32.誘惑
懐中電灯を取り上げられ、猿轡を噛まされ、両腕を縛られて歩かされていた。
「っはっ! まさか、エイ・イレンとも交友があったとは! 甘く見ていましたよ、はぁっ。 先程ね、ほんの先程、エイ・イレンの魔術師長から直々にね、まったく、どうやってかは知りませんがね、まぁ、下っ端の我々には秘匿されている技術でしょうね、そのスバラシイ技術でね、連絡が入ったそうですよ、アナタを助けだしてくれとね! まったく、まったく忌々しいっ! はぁっ、はぁっ」
息を切らせながら、それでも小声で悪態をつく上司魔術師はよっぽど腹を立てているのだろう。
土魔法の女性魔術師は無言で私を引っ張る。
城外に連れて行かれるものだとばかり思っていたのに反して、二人は城の裏へ回りこみ、得意の掘削によって作り出した地下道を通って城内に入った。
……こんなに簡単に入り込めるお城なんて、大丈夫なんだろうか……。
心配になるが、それよりも今は自分のことだ。
城の中はざわざわしているのに、二人が進む通路は人が来ない。
確かに狭い通路だけれど……まさか、この路も勝手に作ったものなの…?
気になるけれど聞けるような雰囲気でもないし、そもそも口が塞がれている。
口をふさがれたまま歩くのって……ぅぁ、さらに階段を上るのか、うう…きつい。
たぶん五階分の階段を上りきった、その先にあるドアをスライドさせて開き中へ入っていく。
入った部屋の、保護用の布を掛けて吊られているたくさんの服の間を抜けると正面には大きな鏡があって……部屋全体は品良く整っていて……、なんだろう、この部屋に来たことあるよね、私。
「お待たせいたしました、フィーグレイス様」
土魔法の女性魔術師に突き出された先に居た女性は……以前、ノースラァトさんにこの城に連れてこられた時に、トイレを探して迷子になったときに出会ったあの妙齢の女性だ、そしてもう一人、あの時私に風呂の介助のふりして身体検査したポニーテールのメイドさんも妙齢の婦人の後ろに控えていた。
そっか、ここって前にお城に来たときに強引に連れて来られた部屋だ。
それでなんで、私が誘拐されなきゃなんないの、って、そうですね、虹色魔石の販売者だからでしょうね。
「不自由をさせますわね、マモリ・ロンダット。 どうぞおかけになって」
この部屋に唯一あるイスに一人で座らされるのに抵抗を感じて動けなかった私は、つかつかと歩いて後ろにまわりこんだポニーテールのメイドさんに強引に座らされた。
そして私の後ろに回ったままポニーテールのメイドさんはさりげない仕草で私の両肩に手を置いて立ち上がれない力加減で私を押さえる。
「さて、こちらにお呼びした理由はご存知かしら?」
フィーグレイスさんは優雅に窓際に歩み寄り、閉じていたカーテンを少しだけ開けて外を望むと直ぐにぴたりと閉じて、私の方に向き直る。
私は…わずかな抵抗として、肯定せずに彼女から視線を逸らして猿轡をかみ締める。
「ザーレン、説明はしたのね?」
私から答えを得ることはやめて、直ぐに上司魔術師へ矛先を変える。
「はい、勿論ですとも!」
ザーレンと呼ばれた上司魔術師が胸を張ってこたえる横で、土魔法の女魔術師も頷く。
二人を確認してフィーグレイスさんは私の正面へ来ると、手袋をはいた手で私の両頬を包み、優しいけれど有無を言わせない力で顔を持ち上げる。
「お話しをするときは、相手の目を見るものよ、マモリ」
猿轡をしている人間に何を言ってるんだろうか、この人は。
フィーグレイスさんはググッと顔を近づけると、至近距離で目と目を合わせる。
「ねぇマモリ、わたくしと独占的に虹色魔石を取引なさいな。 決して悪いようにはしないわ、貴女の言い値で買ってさし上げますし、もっと良い屋敷も用意しますわ」
色素の薄い水色の瞳に瞬きがないままジッと目を合わされていると、何か変な気分になってくる。
焦燥感が胸の奥から湧き上がり、手を縛られていなければフィーグレイスさんの手を振り払っていたに違いない。
頭の奥まで見透かすようなこの視線は、怖い。
ラァトさんっ! ノースラァトさんっ! 怖い、この人達、怖いっ!
「マモリ、ちゃんとお聞きなさい、失礼ですよ」
ノースラァトさんに心の中で助けを求めていると、それを遮るように、肩を押さえているポニーテールのメイドさんが、両肩を掴む指に力を込めて痛みを与えてくる。
怖い怖い……っ。
痛みと恐怖に耐えかねて顔を上げ、フィーグレイスさんに視線を戻すと、ニコリと微笑まれる。
「そう、良い子ね、ちゃぁんと、わたくしの目を見てね」
フィーグレースさんの瞳が不思議な優しい色を湛えた。
「マモリ、今後魔石の取引はわたくしとだけにするのですよ? マモリの事は、わたくしが守ってあげます、マモリは安心してわたくしに全てをお任せなさい」
羽箒で撫でるように優しい声音で囁くフィーグレイス様はとっても優しそうで……
何もかもを預けても包み込んでくれるような包容力があって……
彼女なら、きっと私の全てを受け入れてくれる―――
肩を掴んでいたポニーテールのメイドさんの手がいつの間にか離れ、猿轡も腕を拘束していた縄も解かれていた。
私はポロポロと涙を零しながらフィーグレイス様にしがみついていて、そんな私をフィーグレイス様は優しく抱きしめて、宥めるように背中を撫でてくださる。
「良い子、良い子ね、マモリ。 もう大丈夫よ、わたくしが居るから、大丈夫」
やさしい声に慰められ、抱きしめられて、コクコクと子供のように頷く。
この世界に来て、心を許せる相手に出会えた喜びで涙が止まらない。
喜びが胸からあふれる。
「良い子、マモリ。 これからは、わたくしの言うことをしっかりと聞くのよ。 わたくしならば、マモリを幸せにできるわ? ね、そうでしょう? マモリ」
そう言って頬を寄せてくれるフィーグレイス様にコクコクと何度も頷く。
フィーグレイス様ならば、私を幸せにしてくれる、フィーグレイス様ならば、私を守ってくれる。
その唯一無二、心から信じて安らげる存在に、私はやっとめぐり逢えたんだ。




