29.誘拐
「ラァトさん、はい、今回の分の魔石です」
結婚して約2週間ってことで、丁度いい頃合いだろうと作り貯めていた魔石をノースラァトさんに渡したら、怪訝な顔をされた。
なぜ?
「あ、あぁ、そうだな。 で、代金はいくらになる」
気を取り直したノースラァトさんに代金を伝えると、持っていた袋からザラッと代金を払ってくれた……あれ?
「え…と、これってラァトさんの自費、ですか?」
だとすれば、ちょっと、なんか、おかしな気がするのですが、家庭内売買?
心配は杞憂で、ちゃんと経費でお金が出ているということで、この袋自体、経費用の袋だということだった。
家庭内流通なんて事じゃなくてよかったと思いながらお金を袋に仕舞う。
ノースラァトさんのさっきの怪訝な表情は気になるものの、聞くのも怖いのでそっとスルーしておく。
そういえば、魔石に名前を彫るのは諦めた。
あんな小さな物に文字を入れるなんて芸当、できる訳が無かったんですよ。
ナイフで手を3箇所切った時点で諦めました。
小さいし、滑るし……っ。
もっと効率的にアピールする方法がないかな、うぬぅ。
そもそも、卸し先が国のみっていうのがアピール範囲を狭めているよね、もっと大々的に流通できれば……十中八九、私、悪い人に目をつけられて、大変な目にあう事請け合い。
最近の生活パターンは石を舐めつつ家事をして、時々町へ買出しに出かける。
裏路地で必死に生きてたときには考えられないような、普通の生活が幸せなんだけれども……。
いまだノースラァトさんに魔石の製造方法は伝えられていない。
考えれば考えるほど、恐ろしくなる。
化け物と罵られたらどうしよう、捕らえられ”虹色魔石を作り出す生き物”として飼い殺しにされたら……。
考えれば考えるほど、何も出来なくなって。
私は定期的に、魔石を卸すだけ。
考えても答えが出ない問題はとりあえず棚上げして、私は日々の平和な生活を大事にする。
家の中にいてうだうだ考えすぎてしまうときは、気分転換がてら町に買い物に出たり。
堀の内側である高級住宅街にも店はあるのだけど、値段が高いので少し歩くことになっても、堀の外の庶民的なお店で買い物をするようにしている。
時々、足を伸ばして"西石の宿屋"にランチの時間帯に行って食事をしたり。
今日も冷蔵庫の中身が乏しくなってきたので、食料の買出しをしようと堀を越えて町に入って少ししたところで、見知らぬ女性に道を聞かれ、地理に疎いので遠慮をすれば、強引に手を引かれ、路地に連れ込まれ、猿轡をかまされました。
目を白黒させている間に両手を縄で縛られて、馬車の座席の座面の下の空間に押し込められ、そのまま連れ去られました。
まさかの誘拐2回目。
舗装されていない道路の凸凹および、サスペンションがあるんだか無いんだか判らない馬車の仕様のおかげで、乗り心地は最悪で、狭苦しい木箱のような空間の中で頭をがこがこと打ちつけ、半分気絶するように意識を失った。
目が覚めたのは石造りの寒い牢屋の中。
猿轡も手の縄も解かれてはいるものの、汚臭がこびりついている石作りの室内はとても長居したいところではなかった。
掛けられていたフカフカの毛布に包まって、部屋の隅にうずくまる。
一体、何が、どうして、こうなった?
牢屋は三畳程の狭さで、部屋の奥(といっても目と鼻の先)にトイレ用と思しき床の切れ込みがあり、そこに取っ手付のふたがされていた。
床全体がわずかにそのトイレの切れ込みの方へ向かって傾いているところを見ると、どうやら床を水洗いしてそこへ排水するようになっているみたいだ……ってのんきに観察している場合ではない。
鉄格子のすぐ外には誰もいない、恐る恐る鉄格子に近づいて、外の様子を見る。
牢屋の前は薄暗い廊下になっていて、所々に魔石を使ったランプが置いてあるが、それも一つ一つの間隔が広いため光が行き渡らずに暗い。
牢屋は何個もあった、私の入っている側は見えないのでわからないが、むかい側には私の入っている牢屋の倍ありそうなサイズの牢が4つ並んでいる。
中には誰もいないようで、現在のところ、この牢屋の住人は私だけみたいだ。
元いた場所に戻って体育座りをして考えたところで、なんでこんな所にいるのかわけがわからない。
そもそもこんな規模の大きな牢屋、個人所有のものだろうか?
なんだかとっても嫌な予感がする。
個人所有だとしても、牢屋のある個人宅ってどう?
個人所有じゃないとすれば、公的機関ってことで、私が犯罪者として捕らえられたということだよね。
大して時間も経たないうちに、ガシャン、という金属質な音が聞こえ、ドアが開く音、そしてカツコツ響く足音が二つ近づいてきた。
「マモリ・ロンダットですね」
濃い色の魔術師のマントを着た神経質そうな男が私の居る牢の前に立ち、大きくは無い声量でそう聞いてきた。
マモリ・ロンダット……初めてその名前で呼ばれて、認識するのに時間が掛かり一瞬返事をするのに間が空くが、気にしない様子で牢の鍵を外して牢から出るように促してきた。
わけが判らない、だけど牢の中に居続けるのは嫌だから、毛布を羽織ったまま恐る恐る牢から出た。
「手荒なことをして申し訳ありません。 しかし、こうするしか貴女とお話する時間が取れないのです」
慇懃なしぐさで私の手を取り強引にエスコートする魔術師と、同じように魔術師のマントを着て長い髪を三つ編にして背中に流した…女の人?が私の後ろに付いて、私は二人に挟まれるようにして移動させられた。
といっても、移動したのは牢屋の奥にある守衛部屋のような場所で、短い廊下の扉を二つ抜けた先に8畳程の部屋があった。
部屋の中には…えと……拷問道具…っ!
