殺人者の第四
黒句轆轤が以前担当した仕事は、ある日本人の武器商人が巨大な兵器の取引を行うから、その当事者を殺害、欲を言えば取引に扱われる『商品』をすべて廃棄すること、だった。
もちろんこのとき仕事を請け負っていたのは黒句だけではなく、その相方となるもう一人もその場にいたが、黒句とそのもう一人は役割を二分することに決めたのだ。
仕事の内容から分かり切っているとは思うが、要するに一人は『商品』の破壊、もう一人が対象の殺害である。後者を請け負ったのが黒句だったというだけの話だ。
まあ、この役割も何か高尚な取引によって行われたわけではなく、単にジャンケンで決めたというだけの役割にすぎなかったのだが。ジャンケンは黒句の勝ちだった。そうなれば、シンドイ仕事というのは目に見えて分かるわけで、その後はほぼ成り行きと言える。
黒句は相方との役割分担からおよそ数分後に、殺害する対象を見つけた。
まあ、普通の『殺し屋』の話であれば、そこで物語というのは終了する。しかし黒句はいわゆる『普通の殺人者』ではないし、そもそもこれは物語ではなく現実である。そうそう簡単に人が死んだり殺したりはしない。
その時黒句の相方は『商品』の廃棄で黒句の方へ様子を見に来ることなどできないことは分かっていた。つまり、この時だけ黒句は好き勝手に動くことができたのである。
武器商人の名は家納割率。話通りに日本人だった。話を聞いてみれば、別に武器そのものを取引するわけではなく、その権利書のような物を管理し、扱う者だということが分かった。まあ、そういう仕事もあるのだろう。黒句は、彼の話をもう少しよく視野に入れてから仕事をしようと考えた。
簡単に言えばこうだ。彼は特に自分からこちらに来たくて来た人間ではない。つまり生来の道を外れた人間ではないということ、彼には家族がいるということ、しかし今の仕事がなくなれば、その被害は彼の家族や親類にまで及ぶということだ。
それが同情に値するか、なんてことを黒句は知らない。しかし扱っているものが、武器や兵器の権利書だというのなら、彼自身には特に黒句達が標的にするような「脅威」はないことになる。そこで考えた結論によって、黒句が家納に告げたのは次のような言葉だった。
「じゃあ、今すぐ仕事を放棄してください。それで、もう二度とそこには関わらないこと。権利書も電子上のデータもすべて消します。武器と兵器のある場所も教えてください。自分が持っている通信手段も潰してください。そうすれば、俺はあなたの殺害を諦めます」
家納は、黒句の言う通りのことを行った。黒句は約束通りに、彼の殺害を諦めた。
それが、つい二週前に黒句が行った、仕事の内容だった。
「ついでに、もう一度あそこに関わった場合には、今度は問答無用ですので、お気をつけて」
もう二度と会うことがないよう、黒句はそんなことを家納に言って、家納を彼の仕事と黒句と組んでいるもう一人のメンバーから逃がした。
ただ、それだけのことだった。
◆
黒句と伍波は目的のビルディングの中に入ると、そこは広大な敷地になっており、床にぎっしりと敷き詰められた大理石が辺りの景色を映していた。来客を迎え入れる為に作られた空間だろう。一階に人間はおらず、受付のどこにも、人間の姿は見受けられなかった。
ビルそのものが機能していないわけではない。現に黒句と伍波が入って来た場所はビルの正面玄関に当たる位置で、自動ドアもきちんとセンサで黒句と伍波を認識した。ビルの機能そのものが停止していれば、それらはあり得ない。
「逃げた?」伍波が口を開く。それは広大な閉鎖空間において何重にも反射し、辺りから響いて聞こえる。「でも、まだ遠くには行ってないっすよね」
「いや、逃げたとは限らないよ」黒句は、大理石を踏みつけながら、二つのエレベーターに歩いて行く。「まだこのビルの中にいるかもよー。一応、ここも見ておいた方がいいんじゃない?」
言って、黒句はエレベーターの横についている▲のボタンを押す。上に彼らがいた場合、今の操作で確実に気づかれたわけだが、まあ、いい。
今回の仕事では伍波百花は『強行突破する』と言った。
なら黒句の目的としては、彼女の『逃げ道』を奪うだけのことだ。
扉の上にある1のランプが点灯する。左側に鉄製の扉がスライドし、エレベーターの個室が現れた。黒句はその中に入り、「開」のボタンを押す。それから、伍波を手招いた。
「さ、行こうか」伍波がエレベーターに入ろうとしたところで、それを手で制す。「あ、ごめんちょっとまって、そこのボタン、もう一回押してくれる?」
エレベーターの横にある、▲のボタンを黒句は指し示す。通常であれば伍波が上に行き、黒句は一階で待機しているという方が正しいのかもしれないが、今回の場合それはできない。
ボタンを押させてから、黒句は伍波をエレベーターの中に入れた。
「えっ――と? 確か七階だったっけ」
「十五階だよ」伍波からつっこまれる。当然素で間違えたわけではなく、わざと間違えた。
