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風を切り、迫る矢の雨にフォーミュリアは息をのんだ。
目をつむり、私はまだ何もなしていないと無念の思いが去来していた。
(ごめんなさい。テト)
「何をしているんだ!君は!」
塞いだ目を開くと、目の前には盾になったテトの姿があった。
フォーミュリアの肩に置かれたテトの手は血塗られていた。
自分の身代りになってテトが傷ついたのではないかと、フォーミュリアは心配するが、そうではなかった。
放たれた矢が、テトの黒い強靭な皮膚を傷つけることは無かった。
テトの手についた血はここに来るまでに傷つけた人のものである。
その事を叱責されているようで、テトはフォーミュリアに背を向ける。
「早くこの場から離れるんだ」
フォーミュリアは頭を振る。
「皆に伝えないといけない事があるの。それは、テト、あなたにも知って欲しい事なのよ」
親子である人の王もテトもフォーミュリアの正体を知らない。
もし真実を知れば、テトに騙したのかと誹られるだろうか。
人の王は自分が娘だと言って信じてくれるだろうか。
フォーミュリアの心中は不安と恐怖でない交ぜになっていた。
それでも自分の父親とテトが争い合うのを止めたいという願いが、彼女を動かしていた。
誰も知らないこの真実を皆に。
だが、この戦場で唯一フォーミュリアの正体を知る者がいた。
その者は決してフォーミュリアを見間違えたりはしない。
何故なら彼女が生まれてからずっと側にいたのだから。
「フォーミュリア様ぁぁぁ!!!」
高い跳躍から振り下ろされたクラティスの剣はテトの腕に受け止められる。
そして、テトは力任せにクラティスを吹き飛ばした。
空中でクラティスは態勢を整え、すぐさま反撃の態勢を取る。
「なら、後でちゃんと聞くから。お願いだから、今は逃げてくれ」
「でも!」
「そのためなら僕は・・・」
テトとて恐怖が無い訳ではない。
けれど、男には逃げることのできない場面がある。
今まさにその時。
迫るクラティスにテトは自らの意思で戦おうとしていた。
「フォーミュリア様を返してもらう!」
「大丈夫。フォーミュリア。今度こそ、君を守って見せるから」
クラティスの剣はその体を切り裂き、テトの爪はその体を貫いた。
フォーミュリアの体を。
カタリとクラティスは剣を落とし、膝をついた。
「っぅわあああああああぁぁぁぁーーーーー!!!!!!!」
何故、そんな思いを抱えクラティスは放心し、テトは咆哮した。
絶望の鎖はテトの正体を束縛し、悲しみは狂気へと変わり、その目には正気は無かった。
テトの魔手は躊躇いなくクラティスの体を貫く。
放心したクラティスにテトの爪を避ける意思は無かった。
クラティスにとって今は肉体的な苦痛などフォーミュリアを自ら殺めた痛みに比べれば、些末なものでしかない。
ただ願わくば、死した後、フォーミュリア様の側にいる事を許して欲しいと願うだけである。
「団長!」
崩れ落ちるクラティスにミゲルを始め、多くのクラティスを慕う兵士が近寄ろうとするが、その全てをテトは一蹴した。
そして、テトは再度咆哮する。
すると、その戦場にいた獣と言う獣が全て白く変じていく。
羽ばたきが聞こえ、テトの肩にフクロウが降り立った。
「素晴らしい。素晴らしいですぞ。ご覧下さい、王よ。これはまるで古の人と獣の戦いを再現しているようではありませんか。古の獣の神々も勢揃い。もはや人の勝利など芥子粒ほどもありますまい。一時はどうなる事かと思いましたが、やはり貴方様は獣の王。さあ、今一度号令を。人をめ、ぐげっ」
フクロウの口上は途中で遮られる。
テトはフクロウの頭を掴み、地に叩きつけたからである。
地面に張り付くフクロウをテトは踏みつけ、その反動で起き上がった両翼を引き千切った。
もはや狂気のテトに敵味方など無い。
ヒステリーを起こした子供のように並べられた人形を怒りに任せ、ぐちゃぐちゃにするだけである。
逃げるべきであると、人も獣もそう思うが、凄まじいまでのテトの殺気で身動きとれないでいた。
人も獣もこの状況において、唯一平然と行動する彼に事態の打開を期待するより他になかった。
「クラティス。彼女が我が娘だと言うのは間違いないのか?」
既に虫の息のクラティスは人の王の問いに、肯定のために微かに顔を動かした。
「そうか」と漏らし、人の王はフォーミュリアの遺体に近づこうとする。
当然テトの攻撃がそれを阻んだ。
人の王は抜いた剣でテトの魔手をいなし、テトの腹を蹴り、距離を取る。
「お前があの日、あの塔から我が娘をさらったのか?」
テトは答えない。
低く唸り声を上げるテトに既に人間性は失われている。
「答えろ!」
人の王は足元に落ちていた槍を蹴り上げると、それをテトの目に向かって投げつけた。
刃の通さぬ強靭な体であっても、目や急所など柔らかい場所もあるだろう。
しかし、狙うべき場所が分かっているのなら、それを避けるのも易い。
槍を弾き、テトは一気に人の王との距離を詰める。
待ちかまえるように人の王も大上段に剣を構え、迫るテトに渾身の一撃を放つ。
剣は悲鳴を上げ、クルクルと折れた刀身が宙を舞う。
ザクリと刀身が地をえぐると共に、テトの手は人の王の体を掴んだ。
そして、放り投げると空気の抜けたボールのように人の王は地を跳ねた。
(あともう少し我が肉体が若ければ)
そんな事を思った所で詮無いことである。
時間は戻らない。
犯した罪は消えない。
失われた命は戻っては来ない。
血を吐き、それでも立ち上がろうとする人の王の前にテトの姿があった。
テトは人の王の体を掴み、高く持ち上げる。
奇跡は起きぬのか、と皆が見守っていた。
いや、既に奇跡は起きているのだ。
この状況で、テトの怒りの前で、その身の自由を得ること自体奇跡なのだから。
しかし、奇跡もここまでである。
テトの爪は人の王の体を貫いた。
こうして蜘蛛の糸は容易く断たれた。
殺戮の、始まりだ。




