4 いまさら名乗ってみた
文字減の回。
2016/12/6修正・手直し
昔語りをしてくれたり、ご飯を御馳走してくれたり、畑仕事を教えてくれたり、お菓子を山程くれたりした爺さま婆さま方。
大好きな彼等が「ネバギバだよぅ月ちゃんっ」「爺がついとるがよおお」「すかさず叩き込めぇい!」とエールを送ってくれているイメージ映像が、彼女の眉間の裏側に垣間見えた。
(―――最近睡眠不足じゃったからこげな幻覚みるんじゃな……)
月子さん冷静である。
「あ、あのー……お嬢ちゃん方。いまさらなんですけど私、自己紹介させてもらってもいいですか?」
ともあれ行動、とばかりに声をかけた彼女を3人が注視する。
「ジコショカイ」
「いやシェールちゃん、それ脳内漢字変換すると……あぁいかん逸れる!
はじめましてこんにちはっ私の名前は小笠原月子と申します、どうぞ宜しく!!」
月子さんは早口で言うと、がばりと頭を下げた。
「オ、オガーサラ・トゥ・イコ?」
月子さんのフルネームを復唱してくれたのはヨーランだったが、シェールの“ジコショカイ”と勝るとも劣らぬ壊しっぷりだった。音的にはこの世界で通用しそうな名前になっているが、これでは苗字が「オガーサラ」になってしまう。
ちょっといただけない月子さんは即座に訂正を入れた。
「オガサワラツキコ。『オガサワラ』が家の名前で、『ツキコ』が私自身の名前です」
急遽、発音練習の時間になり暫し。
「……トゥイ、……、トゥ・キコ」
「惜しい。ツ・キ・コ」
「ルキ、コォ?」
シェールとヨーランは果敢に挑戦していたが、どうも彼等にはツキコの「ツ」を音にして出しずらいらしく「トゥ・キコ」とか「ルキコォ」になった。
シェールは可愛らしい顔をムッと顰めて、ブツブツと口の中で練習して治そうとしているが、ヨーランは既に飽きてべろん、と大きな口から舌をだらりと垂らしている。
月子さんとしても、ここまでがんばってくれたかわいい二人に感謝こそすれ、これ以上発音練習をさせるつもりはない。
「はは、2人とも、がんばってくれてありがとう」
月子さんは笑顔と共に、シェールとヨーランをぎゅう、と抱きしめた。
お子様2人は目を大きく見開き固まる。
「言いにくいみたいだし、私の呼び名は必ずしも月子じゃなくていいよ。呼びやすくて好い名前に変えてもらえたら嬉しいなぁ」
今日日、呼び名があるのはそう違和感があることでもないだろう。
ペンネーム、ハンドルネーム、あだ名に愛称、コードネームみたいなものもある。それらとなんら変わらない。本名をないがしろにされて識別番号で呼ばれるわけじゃなし、自分が「それは自分の呼称である」と認める名で呼ばれるなら、なんの問題もない。
(敢えて問題があるとしたら、呼び名に慣れるまでの時間かね)
心の中で月子さんがそう一人ごちていると、黙っていたアフレイドが口を開いた。
「……真名は隠しておいた方がいいかもしれん」
(真名? あぁ真名、本名ね……あ)
月子さんの記憶の引き出しから“陰陽師”“鬼”という単語が飛び出て来た。
「名は呪、名を取りて型代とす、名を縛し其を封ず、だっけか………あー、アフレイドくん。魔族も真名つかって魔術かけたり悪戯したりするの?」
「……っあ、アフレイドくん、だ…!?」
「え。あ、失礼」
君付けは青少年的に受け入れられないらしい。
思春期かもな。うんやめとこう。
眼が吊り上がり、握りしめられた拳がブルブルと震えている彼を見て月子さんはそう思った。
赤紫蘇の眼が燃えてて恐い。
アフレイドは瞼を閉じて、ゴホ、と苦しそうな咳払いをひとつした。
「……悪戯如きに真名を持ち出す大馬鹿はいないな。
この世界の魔族は通常、己の魔力で真名に防御をかけるから、他者に悪用されることは滅多にない。が、お前は人間で魔力もない。肉体的暴力以外での不測の事態を想定するならば、真名は伏しておいた方が無難だ」
