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 瓦礫を踏みしめる妙齢の女性がいた。

 女は甲冑を着こみ、帯剣している。

 人形のように表情の変化の少ない彼女からは、何を考えているのかうかがい知ることが出来ない。

 数日前まで、そこは河をせき止めていた堰があった。

 立派な堰であったが、一日中に崩れ去った。

 人の作りしものの儚さを感じているのだろうか。

 それとも元の流れを取り戻した河のせせらぎを聞き、心癒されているのだろうか。

 彼女は身をかがめ、さして脆くも無い石を手に取る。

 彼女は手に力を入れ、石を砕いた。

「団長ー」

 幼い声が聞こえ、彼女は声の方へと振り返った。

 近寄ってくる男は声の印象にそぐわず、髭まみれの筋肉質の男だった。

 背は高く、甲冑は女の物よりも少し重装である。

「団長は止めろと言っているだろ。ミゲル。今の騎士団長はお前だろう」

 慌ててやって来たのだろう。

 ミゲルは息を整えながら、人懐っこい笑顔を見せた。

「でも、俺にとっちゃいつまで経っても、団長は団長ッス」

「もはや私はお前の上官でもなければ、部下でもない。肩を並べる他の者にも示しがつかん。普通にクラティスとでも名を呼べ」

「そんな。俺には無理ッス」

「呼べ」

 ミゲルはクラティスの命令には逆らえない。

 背筋を正し、まじまじと見つめてくるクラティスの視線を意識し、過呼吸気味である。

「クラ、クラ、クラ・・・」

 繰り返されるだけの進まないたった数文字の名前。

 まるで壊れたおもちゃである。

 クラティスは呆れるでもなく、ただじっとミゲルを見ていた。

「もう、いい。それよりここが破壊された経緯を聞こうか」

 ようやく解放され、ミゲルは一息ついた。

「当日、堰が破壊された折に河に飛び込み、奇跡的に一命を取り留めた者がおりました故、その者から話を聞きました。ですが、その者は恐慌状態でして、白い獣が、白い獣が、とうわごとを吐いたかと思うと、いきなり叫び出す始末。そこで我々は・・・」

「白い獣・・・」

 考え込むクラティスにミゲルは一度話を止める。

「団長は何か心当たりがあるので?」

「いや。すまない。話を続けてくれ」

「はい。丁度当日警備の非番の者がおりました故、その者からも話を聞きました。どうやら堰が破壊される数日前から怪しいものが、堰を解放するようにとの再三催促していたようです。恐らくその者が何らかの術を使って、獣達を扇動し、堰を破壊したものかと。以前より下流の街より堰の解放を願う嘆願が上がっておりましたので、現在そこから捜索しております」

 少し間をおいて、「それは王へ報告したものと同じ内容なのだな」とクラティスが言うと、ミゲルは肯定した。

 白き獣、その一言に王は反応したのだとクラティスは確信した。

「実際、この堰はこの河の治水に役立っていなかったみたいですし、堰が壊れて喜んでいる者も多そうです。王は一体この堰を作って何がしたかったんでしょうかねぇ?」

「そんな事を考える必要はない。我々はただ王の剣たればよい」

「はあ。そんなもんッスか」

 クラティスはもはやこの場にいても得られるものはないと判断し、歩き始めた。

「ま、待ってくださいよ。団長ー。何処行くんですか?あっ!そうだ。団長、この前俺の知り合いがいいシカ肉が手に入ったって言ってたんです。この後久しぶりにどうです?一杯」

「何を悠長な事を言っている。間もなく王が自ら軍を率いてやってくる。この付近の獣を一掃するそうだ」

「ゲッ。マジッスか?一体何処でそんなことに」

「お前は本当に騎士団長の任を全う出来ているのか?何故私に分かる事をお前が知らない。騎士団長と私がここで二人きりとは、普通に考えておかしな状況だとは思わないのか?王は何かを成そうとしている、そう思わないのか?」

「あっ、いえ。その、俺は誰かが気を利かせてくれたのかなぁとか思ってましたから」

「気を利かす?むしろ嫌がらせだと思うだろ」

 ミゲルは空笑いする。

「嫌がらせッスか。俺は久しぶりに団長と会えて嬉しかったんッスけど。団長、この十四年、何処で何してたんですか?全く音沙汰無しで、俺心配してたんッスよ。まあ、心配してたんは俺だけじゃないですけど」

「聞くな。追求すれば、お前でも斬ることになる」

「・・・分かりました。もうその事については聞きません。だったら、この質問は答えていただけますか?団長は俺と、今日、この場所で会えた事。嬉しかったですか?」

 ミゲルの真剣な眼差しをクラティスは無表情で受け止める。

「私にはそんな感情持ち合わせてはいない。私に感情など無い。だからこそ平然と人を斬れるのだ。例え無力な女子供であってもな」

「やはり団長は十五年前の事をまだ気にさているのですね」

 十五年前。

 王は臣下が制止するのも聞かず、軍を率いて蛇共の巣食う洞窟へと向かった。

 そもそも王が自ら行く必要など無い。

 それほど多くの兵を裂く必要など無かった。

 だが、王は決行する。

 その時も愚王、気が触れたなどと言われていたが、王の中には確かな策があった。

 蛇達の巣窟へは手勢のみで向かい、兵の多くを伏した。

 そして、伏した兵を使い、王の留守を狙い蜂起した奸臣共を一掃する。

 一族郎党誅滅せよとの王の命令通り、クラティスはその全てを屠った。

 ただ血を連ねると言うだけで、罪も無き者を多く、多く・・・

「けど、あれは王が命令されたことに従っただけで、団長は何も悪くないです」

 人を殺しておいて、良いも悪いも無い。

「勘違いするな。私にそんな繊細な感情など持ち合わせてはいない。私には感情などないのだ。戦いの中でそう感情に流されていては命を落とすぞ。ミゲル。お前も人を斬らねばならん時は心を捨てろ。でければ、お前、死ぬぞ」

「いいえ、俺は感情を捨てません」

「そんな事で人を殺せるのか?」

「俺は正気でも人を殺せます。誰かを守るためなら。団長だってそうでしょ。王や、守りたい人達がいたから心を鬼に出来た。あの時、団長は確かに辛そうでした」

 守る。

 言われてクラティスの脳裏をかすめたのは、退屈そうに窓の外を眺める少女の姿だった。

 フォーミュリア様。

「私は誰かを守ることなどできぬ。私は人を殺すことしか能のないただの剣だ」

 ミゲルは驚く。

 変わらず無表情のクラティスの頬に一滴涙が流れ落ちた。


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