―雨の中で―
「またかよ…。」
駅に着いた途端、降りしきる雨に呆れた表情しか出ない一人の少女。
少女と言っても、顔つきや体型から高校生ほどの年頃で、制服を着ていれば何処の高校生とも変わりない姿だった。
髪は純粋な黒髪で、長さは肩につくかつかないかくらい。
特徴は強いて言うならあまり整っていなく、あほ毛が一本分け目から短く出ている程度。
ブレザーの服装を着崩すこともなく、きっちりとYシャツのボタンを閉め、ネクタイを上まで上げて、スカート丈を膝下にして着ている。
そんな彼女は一体何を"またか"と言ったのか。
それは目の前の状況を指していた。
「また…駅に着いた途端、雨。」
そう、この少女は雨が降っていることを悔やんでいたのだ。
何故、雨を悔やむ必要があるのか。
実は彼女が行事、大会等に行くと必ずと言っていいほど雨が降る。
そして、日常生活でも行き帰りに家や駅を出ようとすると雨が降る。
彼女は所謂、『雨女』なのだ。
本人は嫌だといって認めないが、その結果がこれである。
自覚がない訳ではないが、認めてしまったら全てが終わるといって聞かないのだった。
そんな彼女は今、駅から歩いて帰るべく、折りたたみ傘を広げた。
「勘弁してほしいよね。私、駅まで自転車なのにさぁ。」
小言をぶつぶつと言いながら、傘を片手に彼女はすたすたと早足で歩きはじめた。
彼女の名前は『天見 零』。
地元公立高校の2年生で、剣道部の次期部長と言われる実力者。
両親共に剣道家という家柄に生まれて、強制半分で剣道を始めた結果、才能が手伝って次期部長までに上り詰めてしまったという。
現在3段という、高校生にしては驚異的な早さで昇段している。
その上、去年は1年生でありながら、全国大会ベスト8という結果をたたき出し、
地元では期待の新星なのだ。
そんな彼女が悩んでいる事は2つ。
1つは勉強面においての成績。本人曰く、英語と理科は壊滅的なんだとか。
もう1つはこの雨女という体質。雨が降る度に自分の所為にされるのが嫌なんだとか。
元々、かなり無愛想だった為友人自体が少ないが、雨女という体質が人を更に不気味がらせて、見事に孤立するという始末だった。
本人にはそんなつもりはないが、周りから『雨侍』とも呼ばれている。
彼女にとって、雨女の体質はただの邪魔でしかなかった。
零が溜息を吐いて、傘を片手に少し早足で中道を下校していると、雨が徐々に悪化してきた。
「やばっ…これは大荒れか?」
足を更に早まらせようとしたが、ふと何かが気になってくるっと後ろを向いた。
振り向いてみたが、何もなく、誰も居ない。
(…気配がする。)
人が居たような違和感に捕われて、思わず首を傾げたが、何事もなかったかのように歩きだそうとした時だった。
(…おい)
「っ…?」
誰かに呼びかけられたような声が聞こえて、再び辺りを見回す。
しかし、人らしき影はなく、今度は気配もなかった。
何もない、気のせいだと思って歩きだしたが、次はかなりハッキリとした声が、零の頭に響いたのだ。
(…おい、お前!)
「んっ……??!」
ハッキリとした声音は、頭に響いたはずなのに、後ろへ振り向いた。
だが、後ろには誰も居なく、前に向き直ろうとした。
その時だった。
正面に向いて、前を見た時、そこには今までなかったはずの人影があった。
否、影ではなく半透明に近い、人の姿があった。
まるで、例えるなら幽霊のような状態の人だった。
零は腕で目を擦って、錯覚でないことを確かめる。
そして、しっかり目を開けて見るとやはりその人影は自分の正面に半透明であった。
零が唖然として、暫くすると漸くその半透明の人物が口を開いた。
「漸く気づいた…というわけか。随分、時間がかかったな。」
声のトーンから相手は男なのが分かる。更に半透明でよく分からなかった容姿が今はさっきよりもハッキリしている。
髪は長く腰よりちょっと下まで続いていて、色は水色より透き通った色をしている。目は黒より薄い灰色に近い色で、目つきは少し鋭い。そして服装は和服。着物の上から羽織りを着ていて、履物は下駄だった。
その男は零に無表情のまま一歩近づいた。
「な、く、来んなっ!!」
恐怖にも似た感覚に捕われた零はその男に向けてたたんだ傘を振り下ろした。が、勿論それは男の体をすり抜けた。
男は一度止まり、零を見つめた。零は表情を引き攣らせて一歩退く。
「ひっ…。」
「おい、なんか勘違いしてないか。私はお前に危害を加えるつもりはない。」
男が落ち着いたトーンでそう言うが、相変わらず怯えたまま零は男を見つめている。
