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優しい詩4

「なっ!!何を言ってるのよっ!一糸も二糸も纏ってるわよっっ!この変態ぃぃぃぃぃぃっ!」


 その男の熱視線とトンデモないロマンにハニーはカッと血を上らせた。

 寒さに震えていた体に怒りの震動が広がっていく。

 あっという間にハニーの全身を駆け巡ったそれは出口を求めて、一番広い間口から飛び出した。

 全て吐き出し、はぁはぁと息を切らしていたハニーだが、はたと自分の姿を見下ろした。

 襤褸切れからおしげもなく出された胸元や太ももは濡れて妙に艶めかしい光沢を帯びていた。

 うら若き乙女らしくない、なんともフシダラ極まりない姿だ。

 慌てて両手で覆ったが、そんなことでどうにかなる程度ではない。

 過剰に恥じらう様が更に、自身を扇情的に見せているなどハニーには分からない。


(ヴィ、ヴィーナスって何よ~!なんなの、この男はっ!)


 ハニーは恥ずかしさと混乱で泣きそうになった。

 ひしひしと感じる熱い視線は元より、まずヴィーナスとハニーを評するところがいただけない。

 ハニーを捕まえてヴィーナスはないだろう。

 ハニーは自身の肢をそっと見下ろし、居た堪れなさを噛みしめた。

 ヴィーナスとは貝から成熟した女性として生まれたという異教の女神だ。

 その姿は可憐にして優美。黄金率のプロポーションを持ち、同性さえも惚れさせる魅惑の女性なのだという。

 まさに理想の女性だ。

 異教とはいえ、彼女は男達の永遠の憧れであるらしい。

 よく裸のまま海辺に佇む姿で描かれ、多くの好事家に求められている。 

 寒さに震えて自分の肩を抱き締めるハニーの姿を遠目に見れば、ヴィーナスがよく描かれるポーズで佇んでいるように見えないこともない。

 但し、遠めに見ての話だ。

 残面ながら現実は森の小さな川の前で寒さに打ちひしがれている憐憫にして、貧相な乙女だ。

 同じ女でもその差は天と地ほど開いている。

 ハニーは生まれてこの方、異性からそのような視線を向けられた覚えがない。

 すでに事態はハニーの許容範囲を超えている。羞恥のために血が逆流し、目まいがするほどだ。

 ハニーは身の底から這い上がってくる、悔しいような恥ずかしさに顔を歪めた。

 その勢いのまま目の前の男を睨みつけた。


「ふ、ふざけないでっ!どこかに行きなさいよっ!」


 体を背け、拒絶を示す。

 だが男にはハニーの睨みなどまったく意味をなしていなかった。

 遠目にもランランと輝く瞳で熱くハニーを見つめて、彼女目がけて走り出した。

 男の背には見えるはずもない大輪の花が見える。

 キラキラと星が飛んでさえいる。

 彼はまるで別世界の人間だ。

 初冬のうら寂しい川岸に、彼は麗らかな春の息吹をまき散らし駆けてくる。


「こんな所にいたのかっ!会いたかったぜっ!おれのヴィーナス!!!!!」


 男の手が大きく両手を広げ、今にもハニーに抱きつかんとしていた。

 ハニーは慌てて身を引くが、男の勢いはハニーの固まった体で避けられる限度を超えていた。 

 男を取り巻く現実離れした空気に飲まれていたのかもしれない。

 ハニーは自分に抱きついてくる男を半ば自失状態で見つめていた。

 彼の大きな手がハニーの肩へと伸びていく。

 燃え上がるような男の熱気がハニーの肌を熱くする。

 後少し、その指がハニーの柔らかな肌の表面に触れる紙一重の距離まで伸びた。


「いやっ!」


 その時、何かが鋭く風を切り裂いた。

 ビュッと風を震わす音が聞こえたかと思うと、ガツンッと岩がぶつかりあったような鈍い音が響いた。


「っぃぃぃいいいっってぇぇぇぇぇぇぇえええええぇぇぇえぇっ!」


 男の絶叫が地を這う。

 空を伝ってその震動がハニーの肌に尋常じゃない事態が起きているのだと告げた。

 ハニーは呆然と目の前の男を見つめていた。

 今の今まですぐ側にあった男の顔が苦悶に歪んでいる。

 だがその原因はいくら考えても見当もつかない。

 男は、うんうん唸りながら、後頭部を押さえて七転八倒している。

 まるで取れたてピチピチの魚のような勢いだ。

 もうハニーのことなど頭にないのだろう。

 苦悶の表情から簡単に見て取れた。

 思わず哀れに思えても仕方ないことだ。

 それほどまでに男の動きは異様であった。

 ハニーは警戒心をそのままに、恐る恐る男に手を伸ばした。


「……ちょ、ちょっと、大丈夫?」


 直後、更に俊敏に空を切り裂く石礫が男の頭部に命中した。

 男はぎゃっとつぶれた蛙のような悲鳴を上げた。

 石礫は男の頭の上で華麗に跳ねて、そのまま川に飛び込んでいった。

 ポチャンっと軽い音をたてて、川は礫を飲みこんだ。

 それ以外は辺りはしんっと静まり返り、全てが身を潜めてハニーらのやり取りをじっと見つめていた。


「な、何っ?」


 驚き、ハニーは石礫が飛んできた方に目をやった。

 何が起きているのか、さっぱり頭がついていかない。

 混乱に混乱を重ねた金色の瞳が深い森の先で怪しく蠢いた影を捉えた。

 あれは何?そうハニーの口から零れる前にその影が更に大きさを増す。

 ガサガサと森の木々を揺らし、影は小さな塊となって森から飛び出した。


「ハニーから離れろ!」


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