憧憬と警鐘
黒句轆轤は結局伍波の言う通り、彼女と同じ部屋になった。というのも、すでにそのホテルに来ていたメンバーの誰一人として、その案に反対してくれなかったからであり、黒句にしてみれば、これは相当にシンドイ作業だった。
「黒句さん、ちょっといいですか?」他のメンバーから借りたノートパソコンをデスクの上に置き、ニュースや動画などを漁っている黒句に、ベッドの上に座っている伍波百花が問いかける。「さっき黒句さんがしてた、この動作、何なんですか?」
そう言って、伍波は右手の親指と小指を立て、耳の辺りに持ってくる。それはまだ携帯電話が出始めだった頃の、テレビコマーシャルなどで使われていた、手で受話器を表す動作だった。
「あ、それまだ教えてなかったっけ」そう言って、黒句は伍波のしている動作と同じことをする。『500。伍波百花さん? つまりはこういうこと』
その時、黒句の口は動いていない。伍波には脳に直接言語が響いたような感覚に陥った。
「なんですか? それ」
「俺達は『無言通話』っていうんだけど、要するに簡易テレパス? 的な? ほら、口を動かさずに相手に思念だけ送るってテレパシーってあるじゃん? あれみたいなもんかな」
伍波でも、さすがにテレパシーくらいは聞いたことがある。というか、ゲームや漫画などでは使い古されているため、響きに新鮮味がないくらいだった。
「そういう顔しなさんなって。古臭いのは認めるけど、これでも三十年前くらいは約立ったんだよ。厳密な方法は、電話と同じだけどね。今伍波ちゃんにやったみたいにメンバーの番号を先に入力して、そいで次にメンバーのフルネーム。まあ、これは絶対じゃなくでもいいだけど。ま、簡単に言えば俺たちのメンバー限定の固定回線みたいなもんだと思ってくれていい」
伍波には、黒句の言うところの半分も理解できなかったが、それはつまり『習うより慣れろ』ということなのだろう。旧世代的な色が強いシステムなのだ。
「ていうか、テレパシーってできるんですね」
「頭にそういう回路があるんでないの? ほら、俺たち一応、人間じゃないわけだし」
「でも、今のスマートフォンとかと比べたら、やっぱり機械の方が便利ですよね」
「それを言っちゃあ、ま、そーなんだけど」
それから、数秒の沈黙が訪れる。
「あの、黒句さん」その静寂を破ったのは、やはり伍波の方だった。「あのとき、どうして私に任せてくれなかったんですか?」
「はい? あの時って?」すぐには思い出せない黒句だが、少しして、それが家納割率という男の殺害の為に仕事に出たときのことだと思い直す。「ああ、はいはい思い出した。前の時ね」
「あの時、結局対象を殺害したのは黒句さんだった。私がやると言ったのに、黒句さんは『俺がやるからいいよ』なんて言って、私にやらせてくれなかったじゃないですか」
殺人を、と伍波は言う。黒句は、その様子を見て目を細めた。
「んー、でもその分のお給料は、横領することなくちゃんとあげたでしょ?」
そうじゃなくて、と伍波をかぶりを振る。
「黒句さん、私が標的を仕留めることを避けてますよね?」伍波百花は、黒句轆轤を睨みつけて、そう発言した。たぶん、黒句と同じ部屋に行きたいといったのも、この疑問を訴える為だったのだろう。「今日のこともそうです。私のことは置いて行って、勝手に仕事を済ませてきてしまった。黒句さん、やっぱりそれは、わざとやってますよね?」
「…………」黒句は、伍波を前に沈黙する。そのまま、目の前の液晶の画面から目を離して、伍波の眼に視線を合わせ、静かに呟いた。「――そうだね」
「……どうして」
「きみみたいな子供が、人を殺すなんてことをしちゃあ駄目でしょ」
至極まっとうな言葉が、黒句の口から出て来たことに、伍波は少なからず衝撃を受けた。
「特にそれをする必要のない日本の子供が、わざわざ人殺しをする理由がない。俺はね、偽善と言われようが悪辣と罵られようが、きみに人殺しをさせる気はないんだよ」
黒句の顔つきが変わったことを、伍波は認識する。それは、仕事の時とも違う、今までに見たことがないほどの真剣な表情だった。