「う…嘘つけ!お、お前、そう言って私の体を乗っ取るつもりだろう!」
零がビシッと男を指差す。しかし、男はやんわりと否定した。
「だから、そんなんじゃない。それにお前はとっくに乗っ取られてるではないか。」
「はぁ?!」
言葉の意味が分からず、驚いたような表情で男を見つめた。男はめんどくさそうに話し始めた。
「だから…お前はとっくに私の住み処になっているのがわからんのか?お前が私の住み処になってるから、雨が降るんだぞ?」
「わ…訳分かんない。」
零は首をふるふると横に振り、戸惑った表情で俯いた。
男は深い溜息をすると蓮の折りたたまれた傘を指差した。
「とりあえず、お前…濡れているぞ。」
「え?あっ!」
男が指摘した時には既に肩までびしょびしょになっていた。
蓮は慌てて傘を差して、男をかなり不機嫌そうに見た。
「何で早く言わないんだ!」
「気づかないお前が悪い。」
呆れたような表情をして首を軽く横に振り俯くと直ぐに顔を上げて無表情に戻した。
「では、自己紹介といこう。俺は雨を司る神。『雨神』という者だ。」
「あ…雨神?お前が?」
戸惑い驚いた表情で雨神を見つめては、人差し指で軽く指差し。
「信じられないようだな…。しかし、これは事実だ。お前、行事や私情で雨が酷く綺麗なタイミングで降らないと思わないか?」
蓮は恐る恐る頷くが、雨神を疑うように見ている。
「あぁ…だが、ただの偶然…だろ?」
「なら、行事等で晴天だったことなどあるか?」
「え…。」
晴れたといえるものも結局は雲だっただけで、過去に行事ごとでは晴天は一回としてない。蓮は軽く首を横に振った。
「……無い。」
「だろう?」
「だが、それだけでは信じられない!」
蓮はそんな適当な事で信じることは出来ず、何より受け止めたくなかったのだ。雨神を見てそう言い切ると雨神は溜息をついた。
「はぁ…仕方ない奴だ。見ていろ。」
雨神は空に向けて手を挙げて、パチンと指を鳴らした。
すると雨がピタッと止んだのだ。
蓮はそれを見て、大きく目を見開いた。そして、雨神がもう一度指を鳴らすと再び雨が降り始めた。
「これが何よりの証拠だが…?」
ニヤリと妖しく笑う笑みに蓮は思わず背筋が凍った。だが、それを振り切るように首を横に振り、雨神を見つめた。
「なら…私の体はもうお前に乗っ取られている。あれはどういうことだ?」
「…まず、お前は神道というのを知っているか?」
「しん…とう…?何それ。」
その反応に雨神は盛大に溜息をついた。
「神道というのは、日本の民族宗教。人間の力や理解を超えた自然現象を"神"として、畏れ敬う"自然崇拝"から始まる。」
その言葉に渋い表情で悩む零を見て、雨神は呆れたように首を横に振った。
「俺は雨の神。つまり、その自然崇拝の一つというわけだ。
神道はありとあらゆる万物を神として認める。"八百万の神々"という呼ばれ方もあるくらいにな。霊魂の考えなんかも神道だ。」
零はそれにへぇと相槌を打ちながらコクコクと頷いた。
だが、あることに気がついて頷きが止まった。
「おい、話が見えないぞ。それと私が乗っ取られているのは繋がらない気がする。」
零は眉を潜めて、腕を組んで睨むように雨神を見る。
「神道の神は現世に舞い降りる際に自分が住み着く器が必要になる。それが"寄り代"。」
「寄り…代…。」
悩む零を見て、浅く溜息をすると説明し始める。
「…寄り代。神の宿る物、人その器を寄り代と呼ぶ。要は霊媒体質というようなものだ。そして、お前はこの俺の寄り代なのだ。」
雨神は口角を上げて、妖しげな笑みを浮かべる。零はそれに目を見開いて驚いた。
「それって………つまり…」
「乗っ取ると言った意味はそのままだ。既にお前は俺の器、俺が住み着いてるというわけだ。」
零はその事実を聞いて、目を見開いた。
「う、嘘だろ?!だって…乗っ取られるなら、こう……重いとか、自由に動けないとか……」
わなわなとする零に雨神はわざとらしい溜息を吐いた。
「どこの知識か知らんが、そんな訳ないだろう。誰でも、生れつき自分を守る守護霊がいるも同じ。違和感などなく、そこにはなにもない。お前はそれが見えるようになったまでだ。」
淡々とした口調で零に言うと、零は思わずうなだれて視線だけ雨神に向ける。
「………で、その私に住み着いた神様が私に何の用?」
「お前に頼みがあって、現世に降りて来たのだ。」
「頼みぃ?」
雨神の言葉に大袈裟に嫌そうな表情を見せると首を傾げてみせた。
「何があるのか知らないけど、私は協力なんてしないぞ。」
「協力しないのなら、祟り殺すぞ。」
