殺人者の第一
「黒句くん、ちょっといい?」
そんな風に、自室にいた黒句轆轤にかかってきた電話で伝えられたのは一件の仕事だった。
「前にさあ、きみが担当したテロリスト、憶えてる?」
前、ということはひとつ前に請け負った仕事のことなのだろう。
「ああ、憶えてます憶えてます」確か何らかの交渉を行っている男だった。実際に仕事をして、それで黒句の案に乗ってくれた人物だったのだが。「…………ダメでしたか」
「駄目だったねえ。まあ、そういう人もいるでしょ」
途端、黒句は気が重くなる。駄目。その言葉が指す意味は、次の仕事内容をも指している。
「それじゃまあ、いつも通りのお仕事ってことになりますかね」通話の向こうにいる人物は答えない。別に言う必要がないと思ったのだろう。「分かりました。落とし前はつけます」
「うん、じゃ、お願い」そのまま通話を切られるか、とも思ったが、それとさ、と彼は話を続けた。
「きみを通してメンバーに入った子が、この間研修を終えたから、今回はその子の初仕事になると思うんだ。だからまあ、そのつもりで」
そう言って通話は切られた。『きみを通して』『研修を終えた』という言葉から、黒句はその言葉の実態を探し出す。そうして、一人の人物に見当が付いた。
「――――ああ、あの子か」数か月前、自分に対して『仲間に入れてもらえませんか』と言ってきた少女のことを思い出す。そうだった、確かあの子が入ってから最近が、丁度研修期間だったのか。「…………しかも、終えちゃいましたか」
やだなぁ、と黒句は更に憂鬱な気分になり、自室の黒い外套に手をかけた。
◆
黒句が『降りた』のは、日本国、東京のとある交差点だった。人が密集し合い、白いストライプの模様が入った地面を進んで行く。その中にいる誰一人として、今、黒句が数センチ上から、そこに『降りた』ことに気が付いていない。
「――――さて」歩行者に紛れながら、黒句は辺りを見回す。黒句らの仕事は基本的に二人組みで仕事をする決まりになっている。黒句がこの場所に降りたということは、近くにそのもう一人がいるはずだが。
交差点から歩道に足を踏み入れて、探していた人物を発見する。ある店の前に立っている、黒い髪に、黒句と同じような黒い外套に身を包んだ、一人の少女を視野に入れた。
その人物も黒句の姿が目に入ったようで、黒句がそこまで来ると軽く頭を下げて見せる。
「お久しぶりです、黒句さん」その口調も身の振り方も、確かに黒句が数か月前に会った少女だった。わずかに、黒句は自分の気が沈んでいくことに気付く。
「…………本当になったんだね」口から出たのはそんな冷めた感想だった。いや、この場合、黒句という人物が明るい言葉をかけることはあり得ない。「きみ、いつ『降りた』の」
「十五分ほど前です」
「…………そりゃ悪かった。遅刻は俺の方だ」
少女は短く「いえ」と言って、無表情を崩さない。その反応、抑揚のない口調と、冷めた瞳は、会った時と多少食い違う。
「あ、ところで、きみ名前って何になった? 確か、きみは五百番目だったね」
「――――伍波百花」少女はそう言って、一度言葉を切った。「…………です」
彼女、伍波が言葉を詰まらせた理由を、黒句は何となく読み取る。理由は、ほとんど当て字に近い壊滅的なネーミングだろう。そんな名前をわざわざ新しくつけるくらいなら、いっそのこと前の名の方がまだいい。
黒句らが所属している組織は、加入した順にちなんで名前が付けられる。彼女の場合は五百番目に入ったメンバーということで、そのような名前になったのだろう。
しかしその話題には、少なくとも彼女が慣れるまでは触れないほうがよさそうだ。
「伍波百花ちゃん、ね。了解了解」普遍ではないものの、まあ、案外存在しそうではある。「前にも言ったと思うけど改めて。俺は黒句轆轤。『くろ』って三回言えば言える名前だから覚えやすいと思うんで、ま、今回はよろしくね、伍波ちゃん」
黒句の方から手の平を晒す。伍波という少女は、その手を数秒無言で睨みつけた後、ゆっくりとそれを握って来た。
「俺達のことは、研修でどの程度聞いた?」手を離して、黒句が伍波に訊くと、彼女は一言、何も、と答えた。「ま、でも大体やることは分かってるでしょ?」
「殺人、ですか」伍波百花という少女は、惜しげもなく口にする。
「そういうことは言わないほうがいいよ」あまりにストレートな言葉が出て来たために、黒句も一瞬ひやりとする。「特に往来では。まあ、目的地に着くまでの間、歩きながら今回のことについて説明していくんで。聞いといてねー」
