午後
「鍛錬中に急使が? ……それは、かなり切迫した状況かもしれませんね」
昼食を食べ終わってからの講義の時間、コルウェルの顔を見るなりセリアが朝の話をすると、彼はかなり難しい顔をした。
「そうなの?」
「ええ」
頷きつつ、彼は講義用のテーブルに持ってきた本をどさりと置いた。
セリアの日課として、朝は武術の鍛錬。午後からはこの世界の成り立ちや風俗、そして聖法を習う講義の時間となっている。
その午後の講義の教師は、コルウェルが一貫してその任に就いていた。一から慣れない人間につかなければいけないのは辛かろうという皇司祭様のご配慮ですとコルウェルは言ったが、セリアとしては本当かなぁと懐疑的なところがある。
「普通は、遠方から便りを持ってきた使者はある程度の休息を取ってから報告をするものですし、報告するとしても直接大将軍のような最高責任者に直接などまずありません。良くて軍師、下手をすれば師団長などから報告が上がっていきます。それが、そのように報告されたとなると……」
彼は長い神官衣の上から腕を組んだ。
「もしかすると、リヴァーズ王国の都市の一つくらい、もう落とされているかもしれません」
その真剣な声音に、セリアは背中がぞくりとするのを感じた。
こちらに来てから3ヶ月、セリアは何だかんだと聖剣の使い手としてやってきたと思う。湊太を探すという皇帝との約束を糧にして、自分なりにやってきた。
そりゃあ、今でも周りから払われる敬意には戸惑うし、男として振る舞うのは疲れるし、気が許せて然るべきなはずのレイとの仲は悪いし、何よりまだ戦うことには慣れないが……それでも、"魔物の討伐をする"ということにかけては不可にならない程度には出来てきたはずだ。
だが、戦争が、始まるかもしれない。
都市が落とされるということは、その都市にいて都市を守っていただろう軍が、魔軍に敗れたということだ。その敗れ具合が全滅か壊滅か、はたまた殲滅レベルなのかは分からない。でも、そのいずれにしても、たくさんの騎士の命が失われている。
――それに、もしかしたら、その都市に住む人たちの命も。
「……聖下。聖下?」
コルウェルの声に、セリアははっと我に返った。
「あ……ごめん、ちょっと考え事してた」
「そんなにご心配めされることはありませんよ、聖下」
まるで心の中を読んだかのように言われて、セリアは視線を彷徨わせた。
「あ、いや、これはその、怖気づいたとかじゃなくて……」
「大丈夫です。恐らくリヴァーズ王国の救援には多大な兵力が用意されますし、おそらく私も一緒に参ります」
「え、そうなの?」
普通にここでお留守番かと思ってた、と言うと、コルウェルは苦笑で返した。
「私は仮にも神官の原理派のトップの一人である大司祭です。しかもその中で最年少だ、ぬくぬくと本国で自軍の無事を祈るというわけにはいきますまい」
あーそうだった、とセリアは納得した。
創造神ユリエルに仕える神官には、公式には主に二つの派閥がある、とセリアはコルウェルから教わっていた。
ひとつは、日々神殿内での仕事を行い、民に創造神への信仰を広め、時には教義のために政治とも渡り合う施政派。
もうひとつは、創造神の力の発露たる聖法を修め、直接信徒に恩恵を施し、時には創造神やその信徒に仇なす者を排除する原理派。
現在、神官全てを統べる皇司祭には行政派であるアドルファス・ヴォーンが、その補佐をする王司祭には原理派の神官がそれぞれ就いている。
そしてその下にいる、実質実務を取り仕切っている責任者である大司祭が、施政派3人、原理派3人で合わせて6人。その下には司祭、助祭、神官、牧師と様々な役職が続く。
つまり何が言いたいのかというと、コルウェルは相当に地位が高いのだ。しかも23歳でという若さでの、当代きっての大抜擢。
「リヴァーズ王国が魔族の手に落ちれば、帝国にはいよいよ後がありません。とすればそれなりの戦力を送らねばまずい。聖法の腕だけで大司祭の地位にいる私が先頭を切って行くのは当然のことです」
「そっか、コルウェルが行ってくれるのか……なら、大丈夫かな」
原理派では、基本的には実力主義。力が強いほど創造神から目をかけられていると見なされるので、力が強いほど高い位が用意されるのだ。
つまり若くして大司祭にまで登ったコルウェルは、当代一の聖法の使い手と言って間違いない。
そんな人間が行くのなら大丈夫かとセリアが期待を持って見つめると、彼は曖昧に笑った。
「大丈夫だとは胸を張って言い切れないのが、魔軍と相対するときの怖いところですが……私は私の最善を尽くします。それよりも聖下、さらに怖がらせてしまうかもしれませんが、次の戦では私などよりも貴女が、騎士や兵士の希望となるのですよ」
