度そこから刃物の切っ先を向け、突き出すも、米崎は手に持った刃物でその刃をはじき出す。
米崎は黒句に向かってそのまま刃物を振り下ろすが、黒句自身はすでに米崎の腕の届かない位置にまで後退している。
「逃げ足の速いことだ」
「当然だろ。逃げることが下手な殺人者は殺人者じゃねえよ」
そも、黒句轆轤が体得している技術の約九割が自衛と逃走のための技術である。殺害することが最終目標で、また殺さないことが前提的な目的である黒句には、戦う技術など最初から不要なのだ。故に、最初から対等に戦闘をすることなど想定していない。
「ま、しかし」そこで、黒句は再度走り出す。米崎は刃物と拳銃を同時に構えるが、黒句が米崎に到達しようとするその瞬間、なんらかの気体を黒句の身体から瞬間的に拡散した。
「…………」灰色の煙。恐らくは発煙筒だろう。それを、衣服の中から作動させたのか。米崎の前には、一面の煙が高速道路全体を覆い尽くし始めている。そしてその原因、刃物を持った黒い外套の人物が、そこで視界を奪われた米崎の喉を狙う。
米崎の位置は視界が開けない場所でも正確に認識できる。発煙筒を焚く前に視界に入れた米崎の位置。それを、米崎が動く前に叩く。黒句は、刃物を逆手に持ち替え、その部分を捻じ切るように、刃を振り下ろした。
しかしその刃は、米崎の首の前に当てられていた刃物によって防がれた。同時に、煙の中から黒い外装を持った拳銃の銃口が、黒句の眉間に当てられる。
「――っ!」タン、と発砲音が煙幕の中で響く。発射された弾丸は黒句の頭部を捉えてはいたが、事前に危機を感知した黒句によって、その頭をかすめる程度に留めた。
米崎から身を離し、新たな角度から攻撃を無数に加える黒句だが、どこから認識しているのか、米崎はそれをすべて弾き落とした。呼吸もままならない煙幕の中で、両者は限界の状態まで刃物を持った腕を振るい続ける。黒句は米崎の認識の外である箇所から彼の喉や関節部を狙い、米崎自身はそれを防御しつつ、刃物を受けた時点でもう片方の手に持った拳銃を的確に黒句の頭部に向けていく。
黒句は攻めの刃を突き出しながら、米崎が後ろに下がることを許さない。その意図で、米崎に刃物を振り下ろす位置を瞬発的な動作で変えながら、選択している。耳に米崎の対抗策はあるものの、これはまだ絶対ではない。先ほど米崎の声に若干なり反応してしまったことから、恐らくは効力は八割がいいところだろう。耳を晒すよりは遥かにいいが、それでも常に耳にするわけにいかない。
そうして、黒句は米崎に刃物を防がれた際、銃口が黒句に向く前に、衣服の中からもう一本の刃物を取り出して、米崎の首に突き出す。米崎稲峰の両手は刃物と拳銃が握られている。タイミング的には、煙幕の中でその刃を直前まで目視できていない米崎は、これで躱すこともできない。
潰した――と黒句は脳内で呟く。
だが、その切っ先は肉をえぐることはなく、代わりに何か金属音のする硬質なものに激突した。がきりという音を響かせて、米崎稲峰の手から何かが落下する。それは黒句の刃物を防ぎ、かつ今まで黒句に対して攻撃の手段として向けていた、拳銃だった。
両手に刃物を持ちながら、黒句は後退する。吹く風によって流され、すでに薄まりつつある煙幕の中に一人の男のシルエットを見つけた際、黒句はそこで初めて息を吸い込んだ。肺を焦がすような、それは嫌な味のする、大気だった。
「中々に防御が上手い」ふと呟くが、それもそうか、と黒句は納得する。
米崎稲峰は、この日本国で事を起こす前にはすでにテロリストだった男だ。そんな人物が、自分の身を護るための技術を見つけていないはずがなかった。少なくとも、黒句程度の白兵能力では、米崎稲峰は殺し切れない。――あくまで、白兵能力ではの話だが。
そうして、黒句は頭から流れてくるものに気が付いた。片方の眼に入り視界が赤くなったことから、それが自分の頭部から流れて来た血液であることを認識する。さきほど米崎に撃たれ、掠めた部分の傷がようやく機能し始めたらしい。血液の出ない傷など、体の防衛本能が死んでいることと同じだ。撃たれ、そして血液が流れ落ちるまで、黒句と米崎攻防は一定の落ち着きを見せていた。むしろ、傷が機能し始めたのが、黒句の感覚では随分遅かったくらいだ。
「――は、――っくそ」それほどに、人間を殺害するために人間ではなくなった黒句轆轤に匹敵できるほどに、目の前に見えている男の能力は規格外だ。
――いや、むしろ、実力的にはあっちが上か。
黒句轆轤はあくまで殺人に関して秀でたメンバーであり、戦闘に秀でたメンバーではない。
彼の言通り、黒句轆轤の白兵能力というものはメンバーの中でも中の下、その程度の実力しか持っていない。単純な武力面でいえば、最近メンバーに加入した伍波百花の方が遥かに上だ。
だが、それも、黒句の想定の範囲内である。
――到達までの道のりまでは、大方計算通り。あとは。
黒句轆轤は、自分が米崎に適わないことを悟っている。勝てる勝てないの問題ではなく、黒句の目的はあくまで彼の殺害にある。故に結果論として、米崎稲峰の殺害を決行できればいい。
そこで、背後から衝撃が走る。視線を横にずらすと、黒い車体の先端部分が見えた。
黒句は普通であれば脊髄を損傷しそうな衝撃を受けながら、状況を分析する。おそらく今黒句を轢いているのは車で、その車を操作しているのは米崎一派だろう。金崎が破壊した車体に乗っていた者か、それとも黒句が対処したと思っていた五台の内のどれか。
米崎一派が米崎の加勢に入ることは予想していた。彼らが車を所持しているなら、その行為もするであろうことも分かっていた。ただ、それに対応できなかったことは、さすがに黒句の予想外だ。そして撥ね飛ばすのではなく、黒句がその車体に押し出されるようにフロントと先端部分に乗りながら、身動きを封じられながら米崎に向かっていることは想定していない。
「――いいぞ、そのまま走って来い」
米崎稲峰はすでにその現象に対応し、車に押し出されている黒句に対して手に持った刃物を突き出していた。
「終わらせる」
避ける暇も、隙もない。
確かな刃渡りを持ったナイフが、黒句のわき腹を刺し貫く。
「っ……、……っぐ」痛みは刺された瞬間には来ない。黒句は身を捩り、フロントガラスを割り、運転席にいる人物に対して手に持っていた刃物でその手首を切断する。そのまま、黒句は車体から落ち、刃物が腹に刺さった状態のまま、米崎を見据えて立ち上がった。
「決着だ。黒句轆轤」
米崎は、通じない『声』を黒句に吐く。それもそのはず、本来はその声色こそが、米崎稲峰という男の地声なのだ。
「その状態ではもう満足に動くこともできないだろう。おまえの役割は終わった」




