7 黒いモノ
ご無沙汰してました。ほんっとすみません。
2017/7/14 改訂
幼生達の動揺をよそに、アフレイドが、月子さんの扱いの諸注意を言っておこう、と口を開きかけた時だった。
アフレイドとヨーランは突如として魔力の高まりを感知して身を翻した。推定場所はシェールとルキが隠れた付近だ。
パァァアン! ズズゥ……ン
爆発のような音がした。同時に、重いなにかが地面に落ちるような音と振動が続く。
二人は瞬時に走り出した。
幼生達は呆気に取られて棒立ちでそれを見ていたが、外見天使ビュセルが彼等を追いかけて飛び出すと、べーリットとイ=タンもそれに続き、残った幼生達も釣られるように駆け出したのだった。
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「すーずめの、がっこ、むち、ふりふり」
呟くシェールは、館の方を見ながら右手で鞭を左右に振るう仕草をしていた。鞭、という単語を別のものに変えて見れば、その様はなかなか可愛らしい。
月子さんは鞭を振るう振り付けは教えていないので、シェールは既に、鞭と、その使い方を知っているのかも知れない。それとも鳥籠という場所は鞭使いがいる環境なのだろうか。そうだとしたらとんだ動物大サーカスである。
(魔族でも鞭なんぞ使うんじゃろか……いやまあ、魔族とゆーてもみんながみんな魔法使えたり、怪力自慢だったりということもあるまいが)
シェールの頭頂部、銀髪に隠れて見える旋毛を凝視しながら、月子さんがシェールの鞭振りの謎を考えていると、後ろの方からなにやら気配がした。
―――気配とは。
現代科学分野では、人間の体の周囲には『準静電界』と呼ばれる、静電気のようなごく微弱な電界が全身を包むように存在していて、人や動物はこれを察知する能力を備えている、といわれている。
もちろん察知できない、所謂「鈍い」お人もあろうが、こと、月子さんは、民俗学や昔話なんていう、時に超自然科学が絡むものが好きなせいか、この「気配を察する」ことに少々長けていた。
幼少から『日本昔ばなし』を愛読し、学校にあがってからは図書室や地域の図書館であらゆる民話を漁り、大学では現地調査という名の“各地の長老訪問旅”をして来た月子さんには「この世には知らないし、見えもしないが、たしかに存在するものがある」という信念が染み込んでいる。
「信念」の本来の意味は『正しいと信じる自分の考え』であるが、月子さんの「信念」の意味は、かつてとある老師(坊さま)に教えられた『今の己の心を信じる』という解釈である。
その結果が、万人にあることではないが、彼女の『並の人よりも気配に敏くなった』要因であるようだ。
で。 そんな月子さんの感覚の琴線に、なにかの“気”が触れた。
ゲが三つ付く某有名漫画でいうなら、主人公の髪の毛アンテナが反応したといえよう。
その、今感じた気配に、月子さんは覚えがあった。
現地調査であれこれ回っていると、怪談、奇談等を聞く機会も多いのだが、そうすると所謂「怪談百物語」の収集に近い状態になり、不思議な体験をしたり、妙な気配を感じたりすることがあった。そんな中、彼女がとある地方で遭遇した存在の気配と、何故か非常に似ているのである。
その、とある地方で遭遇した気配―――それは鬼、である。
鬼と遭遇した例というと、鬼を題材にした作品等で有名なとある漫画家は、仕事場で机に伏せて寝ていたところ、頭上に現れた巨大な鬼の手に掴まれそうになった、という話があるのだが、月子さんの場合は、鬼の首が祀られていたという土地で、それらしき、尋常でない『気配』を感じるという体験をした。
(―――いくらなんでも、アレと同じ存在じゃないだろう。少なくとも地球の日本と思えないこんな処で。でも似ている気がする。そしてこの気配は無視してはいけない気がする―――)
月子さんは思い切って後ろを振り向いた。
二人が隠れている巨木と小低木の後方には、短い雑草の生える地面が凡そ20メートル程に亘り広がっており、更にその向こうには薔薇と石楠花を足したような花を咲かせた木が群生している。
その木々の前の空間に―――ヴゥン、という地を這うような低い波動音を響かせながら、凡そ3メートルはあろうかという巨大な影が突如として姿を現した。
「……っ!!」
驚きで息を呑んだ月子さんが硬直していると、前触れもなく傍の巨木が、ザザザザザ! と激しい葉擦れをさせながら二人の頭上に倒れてきた。
その音と巨木の影に我に返った彼女は、とっさにシェールを掻き抱くと地面を蹴り上げ、背面跳びで小低木に乗り上げるとそのまま転がり越えた。
パァアアアン!!!
