ハイ・ホー(仕事終わり)
紫蘭と、その上司を名乗る男がコーヒーショップから出て行った後、円居の通信機器にメールがあった。送り主は[flour]というハンドルを持った人物からだった。
[赤岸赤子が『Tokyo new arena』内で行動不能]
[以前の黒い靄によるものと断定]
[同時に靄の正体も露見]
[靄の正体は人型のものだった模様]
[ただし、人間かどうかはまだ断定不可能]
[一派のメンバーはこの靄を映像で捉えた場合、接触を避けること]
以上の文章がそこに書かれていた。円居は、つぶやく。
「……赤岸君が、行動不能?」円居の発言を聞くものはその場にはいない。彼女のことを遠目に何人かの見物人が携帯を取り出して写真を撮っている姿は、円居本人にも店の外に見受けられたが、そんなものは気にすることなく液晶のディスプレイに目を落とす。「……あいつ、殺されてないよね」
言った後で、円居は後悔する。口に出してしまったら、いかにもそれが現実味のあるフレーズだったからだ。円居はそのメールがまだ続いていることを確認し、画面を指でスクロールさせる。そこには数行の文章と、添付のファイルが付いていることに気が付いた。
[追記]
[靄は肉眼で見たメンバーが人の形をしていると先ほど書いた]
[つまりあの黒い靄はモザイクのような、電子映像に何らかの細工をした結果と断定]
[『Tokyo new arena』内にいたメンバーが現在赤岸を救出中]
[その時に得た情報として、その靄達の特徴になるものを入手した模様]
[その画像をここに添付する]
[一派はこの衣服を身に纏った人物に対して、厳重に注意をすること]
円居は、その画像ファイルを指でつついて開く。
次に液晶に表示されたのは、ぼろぼろに焼け焦げた、薄手の黒い上着のような衣類だった。
「何これ」円居はつぶやく。行ってから、ある記憶とその画像が結びついた。思わず目が見開き、その画像を凝視する。「――嘘でしょ、これって」
先ほど自分の目の前に座っていた友人、立花紫蘭が身につけていたものとよく似ていた。
そしてあの黒句という男。紫蘭に最初に会った時、あの男もこれによく似た衣類を身に着けてはいなかったか。そして紫蘭との会話で五時間の時間を経て、次に姿を見せた時、あの男は黒い上着を着ていなかった。
疑問が確証に変わる。間違いない。紫蘭と、あの黒句という男は、自分たちが警戒の対象にしているあの黒い靄そのものなのだ。
「――米崎さんに、連絡したほうがいいかな」
彼女は一人、そう呟く。
米崎一派、萩原円居は友人が出て行ったモールの向こうを見ることしかできなかった。
◆
「なに、あの子萩原議員の娘さんなの?」はい、と黒句の横を歩く伍波は頷く。「あー、はいはい、思い出した。いつかは忘れたけど、前にテレビに出てた子だ。電気屋で見たことあるわ。仕事はモデル? だっけ? よく知らないけど。ふーん、あれがねえ」
国家議員の萩原海義。その娘がモデルの仕事を通じて芸能の世界に足を入れた、ということは、報道を見ない黒句であっても風の噂で耳にしたことがあった。彼は今回、国際テロリストである米崎稲峰の対応に追われている。そんな場所に生まれることが、そしてその「売り物」の世界に子供が足を踏み入れることが、黒句には正しいことなのかは分からない。
「テレビ活動を始めたのは最近です。ファンクラブもあるそうですよ。噂ですけど」
「そりゃま、御伽みたいな話だね。本当にあるなら、よくやる」
黒句と伍波が向かったのは、現在仕事の為に『降りて』いる黒句らのメンバーが部屋を取ったホテルだった。『無言通話』で黒句に詳細を伝えた人物は「嫌なら好きにしていい」と言っていたが、結局黒句は指定された場所に行くことに決めた。
午後八時過ぎにホテルのロビーに到着する。ホテルは地上十階建ての大きな施設で、ただのビジネスホテルとは思えないほどの広大さだった。肌色の大理石に足をつけて、黒句は伍波に向き直る。
「ま、部屋は男性陣と女性陣で別れてるらしいから、伍波ちゃんは女性の方ね。たしか二人一部屋? とか言ったかな。料金は必要経費ってことで請求されないから、好きに使っていいらしいよ。じゃ、まあそういうことで。また明日ねー」
ロビーで手続きを済ませようとしたとき、黒句は伍波に服を掴まれる。
「あの、ちょっといいですか?」
「はい?」ようやくの解放かと安堵していた黒句だが、そこで伍波の発言に耳を傾ける。
「今、二人一部屋って言いましたよね。じゃあ、つまり二人であれば、料金は一律だと」
伍波の言いたいことが黒句にはよく分からないが、つまりは必要経費で組織に金を払わせるなら、その部屋に泊まる人物がメンバーの誰であろうと構わないだろう、ということらしい。
「黒句さん、私の部屋に来てくれませんか?」伍波の言っていることが、黒句には分からない。
「ん、えっと、どういう意味?」
「だから、私と黒句さんで部屋を取りましょうと言っているんです」
「えぇ?」俺の話聞いてたのかなこの子、と疲れた目で伍波を見る黒句だが、単純に反対しても伍波百花という少女は聞かないような気がした。「……一応、他のメンバーに話を通して、承諾されたらになりますけど、それでもいいなら訊いてみますが?」
それが、黒句がこの場でできる最低の交渉だったが、伍波はそれにうなずく。
黒句としては、そこは取り止めてほしかった。
仕方なく、最後の希望に賭けてメンバーの一人に『無言通話』をかける。
『……あー、すいません。問題発生です』




