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テトが彼女の元に辿り着いたのは、至極当然のことであったのだろう。
フォーミュリアの遺体を前に、テトの涙は枯れていた。
暗い淀んだ目で、テトはフォーミュリアを見つめていた。
乾いた血が張り付いた手で、フォーミュリアの手を腹の上に乗せ、自身の手をその上に乗せた。
そして、テトは祈った。
もはやテトには祈ることしかできなかった。
テトに味方してくれる古の獣の神々はテト自身の手によって下し、その恩恵はもう期待できないだろう。
テトの爪は命を奪う事が出来ても、命を与えることなど出来ない。
だから、祈るしかないのだ。
もう何も出来ないのだから。
だが、フォーミュリアの体が光に包まれていた。
驚くテトの前で、フォーミュリアは静かに目を開き、側に落ちていた剣を手にした。
悠然とフォーミュリアは立ち上がり、テトに剣を振り下ろした。
テトはうめく。
今まで何人も傷つけられなかったテトの体から、血が吹き出ていた。
「久しいな。獣の王よ」
それは奇跡ではない。
ネズミの姿のフォーミュリアに古のネズミの神が宿ったと言うのなら、人の身であるフォーミュリアに宿るのは間違いなく彼なのだ。
ましてフォーミュリアの王族に血を連ねる者である。
「相も変わらずの醜き姿。反吐が出る」
フォーミュリアに宿りしは、古の昔、獣の神々と戦った祖たる人の神。
声や容姿はそのままフォーミュリアのものでも、中身が違う事はテトにも分かった。
その正体を掴みきれぬまま、テトにもう一撃が放たれようとしていた。
しかし、「なるほどな」と言うフォーミュリアの声と共に剣が止まった。
「貴様によって現世にあるために、貴様が傷つけば我が支配も弱まると言う訳か。これでは・・・」とフォーミュリアの体は態勢を立て直し、再度剣を構える。
「いたぶり足りんが、仕方ない。次の一撃で仕舞いにしよう」
テトの傷口からはコポコポと泡が立ち、傷が塞がろうとしていた。
ようやくテトはフォーミュリアの中の正体に気付く。
そして、テトは躊躇なく傷口に指を突っ込み、己の身を切り裂いた。
「それは本当か?僕が傷つけば、フォーミュリアはフォーミュリアでいられるのか?」
そう言っている間にもテトの体は再生しようと泡立つ。
テトは忌々しく自身の体を容赦なく傷つけた。
うめき、吠え、それでもテトはフォーミュリアの姿をした人の神に問う。
「僕が死ねば僕の力は失われる。僕が無傷ならフォーミュリアの体はお前に支配される。それでいいんだな!」
フォーミュリアの頭がやれやれと揺れた。
「どうすればそのような思考に至るのか?貴様の頭の中はウジでも沸いているのか?さも自分が善行を施しているような、その欺瞞。ほら!言ってみろ!貴様は本当はどうしたい!」
フォーミュリアの剣にはもうテトの体を傷つけるだけの力はなかった。
だが、テト自身が開く傷ならば、話は別である。
傷に沿って剣を宛がい、体重をかけると、ずぶずぶと剣はテトの体に沈みこんでいった。
「自分を卑しむその目を全てえぐりたかったのだろう。自分を嘲笑うその舌の根を全て引き抜きたかったのだろう。無責任に自分にすがるその手を踏みつぶしたかったのだろう。全てを破壊したくてたまらなかったのだろう。さあ、言葉にしてみるがいい」
初め内は耐えていたテトだが、たまらず剣を引き抜き、フォーミュリアを組み伏した。
そして、組み伏したまま動かないテトに「どうした?殺さないのか?」と言葉が投げかけられた。
テトはその質問に答えない。
「お願いだ。教えてくれ。フォーミュリアがフォーミュリアであるためにはどうすればいいんだ?僕はどうすればいい?」
「ほう。そんなにこの女が大切か?では、」
そう言って、フォーミュリアの半笑いの口からピンク色の舌が躍り出た。
最悪の未来がテトの頭をよぎり、怯えた子犬の様な表情になるテト。
そんなテトに嘲笑が浴びせられる。
「何だ、その顔は?腹がよじれるぞ。そうかそうか。そう言うのも良いな。では、こうしよう。我から貴様に一つ言葉を贈るとしよう。貴様とこの女は愛し合うことになる。やがてこの女は男子を産むであろう。貴様はその子の手によって殺されるであろう」
目を丸くするテトに「どうだ?こういう結末も悪くはあるまい」とフォーミュリアの中の人の神は哄笑する。
そして、言うだけの事を全て言い終わると、フォーミュリアは気を失った。
テトはフォーミュリアから離れると、熱に侵されたようにぼうっとフォーミュリアを見ていた。
それからしばらく後、フォーミュリアはゆっくりと目を覚ました。
そして、またフォーミュリアは剣を手にする。
今度は刃を自らののど元に向けて。
だが、すぐにその剣はテトによって砕かれる。
「どうして?貴方も聞いていたでしょ。私がいなければ貴方が死ぬことはないわ」
「彼の言葉が必ずしも現実になるとは限らないだろ?」
「でも・・・」
流れ落ちる涙をフォーミュリアは拭うが、とめどなく溢れてくる。
「なぜ貴方はそう平然としていられるの?あんな呪いの言葉を受けて。貴方は死んでしまうかもしれないのよ。なのに、どうして?」
「いや、あれは呪いの言葉ではないよ」
そう、呪いの言葉ではないんだよ、とテトは繰り返す。