「……私?」
もしかしてやっぱり先陣を切れとか言われるの? と聞くと、いえいえとコルウェルは首を振る。
「さすがに緒戦では矢面に立たされることはないでしょう。まだ戦というものに慣れない貴女が万が一にも死んでしまっては元も子もありませんから」
「あ、はい」
「しかし聖下がどこにいらっしゃろうと、それはさほど重要ではありません。聖下が共に戦場にいらっしゃるということ自体が、戦う者にとっては希望なのです」
「私がただそこにいることが、希望?」
それは、もしかして、ただ戦え、敵を倒せと言われるよりも、荷が重いことなんじゃないだろうか。
「聖剣の使い手とは、創造神ユリエルが人族を救うために遣わして下さった最大の恩恵。今はまだ大半の者には隠されたままですが、少なくとも戦に出る前には大々的にお披露目のようなものがあるでしょう」
「……そうなんだ」
「聖剣の使い手セリア・エンドゥは、ただそこにいるだけで軍の士気を何倍にも高めます」
士気が高まったら勝てるの? という言葉は、口から出すことが出来なかった。
口にしてはいけない気がした。
「……もちろん、戦までには聖下にはもっと聖法を多く習得して頂かないと、私個人としては非常に不安ですが」
「……ですよね!」
少し底意地の悪い笑みを浮かべたコルウェルに、セリアは思考を断ち切るようにしてコクコクと頷いた。
考えていても仕方がない。セリアが今すべきことは、湊太を見つけてもらっている間、少しでも聖剣使いっぽくなって周りの期待に答えられるように、色々と鍛錬すること。大変だが、それ以上でもそれ以下でもない。
「でも、出来ればもうちょっと、お手柔らかにしてもらえないものかなぁと……前のはちょっと、血反吐吐いたし」
昨日までやっていたのは、ちょっとした怪我をした時に使う初歩の治癒術だった。
それだけ聞くと簡単そうだが、これが本当に難しかったのだ。
自分の指を小さく浅く切って練習をするのだが、効きが弱すぎて全く傷が変わらなかったり、逆に効きすぎてみるみるうちに傷跡が小山のように盛り上がってしまったり。
果ては術式を間違えて、治るどころか血が止まらなくなってしまったこともあった。
その度にコルウェルがセリアのはちゃめちゃになった指先を跡形もなく綺麗に治し、その後はにっこり笑ってリトライの繰り返し。
結局それが3日間延々と続いた。コルウェルの笑顔の後ろに暗雲が見えたのはセリアの気のせいではないと思う。
セリアの顔を引き攣らせての控え目な抗議に、コルウェルはやはりにっこりと笑った。
「確かに少し詰め込んでいる感は否めませんが……そこはやはり時間が足りないということもありますし。私としては通常運転です」
「あ、そう……」
鬼だ。セリアは思った。
大将軍バルフォアとの鍛錬とはまた違う鬼具合だ。あちらはあちらでしんどいが、ここ最近はセリアと鍛錬していればバルフォアも息を乱すようになってきたし、そのあたりでセリアは自分の成長具合が何となく分かる。
しかし、聖法は……セリアは自分が聖法に向いていないのではないかと本気で思った。
「さあ、授業に入りましょう。今日は新しいことをやります。まずは見学からいきましょう」
全く手を緩めてくれなさそうなコルウェルに、セリアは諦めてはい、と頷いた。
■ □ ■ □ ■
「……ねぇ、アンナ、ちょっとコレ……を、ナイフで突いてみてくれない?」
何とか集中力を途切れさせないようにと眉根を寄せながら呼びかけると、ぱたぱたと夕食の準備をしていたアンナは文字通り飛び上がった。
「は、はい!? そんな、セリア様に刃を向けるなど出来ようはずがございませんよ!?」
「いやいや、大丈夫だから」
青い顔をしてぶんぶん首を振るアンナに笑ってしまいそうになりながら、セリアは彼女によく見えるように両手を掲げて見せた。
「コルウェルから、明日までにナイフで強く突いてもびくともしないくらいにこの《守護》の術を完成させてきなさいって言われたから、ちょっと手伝って欲しくて」
「《守護》の術、ですか?」
「そう、手の間よく見て。なんかガラスみたいなのが見えるでしょ?」
顔を近づけてきたアンナによく見えるようにとさらに手を近づけてやると、アンナはわぁ、と感嘆の声を上げた。
「確かに、何かドーム状のものが見えます……!」
「うん、それ。ちょっとナイフで突いてみて」
「わ、分かりました」
アンナは少し戦いたように頷くと、隣室から食材を切るためのナイフを持ってきた。