直ぐ傍で、なにかが激しく破裂するような音が轟いた。それとほぼ同時に、二人の身体が小低木の向こう側の地面にどさりと落ちる。
次いで小低木を挟んだ向こうに、ズゥン、という重い音と震動が響き渡った。
「……………」
「―――ルキ」
「………」
「ルキ、」
「……っぶはあぁああああぁっ!! はあっ、はあっ、はあっ………、うおおぅ……」
月子さんはシェールを抱え込んで転がり落ちた姿勢のまま固まっていた。その間無呼吸。そしてシェールの呼びかけにより我に返って呼吸再開、酸素が足りない。
驚きとヘモグロビンの運搬でバクバクいっている心臓をなんとか落ち着かせるが、顔肌には吹き出た汗で幾筋かの髪の毛が貼り付いている。
「ルキ、いたい、ない?」
くぐもった声でシェールが月子さんに問うた。顔面を胸元に押し付けられるようにして頭を抱えられている為だ。月子さんが胸元を見ると、乱れたシェールの長い銀髪に、草や葉の切れ端が纏わり付いている。
自分が小さな子を全力で抱き締めていることに気付いた彼女は、慌てて腕を外し、シェールの体を支えながら二人で上体を起こした。
「だ、大丈夫。ごめんシェールちゃん、シェールちゃんこそ大丈夫? 怪我ない? ぎゅっと抱き締めてたから苦しかったね、ごめんね」
あわあわしながら、怪我はないかとシェールの身体のあちこちを確認する月子さん。
シェールは無表情ながらもどこかきょとんとしているような雰囲気だったが、月子さんの真剣な心配顔を見つめるうちに、瞳を爛々と輝かせると、彼女に勢いよく抱きついた。
「わ、」
突然胸元に飛び込まれ、形ばかり驚いた月子さんだが、魔族とはいえまだ小さい子だし、怖いとはいかないまでもびっくりしたのかも……と、シェールの背中をぽん、ぽん、と宥める様に優しく手のひらで拍子打つ。そのリズムで自分も落ち着かせているようだ。
そうしながら、自分が今しがた越えた小低木から、なにやら焼ける匂いがするのに気がつき、なに気なく目をやって―――驚いた。
ばかでかいアイスクリームディッシャーででも掬ったかのように、小低木が半円形に抉られていたのだ。
しかも抉られた縁はブスブスと煙をあげている。
更にその向こうには、倒れている筈の巨木はなく、その巨木が小石程のチップになって積もったと思われる木屑の山ができていた。
「急に木が倒れてきたと思ったんだけど……え、何故に木っ端微塵?」
「シェ、こわした。」
「え、えええ、そうなの? あ、えーと、魔法だか魔術だとかで?」
「ん。」
自慢げにこっくり頷く無表情のシェールに、月子さんがなんとも言えず「そっかー」などと取りあえずの体で返していると、アフレイド達、<鳥籠>内に居た魔族が走ってやって来た。
「シェール! 奴の気配と大きな破裂音がしたので急ぎ来たが、奴は何処だ」
「アフレイドー、あれー」
外見天使ビュセルがそう言って、傍に居たヨーランと、木屑の山の向こうを指差した。
数十メートルほど離れたところに、月子さんにはなにかわからない、黒い巨体が横たわっている。
「ナナウトだな」
「ナナウト、気のやいばで、木、たおしてきた。ルキにぶつかったらいたいいたい、なるところだったから、シェ、こわした。ナナウト、シェの魔力でころがってるだけ。」
「低木越しに魔力を放出して木とナナウトをふっ飛ばしたのか、やるなあシェール。ルキを守るって口約をさっそく実行したじゃんか。
さってとぉ、あのデカブツが半死になってたら楽だけど」
ヨーランはシェールを褒めてから小低木の半円の空間をひょいと抜けると、先程からナナウトと呼ばれている物体の傍へ走って行った。巨体の頭の近くで、軽く腰を屈めて覗き込んでいる。
「あー、やっぱりシェールの衝撃波くらって伸びてるだけだな」
「ヨーラン、拘束しておけ。後で館の地下室に監禁しておけばいいだろう」
「へいへーい、と」
さも残念です、と言わんばかりにがっかり顔のヨーラン。
アフレイドが拘束を指示すると、ヨーランは軽い返事と共に、人差し指を立てた右手を目の高さに掲げ、左手は掌を表に翳して胸の高さに留めた。そして右手の人差し指をくるくると回しだす。
