第五話 迫り来る恐怖(8)
けれど、そういった周りの状況もつかめないほどの差し迫った戦いが続く中、気づかぬうちにボートが、さらなる方向転換をしていた。
そして、唐突に風景が変わったと思った瞬間……何と! 驚くなかれ、目の前に巨大な壁が出現したではないか! これはいったい、どういうことだ? 陸から遠く離れた、大海原の真っ只中にいるはずなのに……
否、違う、あれは壁ではなく、大型タンカーだ!――高さ50メートル、幅300メートルのそそり立つ側壁面――その巨大物が悠々と浮かんで、まるで城塞のように行く手を阻んでいたのだ。しかも、そこを目指すかのように、東の乗る小型ボートが、狂乱怒涛、まっしぐらに激走していた。波しぶきを上げ、恐ろしいほどの速度で!
……となると、大変だ! このまま進めば、諸に激突して小船など木っ端微塵に粉砕されてしまうぞ。それでも、今の彼は、奴をねじ伏せることに全身全霊で挑んでいたため、前方に危難が迫ろうとも、気に留める暇などなかった。こうなったら、可能な限り船上に残り敵と相対するしかないようだ。
東と厳鬼は、衝突が刻々と迫る中、さらに一層せめぎ合う。……しかし、それほど時間は残されていないぞ!
そうして、遂に危険な状況へと陥ったか!
障害物までほんの数十メートル、立ち塞がる鋼の巨大壁がすぐ目前に現れたのだ!
するとこの局面で、漸く東も危機感を抱き始める。これでは、衝突の巻き添えを食らってしまうという思いから、厳鬼など余所にして回避行動を取るべきだと決意する。そこで、取る物も取り敢えず無我夢中でボートからダイブしようと試みた。
……ところが、「むむっ!?」駄目だ、阻まれた! 敵も見す見す承知してくれないようだ。そうはさせじと奴にしがみつかれてしまった。そのうえ、考えることは同じと見える、今度は逆に、奴の方が東を置き去りにして飛び降りるつもりか? 彼の手を振りほどき、船の奥へと押しやるように胸倉を突き返してきた。
ええいままよ、させるものか! 彼もまた確りと奴を抱え込む。
だが、そうやって争ている間にも、どんどんとタンカーへ接近していた。……時間が、本当にないのだ! 鋼鉄の壁は、もう眼前に迫っているぞー。
東は、切羽詰まる! そのため――だったら早く、いいから早く、海に飛び込め!――と己に言い聞かせた。としても……無理か!? 先手争いは容易に決着せず、つまるところ、奴との壮絶な戦いに、再度甘んじるしかなかったのだ!
そして、東の瞳に……とうとう聳える巨壁が映った、その瞬間……
――凄まじい激突音が響き渡った!――ボートがタンカーの側面に衝突したのだ!
忽ち船首が粉々に砕け散った。加えて、それだけで尽きない有り余る激突のパワーによって、小船は海面より数十メートルも上空へ跳ね上げられたなら、一気に花火が破裂するかのごとく宙で爆発していた! 後は、バラバラに砕けるとともに炎上した船体の欠片が、雨あられと上方から降ってきた。
さらに海面では、ボートの残骸が燃え広がる中、漏れ出したオイルにも引火したせいで、瞬く間に烈々たる炎が海に溢れた。
全く……惨事は予想を超えていた。誰であろうとこの凄まじいクラッシュに巻き込まれてしまったら、生き残ることは考えられないであろう。
そしてタンカー内でも、言うまでもなく、その衝突音は大音量となって轟いていた。多くの船員たちが、忙しく働いている最中に起こったハプニングだった。そのため、彼らは仰天し、すぐさま甲板上に集まりだした。続いて眼下の海を見下す。
すると、炎に包まれた大小の浮遊物と、その周りのあちらこちらで燃え盛る火の手を認める。言わば、実に大変な事故を目撃した訳だ。ただ、そんな悲惨な現場を目の当たりにしても、どうすることもできない、彼らは諦め気味に辺りを見回すだけだった。
だがその後、些細な異変が起こった。残骸から少し遠ざかった水面で、数多くの泡が湧き立っていたのだ。
あれは何だろうか? 船員たちは疑問を抱いて見入った。それから、暫し様子を窺っていたところ……今度は突然、しぶきが上がり海の中から1人の男が姿を現したという。どうやら惨劇にも拘らず、生存者がいたようだ。
ならば、兎にも角にもその安否を確かめる必要があると考えたため、
「おおい、大丈夫か?」と船員たちは、男に声をかける。
「た、助けてくれ、ロープを投げろ!」ただちに、確りとした声が返ってきた。それも溺れることなく、余裕の泳ぎさえ見せて。
何も問題がなさそうだ。
……とはいえ、何故かその表情だけは分かり辛かった。
船員たちは、ふと思った。
たぶんそれは、男の顔が仮面で覆われていたせいだろうと――