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次の日。
クラティスはまた人形の様に戻ってしまっていた。
そして、その日から窓には板が打ち付けられ、フォーミュリアの唯一の楽しみであった外を眺める事も禁止されてしまったのである。
フォーミュリアの中の自由への渇望は大きくなっていくばかりである。
退屈の鎖に囚われた王女はただ時間をむさぼるだけ。
その味は涙の味がした。
そして、季節は夏になった。
「外に出たいなぁ」
クラティスがちょうど外出している事を知っているフォーミュリアは遠慮なく愚痴を吐く。
だが、不満を漏らしたところでそれに耳を傾ける者などいない。
「気持ちは分かりますよ。ただ少しと贅沢な願いじゃありませんか?」はずであった。
声をした方をフォーミュリアが見るとそこには、薄汚れた一匹のネズミがいた。
小脇にチーズを抱えている。
おそらくはいつぞやの食事のときに落として失せたものであろう。
「そんな事を言われても・・・」
フォーミュリアは春のハトとの会話を思い出す。
あの時恐怖に足がすくんだが、今ならどうだろうか。
「でも、貴方ならできるんでしょ?私を外へ連れ出すことが」
「ん?まあ、出来ないかと問われれば出来なくともないですが・・・」
ネズミは首をひねり、フォーミュリアを見定める。
「しかし、それには条件が・・・」
「分かっているわ。命を賭けろって言うんでしょ?」
「命?なんですそれは?条件はこうです。もしここから出られたなら我等の王、『獣の王』と結婚していただきます。この条件を飲めるなら貴方を少しの間ネズミの姿に変えることができます。その間にここから逃げ出せば・・・」
「ちょっと待って!その『獣の王』ってどんな人、いや、人でもないのよね?」
結婚、それはフォーミュリアにとって命を賭けろと言われると同等にためらうものであった。
「どんな方と問われてもこちらも良くは分からないのです。ここ百年空位のままで、いつになったら現れるのか。ただフクロウの長老様がもうすぐ現れると騒ぎ立てるもので、こちらも仕方なくその妃を探す羽目に。こちらも気が進まないのですが、小間使いの悲しい定めでいうものです」
「それってここから出ても結婚しなくても済むってこと?」
「申し訳ないですが、その可能性は高いかと。もちろん外に出てすぐにのたれ死なれてもこちらも困りますから、ある程度の援助はさせてもらうつもりです。その点はご安心ください」
フォーミュリアは外に出る事が出来、ネズミは煩わしい案件から解放される。
獣の王さえ見つからなければ、フォーミュリアは自由を手に入れられる。
フォーミュリアは悩みに悩み抜いて、決断した。
「お願いするわ」
「了解しました」
契約は成立した。
おもむろにネズミはチーズの穴に手を突っ込むと、穴の中から皮の袋を取り出す。
袋の中には何やら粉が入っていたらしく、それを辺りに振りまくとフォーミュリアは気が遠くなってくのであった。
「では、外で待っておりますので」
薄れる意識の中、ネズミの声が響いた。
フォーミュリアが目を覚ますと、その姿はネズミになっていた。
物陰に隠れ、様子を覗き見るが、そこにクラティスの姿は無い。
まだ帰ってきていないのだろうかとフォーミュリアが思っていると、塔を上がる足音が聞こえた。
二つ。
扉を開けたのは男、その後ろにはクラティスが控えていた。
当然ながらフォーミュリアにその男の顔に見覚えは無かった。
男は部屋を見回すと、額を手で覆い、頭を振った。
「本当にいないようだな。クラティス、お前が付いていながら何故こんなことに・・・」
「申し訳ございません」
クラティスはいつもの様な人形の表情。
恐らくはフォーミュリアがいなくなったことを責められているのだろう。
男が腰に携えていた剣を抜くと、クラティスは静かに目を閉じた。
男は剣を振りかぶると、クラティスの首ではなく、部屋にあった机の角を切り落とした。
クラティスは目を開くと、いつもの感情ない瞳で男を見つめる。
「こんなことになるのなら、もっと会ってやればよかった。いや、ここに閉じ込めることすら無意味だ。側において、十四のこの時まで幸福であった方がどれほど良かったか。王は狂ったのだと誹られようとも、耐えてこれたのはフォーミュリアの幸せを願ってこそ。『我が娘を何故抱いてはいけないのか?』そんな問いかけに幾度『我も』という言葉を飲んだ?生まれたばかりのフォーミュリアを抱いた時の温もりを今でも覚えている。あの時誓ったのだ。何があってもこの子を守ると。例え、この子に恨まれようとも。それが・・・なんという様だ」
男は天を仰ぎ、失意に堕ちる。
ああ、これが私の父親なのか、とフォーミュリアは不思議そうに男を見ていた。
今まで生きていてフォーミュリアは自分が両親に愛されているなどとは思った事も無かった。
蛇の予言、それ故に誰からも愛されず、誰も愛さず、愛を知らぬままに育ってきた。
だが、愛されていた。
自分の事を想い、涙を流す温かさは本物であった。
(こんな姿でも気づいてくれるだろうか?)
フォーミュリアは自身の姿を見て、一瞬戸惑うが、感情を抑えきれずに飛び出す。
ネズミが鳴いた。
(分かってくれるだろうか?・・・あっ・・・)
鳴き声に気付き、男は剣を握る。
その瞳に宿るは慈愛ではない。
怒りだ。
フォーミュリアの体は殺意に囚われ、動けない。
刃が放たれた。
「獣どもが!根絶やしにしてくれる。森を焼き、山を崩し、河を埋めて・・・」
王女フォーミュリア、齢十四にしてその命を散らす。
ネズミの姿にて、父の剣に貫かれて。