目に痛いのは三角木馬的な三角形の乗り物とか、おっきなペンチ的なものとか、他にも細かな道具が壁に並べられているんですが。
だけど、これらは使用された痕跡こそあれ、この場所は綺麗なものなので……多分、この奥に続くドアの向こうで使ってるんじゃないのかなぁ、確かめたくないけれど。
ここが拷問部屋の道具置き場であることを理解し、自分がここへ連れてこられた理由を考えてゴクッと喉が鳴った。
ザァッと血の気が引く音すら聞こえた。
魔術師に握られている手が、恐怖に震えてしまう。
「おや? どうしました? 大丈夫ですよ、女性に無体な事はいたしません。 外傷など与えようものならば、貴女のご亭主に地獄の果てまで落とされそうですからね」
そう言いながら、私の震える左手の手のひらを上に向け、そこに浮き上がっている婚姻の証である痣を指先で撫でる。
ぞわっと悪寒が走って思わずその手を振り払うと、にやりとしたゲスな笑みを向けられた。
「形ばかりの夫婦かと思ったら、そうでもなかったようですねぇ」
そう言ったとたん、カッコーンと小気味良い音がした。
「さっさと本題にお入りください、馬鹿上司」
初めて口を開いた彼女の手には水を汲む柄杓が握られており、鉄板でできた部分が少しへこんでいた。
「ば、馬鹿とはっ――」
「さっさと本題にお入りください、上司殿」
反論を許さない視線と声に、上司であるらしき魔術師はそれ以上彼女に食って掛かるのをやめて、私に向き直りひとつ咳払いをして口を開く。
「率直に言おう、マモリ・ロンダット、貴女が売りさばいている虹色の魔石の仕入先を教えてほしい」
カッコーンと先程と同じ音が魔術師の後頭部から聞こえて、思わず身をすくめてしまう。
「今度は何かね!?」
「搦手というものを学んでくださいとお願いしてありましたよね、上司殿」
女性の魔術師の手の上で、柄杓が上下する。
上司殿と呼ばれている魔術師は、彼女のその様子にびくびくしているようだ。
「率直に聞いて、どうするのですか? 彼女が、教えないと言ったなら、はいそうですかと引き下がるおつもりですか?」
「そ、そんなことは、ないぞ。 ちゃんと、詳しく聞きだすとも」
そう宣言した上司殿と呼ばれている魔術師に、彼女は小さく肩を落とす。
「また計画もなしにそんな事をおっしゃる。 上司殿が安請け合いなさるから、こんな面倒な事になるのです。 そこのところ、ご理解いただいてますか?」
なんだか、彼女の方が立場的に上に見える…。
所在無く彼らのやり取りを見ていると、不意に彼女の視線がこちらに移動してきて、つい、びくっと身をすくめてしまった。
「ああ、ごめんなさいね、内輪揉めなんてしてしまって。 こんな辛気臭いところ、長居したくもないでしょう? 移動しましょう」
「待ちたまえ、ハイリディーン君、何をかっ――カッコーン!――」
「嫌なのよ、ここ! さっきから、拷問部屋からうめき声と悲鳴と誘う声が聞こえるのよ! なんでアンタ達聞こえないのよっ!? あぁぁぁ!ウルサイっ!」
ガンッとハイリディーンと呼ばれた彼女が奥に続く金属製のドアを派手に蹴りを入れた。
その瞬間ドアの向こうの気配がざわりと揺れたのは、絶対に気のせいだと思う。
ぞっとした私と、上司魔術師が顔を見合わせ、先に立って歩き出したハイリディーンさんに無言でついてゆく。
さっきまで入れられていた牢の部屋を抜け、暗い廊下に入ると、ハイリディーンさんはマントの下から懐中電灯を取り出し明かりの無い通路を照らして進む。
「ハイリディーン君、きみ、それは最近輸入されたばかりの、カイチューデントではないのかね」
「そうですが、何か?」
明らかに興味津々な上司の魔術師に、ハイリディーンさんはそっけない返事を返す。
「うわさには聞いていたが、本当に小さいのだな。 女性が片手で楽に持てる大きさ、それに光量の調節機能も付いているそうではないか、実に興味深い。 これは、あれだ、是非僕に譲ってくれないか」
「嫌です」
「……そうか」
一言で断られた上司魔術師は、少し肩と歩く速度をおとしたが、すぐに歩調を回復して彼女の横に並ぶ。
「それにしても、すばらしい光の量だ、光の調節はいったいどうやるのかね。 この大きさで、ひとつの魔石でどのくらい持つのかね、仕様くらい教えてくれてもいいだろう」
へこたれずに食いついてゆく上司魔術師にハイリディーンさんは嫌そうな顔を見せたが、仕方なさそうに光属性の魔石5個を入れて使うこと、光量の調節方法などを面倒くさそうにさらっと説明した。
そして、上司魔術師のまだ質問しそうな雰囲気を遮り、私に話しかけてきた。
「人目があるとまずいから、裏を行くわね」
「ところで僕の分のカイチューデントは無いのかね」
「ありません」
「……そうか、無いのか」
また肩と歩調を落とした上司魔術師とハイリディーンさんに挟まれるようにして石造りの通路をすすんだ。