「ほ、本当に、セリア様は傷つきませんよね?」
両手でナイフを握っているアンナは、やはり気が引けるのかぷるぷるしている。
「大丈夫、大丈夫だって。ほら、やっちゃって」
セリアが努めて軽く言うと、アンナは大きく息を吸って――
閃くような素早さで、セリアの手の間にナイフを突き立てた。
「うわっ!?」
「きゃっ!?」
途端、ナイフが突き立った所から蒼い光が放射状に広がり、セリアとアンナは同時に叫び声を上げた。
「せ、せ、セリア様、これ大丈夫なんですか!? 私止めたほうが良いでしょうか!?」
「え、多分……多分大丈夫! もう少し強く押してみて!」
「は、はい……!」
何だか泣きそうな顔をしながらアンナがさらに腕に力を込め、蒼い光がさらに強くなる。
セリアは歯を食いしばって術を維持していたが――
やがて、パリンと音を立ててガラスが割れたように見えた。同時に蒼い光も消え、息を乱したセリアとアンナが残った。
「……あー、やっぱり、駄目だったかぁ」
溜め息をついてセリアはソファに身を投げ出した。
最初から上手く行くとは思っていなかったが、期待していなかったと言っても嘘になる。明日までに出来るようになれとかやっぱりコルウェルは鬼畜だ、と呟くと、アンナがそんな、セリア様! と声を上げた。
「この術は今日初めてお試しになったものですよね? それでちゃんと成功すること自体が素晴らしいですわ!」
……"ですわ"?
なんだかやけにお嬢様のような言葉に、この子も言い間違いするんだなぁとセリアは密かに感心してしまったが、口には出さなかった。
わざわざ揚げ足を取るような真似をするのも気が引ける。
「そうなの? コルウェルはめちゃくちゃ楽そうにやってたけど」
そう、コルウェルが作り出した《守護》の術は優に人の体を覆えるほどに大きかった。彼はこれでもかなり大きさを縮めたのだと言っていたし、最後に試しにと聖剣で斬りつけてみても、術は小揺るぎもしなかったのだ。
「……それは、コルウェル大司祭様だからこそでしょう。一般的な神官の中には、一つの術を会得するのに一月かかる者もいるそうです」
「へぇ、そうなんだ。じゃあやっぱりコルウェルのほうがおかしいのね」
「そうです! だからセリア様、自信を持ってください。セリア様も十分に才能の塊ですから!」
さすがにアンナの言葉は誇張だろうと思うが、それでも自分が劣っていて出来ないわけではないらしいということでセリアは安堵した。
同時に、心の中でコルウェルに少しだけ毒づいた。あんたじゃないんだから、流石に明日は無理よ、この鬼。
「でもやっぱり、これからちょっとやったくらいじゃコルウェルのレベルにはなれそうもないな
」
「それはそうです、セリア様。コルウェル様は《柊の矢》という《攻撃》の術を編み出したことで皇都に招かれたそうですから、もう本当に生粋の天才術師でいらっしゃいます。よほど創造神の加護がお厚いのでしょう」
その言葉には、セリアは素直に驚いた。
およそ聖法と呼ばれる術の体系には、攻撃向けの術式の数がかなり少ない。代わりにあるのは治癒術の体系、セリアが先ほど練習していたような守護術の体系。
逆に魔族の扱う魔法の体系には、攻撃の術が多数存在するらしい。この差が人族が魔族に戦で弱い一因なのだと、コルウェルは前にセリアにこぼしていた。
その少ない攻撃術の中で、《柊の矢》は初期の初期、まだセリアがこのエリアス宮の部屋にも慣れていない頃に教わったものだ。文字通り、創造神の木とも言われる柊の木の枝の形に似た光を生み出して、それを手から矢のように打ち出すもので、剣による刺突には及ばないがかなりの威力で対象に刺さる。
しかもその後、その気になれば刺さった先で爆発させることも出来るため、その殺傷能力たるやちょっとした爆弾並だ。
そんなに有能なのだからさぞメジャーな術なのだと思っていたのだが……まさかコルウェル自身が発明したとても新しいものだったとは。
「はー、すごいすごいとは思ってたけど、やっぱりコルウェルは才能の鬼だったのかぁ」
やってられない、というようにセリアはひらひらと手を振ってみせた。
「そうですね……でも、そんな凄い方に師事されているのですから、絶対にセリア様もコルウェル様くらい凄くなれます!」
ぐっと手を握って律儀に返してくれるアンナに、セリアはありがとう、と笑った。
本当にこの子には励まされてばかりだ。
「そうだね、頑張るよ。とりあえず、この術をガラスからプラスチック並の強度に上げなきゃ」
ぷらすちっく? と聞き返すアンナには答えずに、セリアは再び集中して術式を唱え始めた。