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4.宿屋の女将

 町の中心から見て西側の、少しだけ中心街から外れたところにある『西石にしいしの宿屋』というのが、あたしが経営する宿の名前。

 その名前のとおり、宿みせの裏には、地元の人間から"西石"と呼ばれている大きな岩があり、その裏側を小川が流れている。

 亭主はあたしの5つ年上で、あたしの両親が営んでいたこの宿の料理人だった男。

 何年もアプローチされて陥落されてあげたのは2年前。

 何人もの男が、ヤツに追い落とされていったわ……それもあたしの知らないところで。


 ……まぁそんな昔話はいいわね。


 両親が亡くなり、あたしが宿を継いで3年。

 日々必死に宿を盛り立ててきたわ。


 でも時々どうしょうもなく疲れてしまう時があるの。





 その日、体は疲れきっているのに意識は冴えてしまって、眠れる気がしなくて。

 帳簿付けをしていた机の上を片付け、いつもなら寝室に直行する足を裏口へと向けた。


 少しだけ気分転換したかったの。

 亭主が起きていたら危ないからと妨害されただろうけど、朝の早い彼はもうとっくに夢の中。



 小川のせせらぎの音に誘われてそちらにゆっくりと歩いてゆく。

 ああ、ここら辺も草刈しなきゃダメね、ギルドにお願いして何人か寄越してもらおうかしら……いや駄目だわ、そんなお金使う余裕なんてないから、明日から早起きして自分でやらなきゃ。


 軽く頭痛がするわ。



 町外れだし、なんの特色もない普通の宿だし、常連さんもそんなに多くないウチの宿。


 細々と続けてはいるけれど……。




 ため息がこぼれそうになったその時、あたしの耳に、水のはねる音が聞こえた。

 いえ、ジャバジャバと水を使う音の間違いね。


 こんな夜中に?


 ドキドキする胸を押さえながら、そっと足音を忍ばせて近づく。







 小柄な女の子だった。


 月の明かりに裸の背中を晒して、一生懸命服を洗っていた。


 絞った服で体を擦り、何度も頭を洗っている。



 本当に小さい子…なんて可愛いのかしら。

 ふふ……あたしがくるっくるに洗ってあげたいわぁ。

 あぁん、いろいろとお世話してあげたい!


 ちょこまかと動く様子に頬が緩んでしまう。



 こんな時間にこんなところで体を洗ってるってことは、十中八九"裏路地の子"に違いないんでしょうけど。

 でも裏路地の子達ならこんなふうに体を洗ったり服を洗ったりなんてしないでしょうし……。


 もしかして、"あの子"かしら。


 最近"裏路地"に住み着いたという、異国の子。

 近所から噂だけは聞いていたけれど…。



 少女は何か感じたのか不意に顔を上げ、くるりと周囲を見回した。

 

 ドキリと胸が鳴った音を聞いた。



 少女だと思った彼女の、振り向いた体はすっかり成人した女性と変わらないもので、引き締まった腰のラインと豊かに膨らんだ胸は、あどけない顔立ちと相反していて妙な気分になる。

 肩下で切り揃えられている濡れた黒髪を片手で後ろに撫で付け、また洗濯を再開した。



 いやーん! あの体も素敵だけれど、幼げなあの顔が付いてると最高だわぁぁ!


 小川から見えない場所に隠れて身悶えていると、いつの間にか彼女はいなくなっていた。




 久しぶりに、頭痛が止んでいるのに気づいたのは、上機嫌のままベッドに入った翌朝で。

「どうした? 随分と機嫌が良さそうだな、ディア」

 痛みのないすっきりした頭で食堂へ行くと、宿で出す朝食の仕込みをしていたアーレフ(亭主)が目ざとくあたしを見つけて声をかけてくる。

「ふふふ、昨日良い夢を見たのよ」

 カウンターに座ると、すぐに朝食を出してくれる。

「そりゃぁ勿論俺の夢だろ?」

 朝食のついでに頬にキスしようとしてくるヒゲ顔を押しのけてスプーンを手にする。

「違うに決まってるでしょ!」

 しょんぼりしている旦那は放っておいて、さぁ、さっさとご飯を食べてあたしも仕事しなきゃね!

 アイメッパというこの地方独特の酸味のある香辛料を効かせたご飯をかきこんだ。






 その後、ウチの宿にやってきたあの子に目を丸くする。

 ああ、なんて素敵な御縁なんでしょう!