するとそれと同期して、突如ゆらゆらと涌き出たロープ状の青い光が、ナナウトにぐるぐると巻きつき始めた。
くるくる ぐるぐる くるくる ぐるぐる
もし月子さんが真近で見ていたら「いーとーまきまき♪いーとーまきまき♪」と糸巻きの歌をうたってしまうだろうほど軽やかに巻かれた光は、ヨーランが指の回転を止めると鎖に姿を変えた。
ヨーランはその鎖を何条か纏めてがっつり掴むと、ナナウトの巨体を事もなげにずるずると引き摺った。地表の草と土が削られて、大きなワニでも這ったかのような筋が着いて来る。
ヨーランは子供の形に反し、思いの外手が大きいのだろう。いや、魔族仕様というやつなのだろうか―――となんとはなしに考えながら、月子さんはシェールを抱きかかえたまま、ヨーランの一連の行動を見ていた。自分が思いきり魔族の幼生達に凝視されているのはひしひしと感じていたが、こちらから変にアクションを起こすのも拙かろう、と黙っているのである。
シェールも月子さんに抱きつきながら彼等を無視しているが、こちらはなんと言うか、まあ、察していただきたい。
その、いろんな意味で流されている幼生達は、二人をガン見しながらこそこそと話していた。
「シ、シェールが抱えられてる……」
「シェールの方からしがみついてる?」
「人間て実はすごく強いのかしら」
「え……でも……シェールが守るって言ってたって……さっき、ヨーランが……言ってたでしょ」
「あの女シェールが恐くないのかな」
その様子をアフレイドがちらりと横目で見ると、視線に気付いた彼等は口を閉ざした。
アフレイドは月子さんに目線を移して言った。
「ルキ、ここに出てきているのは既に経緯を説明済みの幼生達だ。数名いないが、それらは説明時不在であったから後で対応する。ヨーランが拘束した奴も含めて些か問題がある者達故、却って都合がよかったが」
月子さんはアフレイドの顔を見ながら説明を聞き、幼生達へと目線を移すと、にっこりスマイルで挨拶した。
「えー、初めましてこんにちは、月……あ、ルキです。本名、いや真名は別ですが“ルキ”でお願いします。噛みついたりしないのでお手柔らかに……あ、魔族じゃないので私の体は頑丈ではありません。説明されたかと思いますが、異世界の人間なのでこちらの世界ののことは全く分からないので、いろいろ教えてください。よろしくお願いします」
そう言うと月子さんはぺこりと頭を下げた。シェールを抱きかかえたまま。
幼生達は硬直していた。
硬直しながら、ザワ…ザワ…とざわついていた。
「邪気がない、妖気がない、……魔力がない?」
「ほ、本当だった」
「な、なんだあの顔……」
あ、またヘン顔扱いが……と月子さんが苦笑いを浮かべていると、シェールがぎろり、と彼等に目を向けた。
「ルキ、シェが、まもる。手出し、したらゆるさないのよ。」
「ひいっ」
そう宣言し、じいいぃいー……っと目つめるシェールに、幼生達は完全に固まった。
蛇に睨まれた蛙―――もとい、上下関係がよくわかる絵面である。
月子さんが固まる幼生達を観察していると、アフレイドがシェールに話し掛けた。
「シェール、風上を避けたうえに遮断壁まで施したというのに、何故ナナウトに襲撃されたのだ」
「ナナウト、気、けしてた。ルキは、シェがわかるまえ、ナナウトに気づいたの。」
「………ほう?」
「シェ、マチェイの気、とりかごのうらに、かんじたのよ。だから、シェは、ナナウト、とりかごにいるとおもって、気配さがしてた。とりかごで「どーん」っておと、したとき、マチェイのちかくに、ナナウト、ぱっとかんじたけど、わからなくなったの。」
「奴等牙角族は気配の操作が上手いからな……それで?」
「ナナウトさがしてたら、ルキ、うしろみたの。そのあと、ナナウトが、しゅっとでてきて木、たおしたの。そうしたら、ルキがシェ、ぎゅってしてぽーんってとんで、だからシェは、木とナナウトに、まりょくで、ショーゲキハ、とばしたのよ。」
「そうか。理解した」
(理解したんかーい!)
