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優しい詩1

 ゆらゆら揺れる空間の中、ハニーは夢を見ていた。

 眩しい陽光に照り返る湖の側には瑞々しい緑がどこまでも広がっている。

 その袂に小さな少女二人、腰を下ろして向かい合っている。

 共にこの世の穢れなど知らない澄んだ瞳で互いを見つめ合っていた。


「ねえ、わたしたちってよく似ていると思わない?」


 そう言って、少女の片割れが口を開いた。

 愛らしい声が湖に弾む。無垢な微笑みを浮かべて、対する少女を見つめた。

 相手の少女は口を開かず、是とも否ともとれない複雑な表情を浮かべている。

 相手の返答を待たずに少女は嬉しそうにその手を取り、自分のそれに重ねてみせた。


「手も合わせてみましょ。ほら、手の大きさも一緒ね!」


 ぴったり重なりあった掌に少女は歓声を上げた。

 自分と同じ。

 それだけでも相手に近付いた気がして、少女は嬉しくて仕方なかった。

 相手の少女にもっと近付きたいのだろう。

 共通項が多ければ多いほど、今以上に仲良くなれると彼女は信じているのだ。

 円らな瞳が期待を込めて輝く。

 だが対する少女はその輝きから目を逸らした。

 どこか曇った表情のまま、目を伏せた。

 何か言いたげに揺れる瞳に映し出された自分を少女は不思議そうに見つめる。


「まるで鏡合わせのようね」


 たっぷりと間を取って、相手の少女は視線を上げた。

 抑揚なく発せられた声は少女と違って、ひどく大人びていて、言葉以上の重みがあった。

 しかし相手の少女の意図など分からない少女は屈託ない笑みで答える。


「ええ、そうね」


 嬉しそうに大きく頷いた少女に相手の少女は僅かばかりに言葉を失い、しかし何かを決心したように真っ直ぐに少女を見据えた。

 大人びた声が淡々と萌える緑の間を滑って行く。


「知ってる?鏡が映し出すのはもう一人の自分なのよ?」


「もう一人の自分?わたしたちは鏡合わせの同じ人間ってこと?」


 少女は相手の少女の言葉の意図するところが分からず、こくんっと愛らしい仕草で首を傾げた。

 それはよく似た境遇である自分を認めての言葉だろうか。

 それとももっと別の意味があるのか。

 少女は不思議そうに相手の少女を見返す。

 国は違えど王族に生まれ、自由の利かない身分にいる自分たち。

 見た目はまったく異なるが、それでも似通った物を感じるのは自分だけではないはずだ。

 明確な理由はない。

 ただ心が惹かれるのだ。

 それを相手の少女と自分がよく似ている為だと少女は考えていた。

 しかし相対する少女は違うらしい。

 少女よりもずっと大人びた顔は無表情のまま。

 じっと少女の瞳を見つめ返す。


「ええ。隣合わせの光と影。その姿がより眩しければ眩しいほど、鏡の向こうの自分は禍々しいの。天使がその手を鏡に添えたなら、その向こう側にあるのは悪魔の手。天使の右手は鏡越しの悪魔の左手なのよ」


 静かに告げられたその言葉に、少女は言葉を失った。

 無邪気な笑顔が凍りつく。

 仲好くなりたくて、懸命に似ている場所を探したのに、まさかそんな一言で彼女と自分の間に一線を引かれるとは思いもしなかったのだ。

 呆然と対峙する少女を見つめる瞳の中で、相手の少女は気まずげに顔を背けた。

 穏やかな風が緑の海を駆けて行く。


「所詮、わたし達は相容れない存在なのよ」


 静かな、それでいて強固な意志を持つ声が風に消えていった。



 それは初めて異国の姫であるエルと出会った時の思い出だった。

 幼いハニーは突き放すように言い放たれたエルの言葉の意味を理解できずに首を傾げたが、今のハニーになら分かる。

 あれは文化の違う自分を警戒して放たれた言葉なのだと。

 深い森の奥にあり、陰鬱とした雰囲気のエクロ=カナンは他国からあまりいいイメージをもたれていなかった。

 そのイメージでエルは口を開いたのだろう。

 鏡越しに対峙した天使と悪魔。

 どれだけ似通っていても両者は対極の存在だ。

 それは幼いエルが示した遠回しの拒絶だったのかもしれない。

 その後ハニーとエルは急速に交流を深めていき、今では親友と呼ぶまでになった。

 エルがハニーを拒絶したのはあれが最初で最後だ。

 初対面の時は自分に比べ何と大人びた王女なのだと思ったものだが、警戒心を解いた彼女は非常にのんびりしていて、親しみやすい女の子だった。

 たった一度の初対面の思い出はその後に出来たたくさんの楽しい思い出に埋没していった。

 しかしふとした瞬間に不意に思いだされるのは、忘れられないほどの衝撃をハニーの心に与えたからだろう。

 忘れようとしても、そう意識する程鮮明にハニーの脳裏に思い出される。

 それは生涯に渡って親交を深める友人との初対面だからなのか、それとも………。

 ハニーは時折、エルの曇りない瞳を見つめ、ぼんやりと考えることがあった。

 屈託なく自分に微笑みかけてくれるあの瞳の奥にまだ、ハニーには曝け出せないものがあるのではないかと。

 それはけして口にはできない言葉だ。ましてやエル自身に問うことなどできようはずがない。

 しかし、痛みに耐えるような悲しげな横顔に思わずにはいられない。

 ―――今でもわたし達は相容れないの?

 


    ***

「………………あのね、それってすっごく嫌味じゃないっ?確かにあの時は、この子はなんて物知りなんだろうって感心したわよ。でも、もっと他に言いようがあるでしょうがっ!」


 夢の中の友人に今こそ溜め込んだ鬱憤をぶつけてやろうと大きく声を張り上げた。

 分かってほしかった。

 あの時、エルの言葉に感心しながらも心の何処かで、分かりあえないことに傷ついたことを。

 具体的な名前のない感情をその後もずっと抱え続けることになり、どれだけ望んでも忘れられなかったことを。

 幼いハニーにはその感情を上手に表す言葉がなかった。

 大人になったハニーには面と向かってそれを親友に問える勇気がなかった。

 でももしエルが未だに自分たちが違う世界の生き物だと思っているなら、時折見せる影を帯びた笑みがこの言葉からきているなら………。


(その時はエルだろうと思いっきりぶってやらなきゃっ!)


 未だ夢から抜け出せない思考を握りしめるように拳に力を入れた。

 そうだ。友情に天使も悪魔も関係ないのだ。

 穏やかな見た目に反してエルは意外に意固地だ。

 ガンッと一喝でもしなければ簡単に考えを改めてくれない。

 今もやっぱり上手に自分の感情を伝えることのできないハニーがありのままの自分を伝える術はそれしか思いつかなかった。

 きっと聡明なエルならばハニーの行動の根幹に何があるのか分かってくれるはずだ。

 そう、ハニーを突き動かす中心にあるのは………。その感情に任せ、全てをぶちまけた。


「エルのバカッ!でも、大好きだぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 その瞬間、思い出は夢の中に霧散した。

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