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這いずる白蛇はかく語りき。
「年明けて間もなくの頃、汝は子を授かることになるだろう。子は健やかに育ち、やがて美しい少女となるだろう。だが、それも齢十四まで。少女は十四に最愛の者の手によってその命を散らすであろう」
それを聞いた王は激昂し、剣を白蛇に向けて放つ。
切っ先は白蛇の頭を捕らえ、白蛇はのたうちまわって絶命した。
「王よ。愚昧なる王よ。我が領域を犯した罪、必ず償ってもらう」
白蛇を殺したところで、声は止まなかった。
王が見上げると、そこには大の男五人ほど縦に並べた大きさの大蛇がいた。
王はその場に突き刺さってあった槍を手にすると、容赦なく大蛇に投げつける。
だが、槍はすり抜け、大蛇は夢幻の如く消え去った。
王は数多の蛇の死骸と多くの仲間達の躯の上で、一人吠えた。
翌年。
雪がしんしんと降る中、赤子の産声が王城に響いた。
「おめでとうございます。元気な女の子です」
祝報に王の顔は強張る。
王は足早に大任を終えた妃の元へ参じると、赤子を抱き言い放った。
「この瞬間よりこの子は死んだものと思え」
どよめき。
何故かと問う声に王は答えず、生まれたばかりの王女を連れ去った。
会いたいと願う妃の嘆願にも応じず、王は狂ったのだと巷では噂されるようになる。
そうして、王女フォーミュリアは王城のはずれの高い塔に幽閉されることとなったのだ。
塔にはクラティスという下女が一人いた。
王女フォーミュリアが唯一接することが出来た人間であった。
彼女はひどく感情表現の薄い人間で、まるで人形の様であった。
淡々とした口調は、彼女をさらに冷たい人間のように見せる。
フォーミュリアはその人生の中で一度も彼女が感情をあらわにした事を見た事が無い。
いや、一度だけあったか。
それはフォーミュリア十四の春の事。
その日、いつも通りフォーミュリアは窓を開き、そこから外を眺めていた。
外界との関わりが無いフォーミュリアにとって、外を眺める事は唯一の楽しみであった。
萌ゆる木々は若々しく、春節を迎える城下は賑やかな歓喜の琴線をかき鳴らしている。
「いいなぁ。私も街に出てみたいなぁ」
そうこぼして、フォーミュリアはすぐに口を押さえる。
そして、周りを見渡しクラティスがいないことを確認して、安堵する。
もしクラティスに先程の言葉を聞かれようものなら、『王女としての自覚が足りない』と煩わしい勉強の山に埋もれてしまう。
生まれた時から塔にいたフォーミュリアにとって、塔の中の生活がすべてであり、いつ来るか分からない王女としての役割など身に入らなかった。
何故他の子供の様に外に出られないかとクラティスに問うた時、王女だから、特別なのだとそう教えられてきた。
そう教えられてきたのだが、当のフォーミュリアには完全に納得できる理由では無かった。
うらやましい、そう思わざるを得なかったのだ。
天気は快晴。
鮮やかな水色の絨毯を空に敷き詰めた中に黒い染みが一つあった。
ピイヒョロロと鳶が旋回しながら鳴いていた。
「いいなぁ。私も鳥みたいに空を飛べたら自由に外へ出かけられるのに」
「まあ、そう思われるのも不思議ではありませんがね。ですが、空を飛べる事は貴方が思っているよりも素晴らしくは無いんですよ」
フォーミュリアが声がした方を見ると塔の外壁に白いハトが一羽、羽を休めていた。
「例えばですね、運が悪ければ何も食べずに空を飛び続けなければならないし、羽根が傷つけば肉を食らう獣の餌になる訳です。そんな事を思えば、貴方のおかれている状況もまんざら悪い訳ではないでしょう」
「けど、私は一度も外に出た事が無いのよ?」
フォーミュリアは身を乗り出して、ハトに抗議する。
「確かにその点は同情しますがね。個人的な見解を述べさせていただくなら、飼われるのは性に合わない。ええ、同情いたしますよ」
「そうでしょ」とフォーミュリアは言ってため息をつく。
「だから、空でも飛べたらって思うのよ」
ここには魔法のランプなど無い。
ハトにそんな事を言ったところで、詮無いことであるのだが。
「出来ますよ」
「え?」
「空を飛ぶことができると言ったんですよ。もちろんおいそれと簡単に出来る事ではありません。それなりのリスクがあります。貴方の、そして私の命を落としてしまうかもしれない。それでもいいなら出来なくともないですよ」
「どうして?」
「言ったじゃないですか。同情すると。もちろんしなくても良いのです。私とて命は惜しいですから」
フォーミュリアは窓の下に目をやる。
いつだったか、誤って落としたリンゴの事を思い出していた。
私もあんな風になるのだろうか?
フォーミュリアの中の自由へのあこがれは強い。
けれども・・・
そう簡単には体は動かず、震えだすのだ。
フォーミュリアは何とか足を窓の淵に持ってくると、体が急に後ろに引っ張られた。
「何をされているのです」
涙声が耳元でささやかれる。
気が付くとフォーミュリアの体はクラティスの体を下敷きにして、倒れていた。
何処にも行かせないとクラティスの腕はフォーミュリアの体をしっかりと捕まえている。
腕の感触。
抱きしめられたのはいつぶりなのだろうか?
フォーミュリアの物心つく前の事であるので、鮮明な記憶としては残ってはいない。
だが、無意識にすりこまれた記憶は頭の中に『懐かしい』と言葉を響かせるのである。
耳元でクラティスの嗚咽が続く。
まるで不思議の国にでも迷い込んだように、フォーミュリアはぼんやりと天井を見つめるのだった。




