お遊戯の始まり
そこは細長い通路だった。四方が灰色のコンクリートで作られ、その四角い通路の天井には、非常時に点灯するライトが取り付けられている。『Tokyo new arena』において何か事故が発生した場合、火災などでアリーナ内の電子ロックが誤作動を起こした場合を考え設計された予備の非常口。アリーナの地下に位置するその通路は、約百メートルほどの長さを持ち、アリーナから離れた位置にある地上口へと続いている。
赤岸が危惧したとおりに、その通路に足を踏み入れることができたのは米崎一派のなかでは、赤岸赤子ただ一人だった。足をコンクリに下せば、その靴とコンクリがぶつかる音が、数十メートル先の通路まで反響するほどに広大な通路。
多少進んだところで、赤岸は前方にあるものを発見した。
「あ、やっと来たね」そう言って、手を挙げたのは、黒い外套を見に纏った少年だった。髪は黒く、瞳も黒い、明らかな東洋人という風の姿をした、一人の少年。「ま、実を言えば、あんまり来てほしくなかったんだけど。嫌な役を押し付けられたよなあホントに」
彼は通路の丁度真ん中、アリーナから五十メートルほど離れた位置、その通路の壁に寄り掛かっていた。まるで緊張感のない顔で、壁から体を離す少年。
赤岸赤子にその少年の知識はない。というより、その少年を見たことが、今までにない。
ただ赤岸が、そこにいる黒い服を着た少年を『敵』だと認識する理由が、一つあった。
彼の眼には、左の眼にはその少年の姿が。右の眼には、左目で捉えている少年の代わりに、映像で見た例の『黒い靄』が映っていたからだ。その人物が以前、米崎一派に所属していた家納割率を殺害した者だという認識に、このときようやく至った。
「さっき、上からオレの声に応じたのは、テメーか?」言葉とは裏腹に、道を尋ねるような、気軽さで、赤岸は目の前に立っている少年に訊く。
「そだよ。きみが赤岸赤子くん? 名前に反して、背、高いね」そんなとぼけたことを口にする少年は、困ったように笑って、赤岸に目を向けた。「きみ一人でここに来たところを見ると、他の皆さんは完全におやすみに入ったと見ていいのかな?」
「おまえは、何だよ」両の眼球にそれぞれ違う姿が映っている少年に対し、赤岸は口を開く。
「それをわざわざ教える人はいないと思うな。ここに俺が来た時点で、計画としては、これはもう相当の馬鹿なんだから」
身を晒したことそのものがデメリットであると言う少年に対し、だろうな、と赤岸は笑う。
「テメーら、集団だろ? ここに来る途中で、アリーナの外に何人か同じのが見えた」
外套の少年――いい加減に名前を明かすとすれば黒句轆轤――は、赤岸の発言に違和感を覚える。黒句らが集団でここに来たというのは、アリーナの電子ロックを起動した時点で赤岸たちには気づかれている。それは分かる。しかし――アリーナの外に、というのはどういうことだろうか?
「困惑したな」黒句に指を向けて、赤岸が言う。「正解を教えてやろうか」
見た目の割に子供っぽいことを言うなー、と思った黒句だが、それは口に出さずに赤岸の言葉に「じゃ、お願い」と頷いて見せる。
「オレ、透視能力者なんだよ」黒句は、そこで固まった。透視? 数十年前に流行った、あの古臭い超能力の事だろうか?「だからまあ、テメーらがアリーナに集まって来てたのは事前に見えてたぜ。ほんの数分のうちに二十以上もの数が集まったことは、はっきり言って不気味だったが――」
そこで、赤岸は片方の目を塞ぐ。赤岸の視界には片方に暗闇が視界に入るが、もう片方の眼には通路の中心に黒い靄のようなものが存在していた。塞がなかった方の眼で見た場合は、そこに黒い外套を着た少年が映るはずなのに、だ。
「テメーら、一体どっから来たんだ?」片方の目を塞いだまま、赤岸が言う。「オレは、一応テメーらがここに来る前からその姿を視野に入れてるつもりだったんだぜ。なのに、いざテメーらがどこから来たのかっていうのは捉えられなかった」
赤岸が最初にその黒い靄を『目』で捉えたのは、その黒い靄が、数メートル上から人混みの道路に着地する瞬間だった。上から落ちてきたにも関わらず、周りの歩行者はその靄を気にすることもなく、ただ歩くことを続けていたが――。
「教える気はないな」黒句がそう言うと、赤岸は薄暗い眼で黒句を睨み見た。
「――そうかよ」
言うと同時に、赤岸は黒句に向けて跳ねる。大袈裟な言い方だろうが、しかし、それは相対した黒句から見て、そう形容するに他にないような動作だった。足の筋肉を四つの間接をバネにして全身を押し上げる。赤岸と黒句の距離はほんの七、八メートルほどだったが、その距離は、赤岸の言葉が終わるころにはもう手の届く範囲にまで詰められていた。




