殺人者の第三
――――特徴、ね。
受話器の人物の言葉を思い出しながら、黒句は伍波百花を観察する。大方の事情はその電話の方で伝えられているものの、その実例を目の当たりにするのは今回が初めてだ。
そしてその『特徴』というものがどういうモノであるのか、目的のビルがようやく視認できる位置まで歩いて来た時点で、黒句は一つの異変を見つけた。
結論から言ってしまえば、だが。
「黒句さん」目の前を歩く伍波百花から声が上がる。「何度も何度も訊いてうざいとは思うけど、|対象のいるビルっつうのは、あれで間違いはねえすか」
あーうん、そうね、と黒句は答える。異変の正体。小さな発見ではあるが、伍波百花という少女は、この数分間で徐々に口調が変質化している。口調そのものは、字面にすればおおよそ男性に近い言葉遣いになってきたと言える。しかし、その発音と声色は以前と変わっていない。前の馬鹿が付きそうなほど丁重な口調の時と、一切変化していない。つまりか細く、あくまでも少女としての声色を保ちつつも、話す言葉のニュアンスだけが変わってきている。
役者で言えば、「大根」と言われるだろう。芝居の類では間違いなく声優にはなれない。
彼が言っていた『面白い特徴』とはこれなのだろうか。
「黒句さん?」伍波が首を傾げてこちらに向いて来たので、一端思考を放棄する。
「あー、うん。だいじぶだいじぶ。気にしないで」とりあえずで取り繕う。が、伍波には逆の効果にしかならなかったようで、彼女の言葉に答える。「そーだね、あれあれ。あのビルの三階のところに今、いるかな。たぶん他の階には行かないと思うよ。だから俺達がいるんだし」
適当なことを言って誤魔化している、というのが見え透いているが、伍波百花はそれを追求しようとはしなかった。
大通りは非常に多くの人で溢れている。その誰もが、黒句と伍波には目もくれず、彼らの前を、あるいは後ろを通り過ぎていく。左右には絢爛な飲食店やガラス張りになった洋服店などが見受けられるが、そのどれにも、伍波は目を向けていない。寄るなど、頭にないだろう。
当然だ。彼女はこれから人殺しの仕事をしようというのだ。そんな時に左右に広がるものや周りの空気などにかかわれるはずもない。溶け込むこともできない。
それは正しい、と黒句は思う。いや、実際はそうあるべきで、それが正常というものなのだろう。殺人という行為をいざ実行することになったとき、極度の緊張状態があることが、人間の精神状態としては最低限の健全であることの証なのだから。
「仕事の仕方なんだけどよ」目的のビルが目前に迫った時、黒句の前を先導していた伍波はそう口を開いた。口調はやはり男性のままで。「今回のやり方については、私の好きにやらせてもらう、ということでいいのかな。黒句さん」
伍波がこちらに目を向けて来た真意を理解し、口を開く。
「そっすね。まあ、仕事の仕方は任せます、俺は今回そのサポート。だから、ま、好きにやっちゃって構いません。先ほど話したもの以外に、俺達に厳密なルールはない」
伍波百花という少女はそれを聞くと、静かに頷いた。
「あと、一つ訊きたい」今度は、全身をこちらに向けて、伍波はビルに背を向ける形になる。「今回の仕事は、黒句さんが前に受け負った仕事だと言うのは、本当かな」
「そだよ」言ってどうなるとも思えないが、一応肯定する。「それが、何」
「なんで、対象者を逃がしたんすか?」
そんな質問が、伍波百花という少女の口から放たれた。言葉のニュアンスの割には、それは責めるような口調ではない。ただ質問をしただけ、といった風だった。
「それは対象が生きているから、私に仕事が回って来たってことじゃねえか。その殺害しなかった対象が、生きて新たに行動を始めたことくらいは分かる。じゃあ、何故」
黒句はそこで考える。
それは黒句自身の仕事の仕方だ。伍波のような新米に教えるのは正しくもないような気がするし、何より言ったところで思想の植え付けにしかならないだろう。
「それは、この仕事が無事に終わったら教えてあげる。だから、今は集中して」
そんな卑怯ともいえる言葉を、黒句は使った。自分で言って、これは少し反則かもしれないな、とさえ意識したほどに。
「――うっす」伍波百花は、細い声でそう答える。明らかにアンバランスだ。声色と口調が噛み合っていない。これも、あの人が話していた『特徴』の、少なくとも一つなのだろう。
「ところで、仕事はどうやるの? 指南はできないよ」そこは新米に任せることになっている。この状況で黒句轆轤という人物が、この仕事の決定的な方針を決めることはできない。
「強行突破する」
伍波が述べたのは、侵入でもなんでもなく、本当に「切り込む」という方法だった。
黒句が考える中で最もオールドな作戦だ。いや、それは作戦ですらない。
またずいぶんシンドイ方法を取ったなぁ、と思う黒句としては、口を出さないという条件が
なければ、賛同はしかねる。
「建物の中に隠れている人間を、わざわざ時間をかけて潰す必要はねえさ。一気に攻めて、一気に落とす。一時間も無駄な時間は使わない」
そう言うと、伍波はこちらの眼球に目を合わせた。
「若輩ですが……どうぞ……協力をお願いします」それだけは、伍波百花という少女の見かけどおりの、小さく細い、人の感情に関してどこまでも手探りな口調だった。