長方形の箱を釣っているロープを巻きあげる音がし、エレベーターが動き出す。その瞬間、脚に少しだけ負荷がかかるのを意識した。2、3と順番に転倒する階の番号に目を移した後、隣にいる伍波に目を向ける。彼女は纏っている黒い上着の中に目を落とし、何やら慎重な手つきで上着の内部にあるものを操作していた。
――――まあ、準備は済ませた。
あとにどうなるかなど、黒句の関するところではない。できることがあるとすれば、それは彼女、伍波百花という新しいメンバーが窮地に陥った時、なんとか救出することだけだ。
15のランプが点灯する。身体に若干の浮遊感があり、しばらくして目の前の赤色の扉が右側にスライドする。目的の階が眼の前に広がる。
最初に目についたのは巨大なガラス窓だった。いや、開かないのだから実際には窓とは言わないのだろうが、それが実際になんと言うのか、黒句には知識がない。そこからは東京という日本都市の光景が、視界全体に広がる構造を取っている。
一室と言うにはあまりにも大きい。日本の単位で計るなら、目測で三十畳はある。床は黒い大理石で作られており、その上には丸い卓を硝子で作ったテーブルと、その周りには赤いソファのようなものが無造作に並べられている。それ以外には何もない空間で、唯一の驚きがあったとすれば、それはエレベーターを降りた時、この部屋が二階建ての構造だったことだ。
そして、対象の人物を発見する。
黒句と伍波がエレベーターを降りて、外の景色の次に目にしたものは、部屋の最深部、並べられた赤いソファと同じものに腰かけた一人の男性だった。彼は全画面の通信機器を耳にあてながら、なにやら会話をしている最中だった。
「…………」
それはまさしく、黒句が逃がした家納割率という男で、こちらに目を向けると一瞬息を止めたように言葉を止め、再度通話機に口を動かしはじめた。
「Oh,it seemed to be useless somehow or other. ……That it is so is good-bye」
家納が話していたのは他国の人間であるのか、口頭表現は英国語だと分かった。内容までは黒句には分からない。黒句達は他国語を『聞く』のではなく『言いたいことを感じ取る』ことができるからだ。そういうシステムにしたのは別に正しい表現を視野にいれなくてもいい、と言う判断からだろう。
家納の言葉から感じ取れたニュアンスは、『諦め』だった。そういったことを、口に出して伝えていたのだろう。家納はその一言だけ携帯に告げると、そのまま通話を切った。
そうして家納は、今手に持っていた携帯電話――確か、スマートフォンとか言ったか――を角と角を持ち、二つに割って破壊した。あの携帯電話のメモリがどこにあるかは知らないが、恐らく、今家納が壊したのはその位置だろう。
そうして、家納本人が黒句と伍波を交互に見る。
「一人は会ったことがないが、あなたは、以前にお会いしたな」家納の口調は落ちついたもので、そこに焦りや焦燥のようなものは見られない。「来た理由は、分かっています」
「忘れてはいないんですね」黒句は、家納に向かって言う。「次は問答無用だと、言ったはずだ」
「承知している」家納は、しかしそれにも慌てる様子を見せない。「仕事を増やして悪かったな」
「これから死ぬ人間の言葉とは思えねえな」そう言ったのは、黒句の横にいた、伍波だ。「何で逃げなかったんだよ。時間はあったろ。それとも、何か方法があって、ここで待ってたのかよ」
家納はそれには答えない。ただ黒句と伍波の姿を交互に見比べるだけだった。
「――少し前から思ってたんだが」家納は、そこで言葉を切る。そうして、黒句の方を睨みつけた。「どうしてあなた達のような『子供』が、こんな仕事をさせられている」
子供。
確かに伍波という少女は最近加入したばかりのメンバーだし、子供に見えるのだろう。
しかし、黒句轆轤という男は子供ではない。少なくとも『子供』という年齢ではない。実年齢は、その未熟な期間を十回は繰り返した数値になる。どう考えても子供ではない。
家納が黒句を子供だと勘違いした原因は、黒句という男の見てくれと、その黒句が所属している場所という意味が大きいだろう。
「さあ」黒句は、家納の問いにそんな冷めた言葉を返した。「強いて言うなら、『やれ』と言われて、その行為を望む人がいるから――じゃないですか」
「そうか」家納は、深い息を吐く。「やっぱり、彼の言っていたことは本当だったか」
――彼? とそこで疑問に思う黒句だが、背後からの音に気が付く。
二階の部分。黒句と伍波が使用したエレベーターの真上にあたる位置になるだろう。
その位置を黒句は視野に入れる。
見れば、黒句達がいる下のフロアを見下ろしている、多数の男たちがそこにいた。その手には一様に身の丈に切り詰めたような銃を持っている。その数々の銃口はすべて黒句と伍波に向けられていた。