優しい詩5
凛とした声が辺りに響いた。その声は森の木々を揺らし、空気を震撼させ、ハニーの胸を突き抜けた。
その愛らしい声に、その懐かしい響きに、ハニーの鼓動が大きく跳ねた。
何かを予感した胸がざわめき、熱い何かが体中を満たしていく。
塊は近付くにつれ、彼女の知っている姿になっていく。
どれほど先の見えない暗闇であっても、穢れを知らない彼の髪は光を失わないらしい。
サラリと風に揺れる髪にハニーは目頭が熱くなった。
一度確信したら、もう目が離せない。
心臓が張り裂けそうなほど歓喜している。
熱い眼差しで見つめる先で、小さな勇者が脇目も振らずにハニーの方へと突き進んできた。
「ハニィィィィィィィィィィィィィィィ!」
深い森の中から駆けてきたエルは愛らしい青の瞳を険しくつり上げていた。
甘く愛らしい顔の中で今まで触れたことのない精悍さが勝って見えた。
それはハニーの少年の顔ではなく、誰かを守ろらんとする一人の男の顔だった。
あっという間にハニーの側まで駆け寄ると、エルはハニーと男の間に立ちはだかった。
その小さな背でハニーを守らんと正面の男を睨みつける。
「僕のハニーに手を出すなっ!」
なんと高潔で、堂々とした姿なのだろう。
その頼もしさに、小さな背を見つめるハニーの瞳が沸き立つ心に潤んでいく。
ハニーはその愛しい背中に手を伸ばし、ぎゅっと抱きしめた。
そうしないと自分のバランスを保つことができなかった。
抱き締めて、彼の存在をもっと確かめたかった。
「……え、ぇるぅぅぅぅぅ~………あっ、あい、ったかったよ~」
毅然としたエルに比べて驚くほどに情けない声だった。
だがそれが今のハニーの精一杯だ。
崩れかかるように全身でエルの体を包みこんだ。
エルが驚き後ろを振り返っても、ハニーは腕の力を抜くことができなかった。
激情が治まるまで、もう少しこのままの状態でいさせてほしかった。
きっと言葉にせずともハニーの心が分かるのだろう。
エルは身じろぎ一つせずにハニーに身を委ねた。
大きな瞳を愛しげに細めて、自分に寄りかかってくる自分よりも大柄なハニーを受け止めていた。
「っくそっ!!何だ?このガキ」
ハニーとエルだけの世界を破ったのは、乱暴な男の舌打ちだった。
エルとの再会があまりにも衝撃的で、頭の片隅に追いやっていた。
ハニーは自分目がけて走ってきたこの怪しい男のことを、今の今まですっかりさっぱり忘れていたことに気付いた。
男はいつの間にか、もんどり打っていた砂地から身を起こし、憮然とした表情でこちらを見つめていた。
ハニーはエルを抱きしめたまま、男を睨みつけた。
男はハニーと目が合うとたじろぐ様に一歩後ずさった。
先ほどまでの勢いが嘘のようだ。
男は忙しなく視線を彷徨わせ、余裕なさげに髪を掻いている。
どうやらハニーを追っている者ではないらしい。
それは一見して見て取れた。
肩まである、緩いウェーブのかかった亜麻色の髪に、優しげな色合いのへーゼルの瞳。
バランスのいい長身はがっしりとしているが、簡素なベストとズボンという格好はけして兵士のそれではない。
彫の深い、やたらな暑苦しい顔は男前の部類に入る。
誰に聞いても彼は親しげで温かい、いい奴だと答えるだろう。
そんな顔をしている。事実、その立ち姿からは勇ましさや猛々しさなど一切感じ取れなかった。
それがハニーを勢いづけた。屈強な兵士に追われ、冷酷な死の天使に剣を振り上げられても生き延びてきたのだ。
もう並大抵のことでは怯えたりはしない。
自分を守ろうとする小さな体を今度は自分が守るんだとばかりに抱き締め、ハニーは声を鋭くした。
「あなたの方こそ何っ!」
ハニーとエル。
年若い女と子どもの視線などどれだけ鋭くとも大の男の一睨みには負ける。
しかし男は双方にから注がれる視線に言葉に詰まらせているようだ。
男は気まり悪げに眉を寄せて二人を見下ろした。
ハニーらを恐れているというよりも、格好の付かない自分を持て余しているように見える。
男は口の中でもごもごと何か言い訳めいたことを呟いた。
「や……その………あまりに理想なシチュエーションだったから……つい」
「ついじゃないわよ、ついじゃ!」
ハニーは更に声を鋭くして男を追い込むと、男は開き直ったように腕を組んでそっぽを向いた。
そこで腕を振り上げて力を誇示してこないところを見ると、本当にこの男は暴力などとは無縁なところで生きているのだろう。
ハニーは内心ほっとした。
しかし次に男が口を開いた瞬間、ハニーはその安堵を全て吹き飛ばされた。
「おれだってショックだよ!近くで見たらなんて貧相な体……」
「誰が貧相ですって!」
その聞き捨てならない言葉に激昂した。
数ある欠点の中でも体格については、自分がそうと自覚していても他人には指摘されたくないポイントである。
それを出会って数刻も経たない男に指摘されたと思うと腸が煮え繰り返る思いがする。
コンプレックスをずばりと刺され、ハニーは思わず体を強張らせた。
エルを抱き締める腕に力が入る。
顔が醜く歪んでいることだろう。
しかし今力を抜けば、体中から怒りが飛び出し、彼の喉元に食らいついて行きそうだった。
とんでもない力で抱き締められ、エルは驚いたように目を見開き、ハニーの方を振り向いた。
「大丈夫?ハニー?」
少し苦しげな声にハニーはハタと自分の腕の中のか弱い存在を思い出し、慌てて腕から解放した。
素早く悪鬼のような形相を改め、出来うる限りの優しい眼差しを向ける。
守ると決めたその途端に彼を不安に追い込んでしまう、自分の余裕のなさが恥ずかしくて、ハニーは自分にげんなりとした。
申し訳ない気持ちでエルの柔らかな髪を労わるように撫でた。
「ごめん!ごめんねっ!エル!痛かった?」
「ぼくは大丈夫だよ。ハニーの方が辛そうで………。大丈夫?痛いところはない?この男の人に嫌なことを言われていない?」
純粋な青い瞳が心配げに自分を見つめている。
その深みに飲み込まれてしまいそうだ。
うまく言葉が出てこなく、ハニーは大きく首を横に振って違うと答えた。
淡い赤の髪が揺れ、パラパラと細かな砂が零れ落ちた。
「ハニー、ねぇ笑って?ハニーの辛そうな顔は見たくないんだ。何でも僕に言ってよ?貴女は僕の全てだから」