 ウチに来るまでに何件もの宿屋で泊まるのを拒否されていた彼女は、既に諦めの混じった顔をしていたけれど、あたしが快諾するとパァッと! 花が開いたように笑ったの!


 そして彼女、マモリはウチの上得意になってくれた。



 部屋は、あたし(と亭主)の部屋のとなりあう客室。

 何度か部屋の変更を申し入れられたけれど、却下よ?

 だって、女の子の一人部屋なんて危ないじゃない! え? なに? 夜が? いいわよぅ、マモリにならいくら聞かれても!


 うふふふふ、照れ屋さん。



 

 本気でマモリが嫌がるなら替えてあげるわよ?


 ふふ、あの子押しが弱いから、無理でしょうけれど。




 ウチにマモリが来てから、色々な事が良い方向へむかっている気がするの。






 着替えを持っていなかったマモリに、あたしの子供の頃の服をあげたらとても喜んでくれて(子供の頃のよ、って言ったらちょっと微妙な顔をしていたけれど、その顔も可愛いっ!)お礼に"計算の仕方"を教えてくれたの。

 いつも会計のとき、あたしがもたつくのを見ていてジレジレしていたみたいね。

 他にも、亡くなった母が好きだったお裁縫の道具を貸してあげたり、大量にあったハギレをマモリに安く分けてあげたらとても感謝されて、経理の仕方を教えてくれたの……ちょっと、スパルタだったけれど。



 もしかしたら、マモリは良いところのお嬢様なのかもしれないわね。

 しっかりした教育を受けているようだし…ただ、ちょーっと文字を覚えるのは苦手みたいだけれども…得手不得手ってあるものね。




 さぁ、今日もすてきな朝だわ! マモリを起こしてこなきゃ!

「おぃ、起きてくるまで寝かせておいてやってもいいだろうが」

 亭主アーレフが少し口を尖らせる。

 ウチの人はあたしがマモリにかまうのが面白くないみたいね、ほんとヤキモチ焼きなんだから。


「寝起きのぼんやりしてるマモたん見なきゃ一日が始まらないわ!」

 尚も言い募ろうとするのを振り切って食堂を出る。

 ふふん! あんなこと言ってるけど、あたしは知ってるのよ!

 ちゃぁんとマモリの為に、アイメッパ(酸味香辛料)抜きの朝ごはんを用意しているのを!


 そっとマスターキーで部屋の鍵を開け、中に滑り込む。

 きっちりとカーテンの引かれた部屋の中で、ベッドがこんもりとしている。

 ふふ…また丸まっちゃって! かーわーいーいー!

 音を立てないようにカーテンを開け、まぶしさに眉根を寄せて嫌そうな顔をするマモリをひとしきり見守ってから。

「マモたん、朝でしゅよー」

 優しい声音で、そっと耳元で囁く。

 勿論1度や2度声をかけたくらいじゃ起きないわ、むしろ、起こさないようにそっと声をかけてるんだもの。

「マーモーたん、起きないと、おねぇたんが一緒に寝ちゃいましゅよー」

 そう言いながら、上掛の端をめくりあげ、するりとマモリに添い寝する。

 背中から抱き込むように添い寝するのがベスト!

 身を乗り出して、マモリの顔を覗き込むようにしながらマモリの体を触る。

 ここに来た当初は、胸のお肉こそあったものの、全体的にガリガリで……、そうよね、良いところのお嬢様が突然路地裏でなんて生きていけないわよね。

 最近になってやっと思うような肉付きになってきたのを嬉しく思うの、こうして手探りで確認するとよくわかるわ。(※だから決して、何らかの下心があるわけではないという言い訳)

 こそこそ体のラインを確認していると、もぞもぞとマモリが動き出す。

 くすぐったいのかしら?

「んーっふっふっふ、かぁーわぁいぃぃ」

 思わず見え隠れしていたマモリの耳たぶにパクリと噛み付いてしまった。

 亭主アーレフがよくあたしにするように、はむはむと耳たぶを甘噛みすると、やっと目が覚めたようで。

「……おはようございます…、女将おかみさん」

 ぼんやりとした挨拶に、あたしは笑って返事をする。


「何度も言ってるでしょ? "女将さん"じゃなくて、おねえたんで、良いわよぅ」

 チュッとマモリの頬にキスをする。




 さぁて、元気をもらったし、今日も一日がんばろう!


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