米崎稲峰の回想
国際テロリスト、米崎稲峰には善意も悪意も最初から存在しなかった。
誰かを困らせようと思ったことはないし、殺してやろうかと思うほどの感情を他人に向けたことはない。そもそも、そんなことを考えたことすらなかった。同時に、誰かに対して良くしようとか、手を差し伸べることも、優しさを向けたこともまたなかった。
ただ彼は、人間が大嫌いだった。
それだけだ。大きな理由などない。テロリズムは弱者の主張だと、米崎は認識している。しかし、つまるところ米崎稲峰という二十歳の青年には、その『主張』すら、自分の中に有していなかった。そも、人間に伝えたいことなどない。彼が求めるのは、ただ目の前に見えるすべての人類が、彼の目の前からいなくなること。その――一点だった。
どれだけの犠牲が出ようが。
どれだけの人生が狂おうが。
故に米崎稲峰は止まらない。
「俺は人間が嫌いだ。何故かと問われれば、『理由などない』と答えよう。第一、嫌悪感というものは、生物が抱く本能的な拒絶反応だ。それに理由をつけるのは、人間の悪い癖だと言えるだろう。だから、俺が人間を嫌うのに理由などない。そもそもとして生来だ。俺は人が傷つくもの傷つけるのにも、何も感じない。幸福も嫌悪もない。ただ衝動的に、受動的に己の内から出る行為を行っているに過ぎない。故に語らない。故に主張しない。具体はなく、抽象もない。俺の行為はあくまで無形だ。俺自身は言語化もしないし、分析もしない。そんなものは受けた本人がするので十分だろう」
彼女は、そんなことを言う米崎を臆することも拒絶することもなく、ただ見ていた。
「人間という存在が嫌いだ。人間という生物が嫌いだ。人間という種族が嫌いだ。そして、そんなものに生まれついた俺は、吐き気がしそうなほど、自分の生体が嫌いだ。人間の行う行為を嫌忌する。人間の作る物を嫌悪する。人間の言語を嫌疑する。理由などなく、理由もなく並べ立てたが、結論として――だから俺は、人間が大嫌いだ」
一番初めに会った際、米崎は彼女にそう言った。そんなことを言うのは、米崎の人生の中ではその人物が初めてだった。なぜ、その女性にだけは告げたのか、それは、米崎自身も分からない。ただ、若年ながらに「人間には言うまい」と思っていたことを打ち明けたということは、米崎稲峰は、少なくともその女性のことを人間と思っていなかったことになる。
対して、とある喫茶店でその話を聞いた彼女が言ったのは、一言だった。
「関心はあんだね」
彼女は、さして興味もなさそうに、手元にある珈琲を飲みながらそう言った。
状況的には、彼女の額に無表情の米崎が銃口を押し付けていたにも関わらず、である。
米崎稲峰という青年と、古木麦奈という少女が出会った際の会話は、そんなものだった。
「――崎。米崎。米崎稲峰」そこで、彼は後ろからの声に耳を向ける。声がしているのは気づいていたが、言葉の内容に興味が持てなかったのだ。「早く、お乗りください」
黒い、車の席が米崎に向かって開いている。そのドアは、とある一人の男が開けたものだった。米崎一派を名乗る、米崎にとっての赤の他人。それが、米崎の名を呼んでいる。
「ここから早く逃れましょう。今にあの靄が来るかもしれません」
言わなくても分かるようなことを言う。それ以上米崎は男の言葉を聞くのが煩わしくなった。
米崎稲峰が黒衣の集団から逃れる為に使用を決断したのは、自動車による走行だった。
街中では狙撃の可能性があるし、公共機関の移動手段では、逆に逃げ道を塞いでしまう。どうやらあの集団は米崎がどこに隠れようと、その情報をどこからか察知して追跡してくる。完全に撒くことは不可能だと判断して、米崎稲峰は、最後の仕上げに取り掛かることに決定した。
「――俺の目的は分かっているか?」何の期待もなしに、米崎は男に訊く。
「米崎稲峰の『声』を発信し、日本国民全体に破壊命令を送る。国の自衛機関は日本国のエネルギー源の破壊を要求。ただちに日本国の解体を行う、と」
訊いてから米崎は車に乗り込んだ。座席のシートは硬く、即席の自動車であることが窺い知れる。だが、そんなことは米崎にとって些細なことにも満たなかった。
――そう。たったそれだけなのだがな。
米崎稲峰にとって、こんな極東部の小さな島国を潰したところで、目的の一割にも満たない。
さっさと終わらせよう、と考えたところで、車のエンジンがかかった。
「米崎」運転席から声がする。米崎一派の人間だろう。「これと同じ形態の車が六台ほど同行します。靄が現れた場合は、各自の車がばらけてあなたを逃がす。いいですね」
いいも何もない。答える必要性も感じず、米崎は返答を返さなかった。