雨神は嫌そうにしていた零を見て、ドスの効いた低い声で即座に言い放つと零はそのまま黙り俯いてしまった。
「…話だけ聞こうじゃないか。」
零は少し冷や汗をかきながら、引き攣った笑みを向けて言う。
雨神はそれにククッと喉から笑うと、零に急接近した。
「…?!」
「上からなのはどうかと思うが…良いだろう。話そうじゃないか。」
雨神は零の顔すれすれになるまで近寄り、瞳をじっと見つめる。
「…お前には神を高天原に還す役割を果たしてもらう。」
「何それっ?!」
零は言葉の意味がよくわからずに目を見開く。雨神はそれを確認してから微笑を浮かべて話し始める。
「俺は神から陥落させられた。それゆえ、今はお前(寄り代)を無くして神を保つことはできない。もう一度、完璧な神に戻る為にはこちらの善い所業が必要なわけだ。」
「ちょっ…ちょっと待て!」
淡々と話す雨神に割り込み、少し疑問をもった表情で相手を見る。
「なら…お前は神じゃないのか?」
「いや、俺は神だが主が俺を認めなかった為、高天原を追放されたのだ。」
それを聞かれた雨神は先程より苦い表情になって話した。
「主は…アマテラスは俺を嫌悪し、神から陥落させることで突き放した。
そんなことをすれば……人々を不幸に陥れるとも理解せずにな。」
「…高天原もアマテラスもわからないけど…嫌なことがあったっていうのは理解したよ。」
雨神を見ながら、零は少し気まずそうな表情を浮かべた。
雨神は零に真剣な眼差しを向けた。
「…で、どうするんだ。協力するのか、しないのか。お前の自由にしろ。」
「…そんな顔されたら断りにくいじゃないか。」
困ったような表情をして、頭を抱えてはぁっと溜息。
「………いいよ。できるところまで協力する。ようは雨神様が高天原に帰れるように協力すればいいんだよね?」
「………!!いい…のか?」
かなり驚いた表情を浮かべる雨神に零は思わずふっと噴いてしまった。
「自分で頼んだくせに……何驚いてんの?嫌だって言ってほしかった?」
雨神は強く否定するように首を横に振る。
「いや…ただ、本当に俺を信じて引き受けてくれるとは思わなくってな…。」
「だって、困ってるんだろ?放って置けるか!」
零は元々、困ってる人を放って置けないお人よしなところがある。今回の雨神も話を聞いてる段階で放って置くつもりはなかったのだ。
少し微笑を浮かべて雨神を見る零に思わず笑みがこぼれた。
「お前は…相変わらずだな。」
「……??」
雨神が呟いた言葉に零は首を傾げるが、雨神はそれを見て首を横に振った。
「何でもない。……感謝する。」
「あー…いいから。もう帰ろうよ。親に遅いって怒られるじゃないか!」
礼を言う雨神を他所に、零はすでに家に帰る為に歩き出していた。
雨神は呆れた溜息を吐いた後、苦笑して零を追いかける。
「お前、場を考えないな。」
「だって、遅くなるのは嫌なんだよ。怒られるし。それにこんな話、立ち話で済むことじゃないだろ?」
雨神を見ながら首を傾げる零に軽く頷いた。
「確かにな……。」
「だろ?……あ、そういえば、いつもはどうやってついてきてたの?」
「いつも……?」
雨神は軽く首を傾げる。零は興味ありげに彼に聞く。
「私が今みたいに見える前は、どうやってついてきたの?今みたいに飛んで?」
「………いや?」
雨神は暫く考えた後、首を横に振り否定すると零に近寄り妖しい笑みを浮かべたかと思うと、いきなり零の首に腕を回して後ろから抱き着いた。
「………?!!」
透けている為、抱きしめられる感覚はないが、腕は見えるし何より綺麗な顔立ちが微笑して、自分の肩に頭を乗せているという構図なのだから、零の顔は一瞬で真っ赤になった。
「ちょっ……何やってんだ!!離せっ!!」
手足を暴れさせるが向こうは透明なわけだから、当然の如くすり抜けた。
「でかい声出すな。近所迷惑だ。」
ニヤニヤと笑みを向けて零を見る雨神に零は苛立ちの表情を向けた。
「誰のせいだ!!離れろっ!」
「はいはい……。」
その様子に渋々と離れると苦笑し、零は頭を抱えて溜息を吐いた。
「何だよ……いきなり。」
「お前が聞いたからしたまでだ。」
「しなくていいだろ?口頭で通じるじゃないか。」
軽く睨むように見る零に対して雨神は微笑した。
「………駄目か?」
「~~~~っ!!」
雨神の綺麗すぎる微笑に思わず顔を背けた。
何だ?何でこんな意識するんだ…?!
内心そう思う彼女を他所に雨神はそっと近寄った。
「どうした?」
「~っ、何でもないっ!!」
零はふいっとそっぽ向いて、速足で帰路へと向かっていった。雨神はそれにすーっと飛んでついていった。