伍波百花は頷く。それを見て、黒句は口を開いた。
「仕事を完遂する期間は二百四十時間。手堅く言っちゃえば約十日ですね。仕事中の諸注意は、同行したメンバー、つまり俺の半径二十メートル以内から離れないこと。俺はあくまでいるだけだけど」
「――――今回、仕事をするのはあくまでわたし一人。それで、黒句さんは監督、ですか?」
監督、と言われると何か違和感を覚える黒句だが、指摘はせずに肯定する。
「まあそうね。俺は今回仕事そのものに対しては手を出さない。今回は君の実力を試すってことと、実際に仕事をするときに通用するかってのを見る場だから」
伍波は小さくうなずいて、黒句の眼を凝視する。
「それで、わたしの仕事が拙くて殺されても、仕方ないってことですね」
そういったことを真顔で言ってくれる少女に若干の脱力を覚える黒句だが、すぐにそれを否定する。
「今回俺がきみの仕事に同行するのは、もし万が一、きみが危ない状況になったとき、それを助けるっていう意味合いも兼ねてるからそこら辺は大丈夫だよ。こっちでなんとかする」
それを聞いて、伍波は「分かりました」と、無表情のままうなずく。
正直黒句には、彼女の考えていることがまったくといって分からなかった。
「ところで」伍波から口を開く。「この上着、柔らかいですけど、一応アーマーなんですよね?」
伍波が指していたのは、黒句と伍波が来ている黒い色の外套だった。デザインは黒い無地で、袖の長さは手首の辺りまで。長さは各人の腰の少し下あたりまでで、襟にはフードのようなものがついている。一般人から見れば、それは明らかな「地味」であり、ややもすれば「ダサい」と言うのかもしれないデザイン。
「ん? 気になります? それ」
「――――いえ。ただ、これが本当に身を守ってくれるのか、疑問なだけで」
黒句達の組織は仕事をする際には黒い外套の着用が義務付けられている。メンバー間の見分けを重視することと、実質的なアーマーの役割を果たすためだ。
「防刃、防弾、防火、防爆――とか色々言われましたけど」そこでようやく、黒句は伍波という少女の『ある程度人間らしい』顔を見た。らしい、というだけで、そのものではないのだが。
「まあ、言っちゃえば現代風の鎧みたいなもんだよ。警察の人とかがよく制服の上から付けてるやつあるでしょ。あれに機能をもそっと足して、そいで服に見えるようにしたやつ、かな」
防弾、防刃などの技術は進歩し続けている。彼らの纏っているものは、その技術の結晶体であると言えた。
ただ、物量法則を無視したような軽量的なデザインは、伍波のような人物には不安に思えるものであるらしい。特にそれが、自らの身体の安否に関わってくるものだとすれば、尚更だ。
「ま、不安だったら衣服の下に何か挟んでおくとかヘルメット被るとかでも吉。実際そうしているメンバーも多いし。そこら辺はきみの好きにしていいよ。その上着、改造可能だから」
実際伍波と黒句の外套の様子は異なっている。伍波の纏っている外套がフードつきの長袖なのに対して、黒句の纏っているものは袖が七分までしかなく、裏側には多くのポケットが付いていた。それを確認した後、伍波は小さな声で「分かりました」と口にした。
「で、仕事を遂行するまでのリミットはまだまだいっぱいあるわけだけど、このまま目的地に行っちゃいます? それともどっかで油でも売ります?」
冗談でも後者の返答が帰って来ないことが分かっている黒句には、あくまで緊張を取り払うためのジョークでしかなかったのだが。
そこで、黒句は隣を歩いていた伍波の様子が変わっていることに気が付いた。
目つきが先ほどと違う。歩行のスピードも若干、変わった。息遣い、顔つき、その様相すべてが、少しずつ変わっているように見える。
「伍波ちゃん?」
「いいえ、目的地に行きましょう」その口調は先ほどと同じもの。しかし何かが変わり始めていると、黒句は判断した。「対象がいつ逃げてしまうか、分からないので」
そう言って歩を進める少女を、黒句は若干うんざりしながら後を追った。
黒句達が地上に『降りる』際はいつも対象の二百メートル以内に着地する。黒句達が目指す目的地というのも、徒歩数分で到着してしまうほどの距離しかない。
――――――ま、ゆっくり準備でもしますか。
前を歩く一人の少女を視野に入れながら、彼はそんなことを考えた。