月子さんはこくこくと頷いた。
お前呼びされようと、彼の助言は月子さんにとってありがたい。右も左もわからないこの世界でなら尚更だ。郷に入っては郷に従え。
月子さんは彼等に会った時から思っているのだが、彼―――アフレイドは、怪しい自分を信用していないだろう。当たり前だ、月子さんだって彼等魔族の立場だったらそう簡単に信じない。
始末せずに彼等の住処に連れて行くなら監視付きも当然。
むしろ“連行という名の保護を決めてくれてありがとう!”と謝辞を述べたいくらいだった。
(上野のおじじさまに有事の心得を聞いててよかったなあ。でなきゃ「怪しくないって信じてもらえたから大丈夫じゃ~ん」ってお花畑思考で行動起こしたり、パニックでヒステリー起こしたりして息の根とめられてるわ。
それにしても、こんな信用できない怪しい輩に忠告までしてくれるなんて、ほんとこの子達はやさしいなー
……って、そういやおじじさまの入院いつまでだったっけ)
「じゃあ呼び名決めなきゃなー、シェール」
「“ルキ”」
「はい決まり」
「えっ? 早!! 人の意見はなしかい!」
真面目な話を余所に、ちっさいお子様達2人は早々に月子さんの偽名を決定した。
思わず突っ込んだ月子さんである。
「ルキ、いや?」
「ルキは気に入らないのかあ?」
シェールの金とヨーランの緑が彼女を覗き込む。
月子さんは困り顔になった。
「や、イヤとか気に入らないとかじゃなくて、先に本人に同意を求めてほしかったなーと思うんだけど……ていうか既に「ルキ」扱いなのね私」
「人間てめんどくさいんだなー」
君はその“めんどくさい”気回しをさり気なくこなしておるようだけどな少年、ははは……と、心の中ですかさず彼女はツッコミをいれておく。
まあ、拒否する理由もとくにないので、月子さんは「ルキ」という名を受け入れた。
「―――では帰るぞ」
アフレイドがそう言い立ち上がると、2人もそれに倣った。
アリクイもどきのトリダクティアが、テテテテ…とやって来た時の方向へと走りだす。
月子さんも立ち上がったのだが、当然のように付いていくのはどうも図々しく思えてしまい、後に続くのを思わず躊躇した。
「ルキ」
シェールが彼女を呼ぶ。
月子さんは、数歩先から自分を見上げる、大きな金の瞳を見つめた。
「……シェール」
自分から求めろ、とその瞳で訴えられている気がして、月子さんの顔に苦笑いが浮かぶ。
(……遠慮したって意味がないってことかな)
「私も一緒に連れていってくれる?」
そう言って手を差し出すと、シェールは頸を傾げて暫くその差し出された手を眺めていたが、やがて怖ず怖ずと自分の手を重ねた。月子さんが笑顔でその小さな手をしっかり握りしめると、気のせいかシェールの頬が少し紅潮したように見えた。
2人と1匹に追いつくと、月子さんはシェールと手を繋いだまま滑らかに下る道を歩いた。
目測で2メートル程の幅の土の道は、すこしばかりの草と小石がある程度でなかなか歩きやすい。時々誰か手を入れているのだろうか。
周囲は、この道と、道に連なって生えた草木と、雲が棚引く爽やかに晴れた空以外なにも見当たらない。
ある意味殺風景なその景色を見つつ、子供をのびのびと育てる環境としてはいい所なんじゃないかなあ、と思った月子さんである。
「館に人間がくるのは初めてだなー。みんなにまずなんて言う? 「食うな」? 「触るな」? 「壊すな」?」
アフレイドと前を歩くヨーランが楽しそうにそんなことを言う。
月子さんの顔が盛大に引き攣った。
ち ょ っ と 待 て
「食うな壊すな、は必須だろうな。触るのは構わんだろうが、淫魔で本能の制御が出来ていない者は禁止せねばなるまい」
「さわらせない。シェ、ルキといる。さわるのころす」
さりげなく仲間KILL発言をするちびっこに突っ込む余裕は、ない。
魔族って人間食べるんですかあああ?