「……私は、黒句さんを通じてこちらのメンバーになりました。だから、その期待に応える為に、今ここにいるんです。推薦していただいたのですから、せめて――」
「ああ、それね。期待を裏切るようで悪いけど、俺は、きみをメンバーに引き入れたことは最大の失敗だったと思ってるんだよ。特に、今この場においては」
伍波は黒句の発した言葉に大した反応を見せなかった。ただ無表情に、黒句を凝視している。
「試験には落ちると思ってた。俺がきみに抱いた期待というのはそういうもんだよ。失敗して、多少のペナルティを負って、一般人に帰ってくれるものだと、そう思ってた。けど、きみはあっさり試験をパスして、研修まで終えてしまった。正直言って、知った時はショックだった」
伍波は、黙って黒句を見ている。
「きみの歳は、今年で十六だったね。そんな子供がこちらの世界に来て、しかも俺たち大人がわざわざその破滅を推進してどうする。はっきりと言うが、俺たちは別に人材不足でもないし、優秀な人材を求めてもいない。きみがわざわざ殺人者になる必要はないんだよ」
黒句の眼は暗く、黒い瞳の中には伍波に反論を許さないだけの力強さがあった。
「正直に言うが、俺は殺害が世界で一番嫌いだ。仕事とか、義務とかで理由付けをつけて殺人を行う人はその次に嫌いだ。あれこれ一世紀以上は生きているけど、これだけは変わらない。それを他者に強要することも吐き気がするし、それに憧れる人間の気も知れない」
だからきみのことも、俺には分からない、黒句は言う。
「きみのことはリーダー、つまりは一に何度も抗議した。けどねえ、俺たちはあくまで来る者は拒まない態勢だからさ。他のメンバーを含め、聞き入れてはもらえなかった。最後の希望として、きみが研修中に大事故を起こして、メンバーとしてやっていけないだけの損傷を負えば、もしくは、と思っていたりもしたけど、それも適わなかった」
「私がここにいることを、そこまでして邪魔したいんですか? 黒句さんは」
「邪魔――そうだね。きみにとってそれは邪魔になるのかな」
黒句は、自虐的な表情になる。
「きみが俺たちの仲間になることを、俺は阻止できなかった。だから俺のせめてもの責任として、きみがメンバーにいる内は一人だって仕事をさせない。誰一人、殺させない」
「でも、それで何があるんですか」伍波は、無表情にそう言う。黒句には彼女が動揺しているかどうかなど分からないし、知ろうとも思わなかった。
「一応、俺たちにも免職のシステムみたいなものがある。俺たちのメンバーを抜けるのは、メンバー各人の任意だ。今でもいい。ただその場合には、メンバーを抜ける際にある費用を払う必要がある。きみはたぶん、聞いたことはないだろうな。まだ入ったばかりだから聞かせる必要はないっていうのが、新人に対しての俺たちの体制みたいなところはあるし」
黒句は、口にする。
「俺たちのメンバーを抜ける際に必要になるのは、俺たちの記憶と、自分の身体の部品どれか。これは、最初に行われる試験に落ちた時も同様だ。落ちた場合受験料として、俺達に記憶と体の一部分をもらうことになってる。別に利益を目的とした交渉じゃない非合理な制度だけど、脱退と不合格は、このペナルティがある。でもそんなものは、長くここにいるよりはずっと建設的だ。人間を辞めてまで人殺しを続けるのと、体の一部分を失って人間に戻り、人殺しとは無縁の生活を送るのとじゃ雲泥の差だ」
「だから黒句さんは、私にメンバーから抜けてほしいと?」
「あくまで、きみが人殺しをしなければね。メンバーを抜けるのは今でもいいとは言った。でも、それは殺人を犯していない場合だ。人を殺しておいてメンバーから抜けることなんて許さない。だから俺は、きみに人を殺してほしくはないんだよ。まだきみは、人間に戻れる可能性を残しているんだから。それでいつか、きみが自らメンバーを抜けてくれるっていうのが、今のところ、俺の目標だ」
そう言う黒句をしばらく凝視した後、伍波は呟く。
「タチが悪いですよね。黒句さんって」
「慧眼だね。その通りだ。だから俺は、自分のことが嫌いなんだよ」