月子さんは思わず心の中で突っ込んだ。
擬音表現バリバリなシェールのぶつ切れ説明|でわかるというのはどういうことだ。月子さんは擬音の国・大阪出身の友人がいたことと、当事者の一人なので大まかに理解できたが。
まあ、幼い子供のたどたどしい話も、一緒に暮らしていれば理解出来るようにはなるだろうし、ナナウトやマチェイといった名前の魔族についても、月子さんは与り知らぬからわからないだけで、彼等にとってこういう対処は日常茶飯事なのかもしれない。
だが、それにしたってやはり、シェールの説明が理解できているのか疑問に思う。月子さんの大阪人の友でも、きっと「兄さんほんまにわかっとるんかいな」と突っ込むことだろう。
……「そうか。(なんとなく)理解した」 ということかもしれない。
と、そこへ、ヨーランが例の“ナナウト”と呼ばれている魔族の黒い巨体を引き摺ってやって来た。シェールとその巨体の首を覗き込んだ月子さんは唸った。
「…………鬼? んん? いや、鬼っつーか…気は鬼に似てるだけ?」
皮膚や衣服だったらしきものが黒く焦げたり煤けているが、薄汚れただけの肌の部分は暗褐色に見える。もしかしたら本来は赤銅色の肌をしているのかもしれない。
その巨体の額の両端、米神よりやや内側の斜め上から、うねった太い木の枝のような角が二本生えていた。
月子さんの知る限りでは、日本の鬼の角は大きさに関わらず真っ直ぐだ。うねった角となると鬼ではなく、牛の妖怪だとか、海外の妖怪・魔物だとかになる。
「ルキ、これね、ナナウトよ。シュゾクは、ガカクゾク。すごく、じょうぶ。」
シェールが巨体を指差し言う。
“ガカクゾク”……やたらカクカクした響きである。
(漢字にすると……ガカク族かな。ガカクって? この姿に当て嵌めるなら……カク、カク……あ、角とか。“ガ”は……我、臥、芽、牙、餓……イメージ的には“牙角”か“餓角”だけど)
「ガカクっていう“種族”? ガカクの意味は?」
「ガは牙、カクは角って意味がある。牙角族ってのはこいつの種族だけじゃなくて、鋭い歯と角を持ってるのは大体同じ括りだよ。こいつは『牙角族』のキ族の、ナナウト」
気になった月子さんがちょっと考えてから訊ねると、ヨーランがさらりと答えた。
「キ族?」
「キ族」
(キ、の部分がカタカナにしか聞こえない……キ族、って“鬼族”じゃなけりゃ”貴族” か?)
「キ族のキ、は鬼? それとも“キ族”って、階級の“貴族”のこと?」
「オニ?」
「ルキ、種族やこの世界については館に帰ってからすればいい。ナナウトが目を覚ます前に急いで戻らねば面倒だ。ヨーラン、先に戻れ」
「わぁったー」
鬼という単語にヨーランは首を傾げたが、腕を組んで傍に立っていたアフレイドに行動を促されると、ナナウトの巨体を引き摺ってさっさと大股で館へと歩いていった。月子さんはヨーランの後姿を感心して見ていたが、アフレイドが他の幼生達に館に戻ることを促すのを聞いて、彼の方に顔を向けた。
アフレイドはシェールを見下ろし、なにやら話しかけている。
「それにしても、だ、シェール。他ならぬお前が遮断壁を作っていた筈なのに、何故奴に襲われたのだ」
「シェ、ちいぱぱ、むちゅーになったから、ちっちゃいちょっとだけ、力、きれたの。しっぱい。」
「ちいぱぱ?」
ぶふっ
一瞬吹きそうになり、月子さんは慌てて口を押さえた。
シェールは続ける。
「でもね、シェ、しっぱいもうしない。ルキ、守る。……守れなければ、残るは虚無しかない。」
発言の最後にシェールが低い声音で呟いた言葉は、月子さんには聞こえなかったが、アフレイドの耳には届いたようだった。
彼は、切れ長の眼を一瞬細めてシェールを見たが、賢明だ、とだけ言うと、二人にも館への道を進むよう促した。