「私は嫌いじゃないですよ」即座に、伍波はそう言う。その顔に表情は依然としてなかったが、黒句には、多少の感情が言葉に含まれていたことを感じ取った。「私は、あなたに憧れてこのメンバーになったんですから。そんな風に言わないでください」
それは、黒句にとっては慰めの言葉にはならない。黒句はそこで元のふざけた表情になり、あんがとちゃん、と苦く笑った。
「ところで、この米崎稲峰くんって面白い人だね」画面に向き直って、黒句は伍波に言う。仕事で使う程度のためノートから伸びたマウスを使うその手際は、現代っ子の伍波には見苦しいところはあるのだが。「動画っていってもほとんどは音声ファイルだけど、中には削除されたものが凄く多い。それと、東京二十四区の暴動から一時間も経ってないうちに彼の動画がアップされて、数日後にはそれがニュースに取り上げられてる。ちょっと異常だね。マスコミがこんなに早く彼の発言を鵜呑みにしたのは、なんか理由でもあるのかな」
伍波に訊く体で、黒句はそう呟いた。最近の子ならなんか知ってるかもしれないな、という、機械の検索エンジンを目の前にしながらの、矛盾しきった行動と言えるが。
「少なくともネットそのものの影響ではないと思います。ネットで話題になってからメディアに変換されるなら、もう少し時間がかかりますから。悪い事例なら例外もありますが、それをマスメディアが拾った、ということは考えにくいんです。あくまで、不確定要素ですから」
「というと、どゆこと?」
「黒句さん、今消されてる動画があるって言いましたよね。たぶん、その動画に原因があります。私は実際に見たわけじゃないですけど。……一週間前の暴動の原因はまだはっきりとは分かっていませんが、米崎稲峰が大規模な電波ジャックをしたことと考えられています」
電波ジャック? 黒句にとってそれは、映画の中でしか聞いたことのない言葉だ。
「テレビでも乗っ取ったの?」
「正確にはその受信元を、です。ほんの二秒か三秒の間だけだったらしいんですが、東京都にある一部の巨大モニター。ビルに取りつけてあって、宣伝とかニュースを垂れ流すあれです。あの映像が、その数秒の間だけ異変を起こしたと、暴動を起こした当人たちは言っていた。不思議なことに、その記録はネットの上にも現実にも残っていないんです」
「ふーん、映像ねえ」マスコミが彼を世間に報道したのも、東京都の人間が突如暴動を起こしたのもそこに原因があるのだろうか。馬鹿みたいな考えだが。
「それと、その暴動は数時間に渡って行われましたが、死者も怪我人も確認できていません」
はい? と黒句は、伍波に向き直る。
「つまり、被害を受けた人がいないんです。暴動を起こした人たちが行ったのは器物破損。その暴走した状況で誰一人として、人間を襲う人はいなかった」
それは、異常ではないだろうか。多数の人間の意思が介在する場で、誰もが同じ行動を取るというのは。それではまるで、統率をされているみたいな暴走ということではないか。
「伍波ちゃん、それ自分で調べたの?」黒句が訊くとなぜか伍波は顔を下にさげた。
「ええ、まあ。ちゃちゃっと」ばつが悪そうな顔をして、伍波は黒句から目を離す。
その時、伍波と黒句の両名の頭に、他人の声が響いた。
『966#。黒句轆轤。500。伍波百花。対象の米崎が動いた。一時間後そこに移動する』
「移動――って」部屋にある時計を見る。それは秒針が丁度真上を向いたところだった。「いやいや、もう深夜っすよ。一時間後って、休まずに行けってか。ブラックだなー」
移動時間を含めたとして、その先に待っているのは膨大な量の待機時間だ。
これだから団体行動は苦手だ、と毒を吐く黒句に対し、伍波の動きは迅速だった。
すぐにホテルのベッドに這入り、毛布を掛ける。
「三十分だけ寝ます。起きなかったら叩き起こしてください。それでは」
毛布の中から、そんなくぐもった声が聞こえてきた。その様子を見て、黒句は笑った。
「器用っつーか、よくやる」そんな言葉を発して、黒句はマウスに再び手を乗せた。




